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■■■ 「古事記」解釈 [2022.7.21] ■■■
[566]助詞=倭語土台とは流石慧眼
「古事記」成立から「古今和歌集」で仮名表記方法が樹立されるまで193年を要している。中華帝国のような天子独裁-官僚統治国でもないのに、よくこの程度の短時間で決着できたものと感じてしまうが、考えてみれば太安万侶路線で進んだだけのこと。

「古事記」の歌はできる限りリズムに合う音が即座にわかるようにするため、音素文字表記が望ましいとしている訳だが、取り方は色々で、伝えることが可能なら、どう表記してもかなわぬという意識に火をつけたともいえる。
このため、表記方法の工夫を図る歌人が大勢現れ、それが互いに知的刺激を与えあう状況を生み出すことになり、歌詠み活動の隆盛に繋がったと思われる。その総集編が「萬葉集」であるから、多種多様な表記方法が収録されることになる。時が経てば、流行も下火になるから、表記複雑化だけが残ってしまう。読めない歌集ではほとんど意味がないから、結局のところ、元の単純な方針に戻されることになる訳だ。
ただ、この場合、忘れてならないのは、渡来語彙を使うことはあっても、倭語が一貫して守って来たルールをただのひとかけらも犯すことがなかったと云う点。例えば、主語-述語-目的語構造の影響を感じさせる作品は一つもない。(単に歌だとそうならざるを得ないだけかも知れぬが。)

結局のところ、太安万侶と稗田阿礼が図った通りに推移したと見てよかろう。
実に老獪。

と云うのは、「古事記」の文章は倭文を文字化したと云っても、表記方法は錯綜していると予めはっきり書いているからだ。読者は、地文を読もうとすると、主語-述語-目的語構造の部分に直面し一瞬戸惑うが、すぐに文字の順番を逆転させて読むようになる仕掛け。従って、一度目を通せば、倭語読みは癖になってしまうだろう。

そして、助詞と句間辞等文章構成表示文字の重要性もすぐにわかる仕掛けが施されている。両者共に文脈上自明な場合はあえて書く必要がないが、無いと読めなくなることにも気付かされるように書かれている。(漢語にも、このような文法上必要となる詞はあるが、文章構造ありきなので補助的なもので、倭語の助詞のような役割を果たしている訳ではないことを、再確認させられることになる。)センスの問題はあるものの、助詞こそ倭語の命と云うことか、と「古事記」の主張を理解することになる。

ただ、それに逆らっているかのような、助詞表記不要路線を敷こうとした歌人(柿本人麻呂[est.660-724年])もいた。(助詞文字を省くと7言2句の漢詩に見える歌もある。…[巻十一#2476] 打田稗數多雖有 擇為我夜一人宿 但し、その様な作風は、歌集前半で、後半は積極的に助詞表記に。)太安万侶[n.a.-723年]提唱の表記路線を支持した大伴旅人[665-731年]とは正反対な姿勢を貫いたのである。おそらく、倭語・漢文のより一層の融合化を図ったのだろうが、一定の影響力を与えただけでこの流れは終焉することになる。📖柿本人麻呂とは姿勢が異なる

ここらの分析研究論文は五万と集積していそうだが、素人は参考にしない方がよいような気がする。この2つの流れは、分析して本質が捉えられる手のものでは無いように見えるから。・・・
"倭語の命とは助詞なり。"路線と、"漢文に無い倭語の助詞は表記不要。"路線の対立の根は深い可能性もあるからだ。つまり、前者をanti-漢語、後者をpro-漢語と考え、安万侶と人麻呂の出自や役職に絡めて解釈するような方法論では、切開することができそうにないということ。

例えば、前者は、"漢語表記で倭語の情緒表現に合致するなら活用すればよろしかろう。"方針でもあるし、後者は、実は、"無闇に一知半解の漢語を用いるべきでない。"路線と見ることもできよう。単純な見方はできそうにないのだから、歌を分析するだけで読み取れる保証はなかろう。
それに、この路線上の対立自体、当の歌人達が気付いていたのかも定かではないし。

そのように思いめぐらして行くと、「古今和歌集」で決着したように書いてしまったが、それはあくまでも表面上表記でのことでしかないことに気付かされる。路線問題は続いている可能性も。

それは、現代の一般教育での俳句の扱いを体験してきたからでもある。
上述の路線問題からすると、助詞で歌の意味がどう変わるかという点に焦点を当てる必要がありそうだ。しかし、教育の奔流としては、あくまでも読者の情緒的鑑賞を深める方向にあったように記憶する。
太安万侶からすれば、"個々人の情緒的鑑賞"が自由精神発露の学びとどう繋がるか皆目見当もつくまい。それは、自由精神を奪う流れに映ってしまうかもしれないからだ。
表向き"自由"を標榜しても、助詞の意味を考えて場を想定しないなら、結局のところ、大御所見解(科挙に於ける正解)の暗記と違うか、となろう。
なんとなれば、助詞表現の意味を味わう能力なくして、情緒感が生まれる訳がないと見ているからだ。倭語が相対の場での言葉であり、文字化した歌には、場の設定が無いから、助詞による詞繋ぎで状況を理解できないと、作者の意図の読み取りようがなかろうということ。

倭の歌は、ママの漢詩とは根本的に異なるという当たり前の話でしかないが。

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