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■■■ 「古事記」解釈 [2022.6.6] ■■■
[521]鮎は避けて年魚に
中華料理の核は"湯タン"だが、それは"湯ゆ"とは違うのはご存じの通り。大陸での"手紙"の意味がレターでは無いことについても、案内書のコラムに必ずと言ってよいほど記載されている。
しかし、読書上で一番厄介なのは、猪と豚の逆転ではなかろうか。どちらの意味で使っているのか判然としないことがママあるからだ。
おそらく、植物や動物で散見されるこの齟齬は漢字輸入当初からのことだろうが、その理由は必ずしも説得力があるとも言い切れない。多くの場合、実物を眼前にせずに翻訳したからと説明することでで一件落着にしているが、信用に足る理屈と迄はいかないからだ。

それをいみじくも示しているのが、<あゆ>である。
大陸では、ナマズを指す文字だからだ。両者に類似点などほとんど無く、全く異なっている以上、間違えてしまうことなどあり得ないだろう。

もちろん、「古事記」にも登場する。
しかし、ご想像がつくように、<あゆ>は使わず、<年魚あゆ>を用いている。
  亦到坐 筑紫末羅縣之玉嶋里 而
  御食其河邊之時 當四月之上旬
  爾 坐其河中之礒拔取御裳之糸
  以飯粒爲餌 釣其河之
年魚
   <其河名謂小河亦其礒名謂勝門比賣也>
  故 四月上旬之時 女人拔裳糸
  以粒爲餌釣
年魚 至于今不絶也
人名にも使われている。・・・
  遠津年魚目目微比賣(木國造 荒河刀辨の息女)

どうして、この文字の読みがわかるのかということになるが、「萬葉集」の用例に倣うだけの話。
先ず、以下の歌。どう見ても上記の話を詠んだ作品。
  [巻五#869]足姫 神(の)命の 魚釣らすと み立たしせりし 石を誰れ見き
    <一云 鮎釣ると[一云 
阿由都流等]>
      …筑前國司山上憶良謹上

文字表記は3種併存なのだ。すでに"鮎"文字が使われており、しかも鵜飼漁だから、かなり用いられていたと考えられる。・・・
  [巻五#855]阿由都流等[鮎釣ると]
  [巻六#960]年魚走[鮎走る]
  [巻十三#3330]下瀬之 鮎矣令咋 麗妹尓 鮎遠惜
     [下つ瀬の 鮎を食はしめ くはし妹に 鮎を惜しみ]


これだけ情報があって、鮎という魚についての基本知識も持っているなら、"鯷"のことを知っていさえすれば、鮎・年魚・あゆ阿由が併存する理由は自然に読めてくる。

"あゆ"の語源だが、漢字で表現すれば、おそらく"歩"。この意味が理解できないなら、この魚の一生を知らないだけのこと。漁る方法と食材としての特徴(香魚)ばかりに関心が向いていれば自ずとそうなる。(倭では、淡水域の鮎を海鵜に漁らせていたことが象徴するように、子鮎は海魚であることを知っていたのは間違いない。陸封の場合は湖が海の代替。現代は養殖なので習性は消えている。)
鮎釣りは、友釣が有名なのは、外れにくい釣針+生餌に凝ったところで、ほとんど意味が無いからでもあるが、このことは、実は、単純構造針+ご飯餌で十分機能するということでもある。「古事記」伝承譚の釣果にフィクションや誇張は無い。  📖あゆの話

トーテムの話を何回かしてきたが、この用字もそれに関係して考えればわかり易い。鮎という文字が使われたのは、南島系鰐族(母系皇統)や海鵜族(天皇強力支援の背景的勢力)だけでなく、揚子江デルタの鯰族(鯷帽が特徴の国家)も渡来したということ。
しかしながら、日本列島の河川は大陸と比較すれば超急流で鯰漁獲の環境にはない。泥的な箇所は鯉(河口は鰻が獲れるが、血毒があり中途半端な加熱調理では不可食。)であるし、好まれる食魚は鮎。

従って、渡来時点ではなまずだったのが、あゆとなるのはわかる気がする。
文字的状況ではこんな具合。
  鮎=𩷑/鰋
   … [別名]鯷/鮷≒鮧
     ⇒[国字]

第一級の知識人であれば、鯷は中華帝国辺境扱いの特定朝貢族の特徴を示す文字であることを知っていた筈。(絵が無くとも言葉で説明できるので。)従って、鮎という文字の出所もわかっていた筈である。従って、当代一のインテリ 太安万侶があゆと書くことはまずあり得ない。それなら、音素文字表記の阿由にしそうなものだが、それを避けたのは、鮎≒阿由が定着してしまうからでは。
そこで、通称用語の年魚を使うことにしたのだろう。明らかに、鮎の習性に基づく用語であり、常識的にはこの文字を"あゆ"と読むことは無いから、"とし(う)お"(食魚ではないので"な"ではない。)と訓読みすべき語彙。しかし、当該箇所の割注は河名であり、年魚は無視しているから、読み変えても結構と云うことになろう。

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