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■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.1] ■■■
[424][安万侶サロン]御諸山信仰の核心
「酉陽雑俎」と「今昔物語集」を読んだ身としては、「古事記」もそっくりという感じがしてしまう。
それぞれ、妖怪奇談集とか博物学の本、仏教説話集とか奇譚収録書、天皇家の歴史書とか上古神話収録集のような扱いがされていて、編纂者の知的営為の結晶が詰め込まれているのに、それを唾棄すべきものとする姿勢で読むべしというのだから、残念至極。
要するに、知的水準の差が開きすぎていて、なにがなんだかわからないから、訳のわからぬ書ということで、小馬鹿にすることで自己満足するしかないのである。

間違ってはこまるが、学問水準云々のことを語っている訳ではない。現代は、言葉は悪いが、重箱の隅をつつくことで、新たな見方を提起するこよが成果とされる時代で、広い視野で眺めて新たな概念を形成するのは学問とは思われていないからこういうことになるのである。
おそらく、この3書の編纂者は、インターナショナルな見識を持った人々のサロンの愛好者あるいはパトロンだと思う。個別分野でもピカ一の人材だが、交流を通じて自分の立ち位置を見つめることで、新たな見方ができることを知っている人達の集まりがあったに違いないと考えるのである。
そこは、当然ながら、身分・宗教・職業等々の壁など無用であり、馬鹿話で笑いが飛び交う世界と云ってよいだろう。

そんな気分で"御諸山"を取り上げるとしたら、どんな話が飛び出しそうか、想像してみたくなった。
📖「古事記」が示す大物主神の独自な性情 📖御諸山の大物主大~の意味

安万侶サロン的には、三輪とは麻紐三束譚は歌謡によるファンタジー化とみなす。そんな笑話については既に書いた通りだが、そうなると、山名はどのように変遷したか提示せねばなるまい。しかし、この場合、たいして難しくはない。おそらく、インテリならすぐに頭に浮かぶ程度の課題である。しかし、余りに馬鹿馬鹿しいので口に出すのは憚られるといったところか。・・・
 []天降[あ(ま)も]
 ⇒御諸[おもろ]…発声的には多少苦しい。
  ⇒三諸[みもろ]…3磐座ではなく、三祭式用具を用いる行儀。
   ここで麻縄土器祭祀行儀が持ち込まれ、
   "モロ"が"[なわ]"に。
   三諸は三輪の枕詞と化す。
   三諸つく 三輪山見れば 隠口の 泊瀬の桧原 思ほゆるかも
      ・・・[「万葉集」巻七#1905"詠山"]
    ⇒三輪[みわ]…大和と同じセンス。
     ⇒美和山…大和と同じセンス。
      ⇒大輪山…大を使いたいということ。
       ⇒大神[おおみわ]…社家の呼び方。

ただ、このような談論は決して無駄なことではない。御諸山信仰の原点を考えることになるからだ。
少なくとも、ココは高天原から神が降臨する地ではない。従って、太陽神というより、曙光崇拝と考えるべきだろう。そうなると、その御使いは鵜であっても、出雲のような海蛇ではなかろう。この地の、蛇信仰はおそらく後付けで、本来的には海人の鰐信仰ではあるまいか。内陸移住により、習合してしまったと考えるのが素直なところ。要するに、この山には水の神が座しているというに過ぎない。
もし、鰐にこだわっていたとしたら、この地の環境から考えて大山椒魚が神の姿形として妥当と思われる。古代人のセンスは独特で、大山椒魚や山百合に特別な思いを持っていたようだから。前者は登場しないが、後者は初代天皇婚姻譚で語られる。それが何を意味するのかは現代人にはわからなくなってしまったが、太安万侶は直観的にその重要性を見抜いたのだろう。(現代人のセンスだと、とんでもなくDNAリッチという分析結果を見て、どう考えるべきかわからず、途方に暮れるということになる。)
そこらの、王権の記憶が残っていない時代はなんとも言い難いが、意富多多泥古が神官として祭祀を始めた頃の信仰はかなりはっきりとしていて、この山に祀られた御祭神は、「大三輪神社鎮座次第」@鎌倉期の記載通りの人格神3柱のようだ。主神はもちろん大物主大神で、大己貴神と少彦名神も配されておかしくないからだ。これが三つ鳥居の所以ということになる。
尚、酒の神ともされているが、"みもろ"≒"みむろ"⇒実醪ということであり、これ自体は後世の付会と思われる。しかし、"みもろ"信仰と酒は祭祀次第で切り離せないから牽強とまでな言い難い。・・・
  我が宿[屋戸]に 【御諸】を立てて 枕辺に 斎瓮をすゑ
    ・・・[「万葉集」巻三#420]

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