→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.4.27] ■■■ [481]"たらし"を帯と記載する理由 中華帝国の国史にも、この名称に相当する言葉が記載されている。・・・ [「隋書」卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國] 俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌 [「舊唐書」卷一百九十九上列傳第一百四十九上 東夷 倭國&日本] (倭國)其王姓阿每氏 日本國者倭國之別種也 [「新唐書」卷二百二十列傳第一百四十五東夷 倭・日本] 其王姓阿每氏 自言初主號天御中主 用明 亦曰目多利思比孤 用明天皇は橘豊日命だが異なっている。皇統が記載されているから、日本からの情報を記載したに違いないが、天皇姓は"アメ"で、名は必ず"タリシ"ヒコが付くとの解釈なのであろう。號は"アフケミ"つまり"おほきみ"なのだろう。 しかし、帯を"タイ"でなく"たらし"と呼ぶ根拠はなんなのだろうか。 "たらし"は権威に足るという意味との解説もあるが、帯イメージにはそぐわないし。 ≪帶/帯≫ 【語源】束衣腰帯(男子搫帶 婦人帶絲)⇒長條状的物/区域 [呉音]タイ [漢音]タイ [訓]お-びる おび めぐ-る どう見ても、漢字音から"たらし"が生まれているとは思えず、これは"たらし"の翻訳語としては”帯”になることを示していると考えるのが自然だ。・・・ おそらく、衣服は腰紐を結び垂らして着用することから、帯を"たらし"とも呼んだのだろう。「今昔物語集」では超貴重な石帯の話があり📖漂着犀角、現在とは帯の形態が全く違っており、ベルトである。この場合、装飾の腰佩(根付)が倭でも使われていた可能性が高い。ただ、帯並みのベルトもあり、腰から垂らしていたと思われる。おそらく、それらが王権の象徴だったのだろう。 ちなみに、文字"帶"の用法は以下のようになっている。 禊ぎで石帯から、邪悪なものを防塞する神が生まれるのは、いかにもありそうなこと。太安万侶は石帯を崇める由来はこの辺りと考えたのでは。 次於投棄御帶所成神名 道之長乳齒神☚ 生子 遠津山岬多良斯神 右件自八嶋士奴美神以下遠津山岬帶神以前稱十七世神☚ 生御子 天押帶日子命 次大倭帶日子國押人命 故弟 帶日子國忍人命者 治天下也 生子 息長帶比賣命 次大帶日子淤斯呂和氣命 生御子 沼帶別命 次伊賀帶日子命 次五十日帶日子王 故大帶日子淤斯呂和氣命者 治天下也 生御子 若帶日子命 生御子 帶中津日子命 韓比賣生御子 白髮命 次妹若帶比賣命 「万葉集」では、あくまでも帯は帯である。音素的に使われる場合もあるが。一方、"たらし"は音素文字での表記になる。 帯解き交へて 名に負ふ靫帯びて 帯をすら三重結ぶべく 帯にせる 神の帯ばせる 帯を三重結ひ 帯乞ふべしや 倭文機帯を 狭織の帯を 帯の結びも 帯ばせる 我が帯緩ふ 帯にせる 常の帯を 君が帯ばしし 絹の帯を-引き帯なす-韓帯に取らし 帯ばせる 帯ばせる 帯ばせる 帯び続けながら 帯は解かなな 多良志比甜巻五#813] 多良志比賣[巻五#869] 多良思比賣[巻十五#3685] (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |