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■■■ 「古事記」解釈 [2022.7.7] ■■■
[552]志都の意味再考
「古事記」で"しつ/しづ"と称される歌は結構多い。
下巻冒頭段の天皇・大后の6首と枯野琴の1首、大長谷若健命段での、天皇・赤猪子の4首、袁杼比売の1首。浮歌〜静歌ということもあって、下り調子で鎮まって詠う曲調を意味するとの見方で一応納得していたが、解説には、倭文歌説もあるとのことなので、見ておくことにした。

「萬葉集」を見ると、<志都>は単なる語尾音素表記もあるが、意味ある語彙としても登場してくる。
  [巻三#355]大汝 小彦名乃・・・<志都>乃石室者[しつのいはやは]
  [巻五#804]阿迦胡麻尓 <志都>久良宇知意伎[赤駒に 倭文鞍うち置き]
  [巻十七#4011]神社尓 氐流鏡 <之都>尓等里蘇倍[神の社に 照る鏡 倭文に取り添へ]

この倭文と云う語彙は「古事記」には登場してこないが、織物を指す。<"し"織>とでも呼ぶべきなのかも。ともあれ、その後失われてしまった織文様を意味しているらしい。組織的に対応していたようだから、重要祭祀に係るのは間違いなさそう。
  [巻三#431]倭文幡乃[しつはたの]
  [巻四#672]倭文手纒[しつたまき]
  [巻五#903]倭文手纒[しつたまき]
  [巻九#1809]倭文手纒[しつたまき]
  [巻十一#2628]倭文旗帶乎[しつはたおびを]
  [巻十三#3286]倭文幣乎[しつぬさを]
  [巻十九#4236]倭文幣乎 手尓取持氐[しつぬさを てにとりもちて]
  [巻二十#4372][左注]右一首<倭文部>可良麻呂

絹や麻の織物と区別しているようだし、倭という言葉を使うから極めて古くから祭祀用に用いられていることを意味しており、"し"と呼ばれることはないが、「古事記」のセンスからすれば、棕櫚シュロ毛同様に耐水性がありそうな、木本である藤の繊維ではあるまいか。
もちろん、粗末なものしかできないから、祭祀的な用途として残るしかあるまい。格調高い縞の喪服用素材とされていたようではあるが。📖花木代表は櫻・柊・藤

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