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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.8] ■■■
[584]「古事記」文法は難しい
素人ほど、「古事記」の言語用法は学ぶ価値あり、というのが小生の見立て。
難易度は高いものの、それでもお勧めしたいので、その論点について。・・・

太安万侶は、漢文が構造文であり、文字は単なる"音"の表記用でしかないことを理解しており、すでに表意文字の意味を失っていると見抜いていたと思われる。極言すれば、官僚文書用の記号順列でしかない人工語と見なしたことになろう。
そして、それを踏まえて、話語たる倭語を漢文の文法を利用して記述したのでは。そのため、漢文に慣れた人には、滅茶苦茶に映る部分だらけ。しかし、そこから倭文を想定せざるを得ないため、漢文の本質が自然に見えてくることになる。倭語とは、どのような言語なのかもわかってくることになる。・・・それが太安万侶の狙いと違うか。

現代に当て嵌めれば、そうとしか思えない。

漢文に初めて接すれば、英語を薄々知る程度の日本語話者なら動転して当たり前。どの様な言語でも、名詞・動詞・形容詞に、それを補助する詞からなると考えるのが普通。これらの詞の違いは、語彙から認識できるよう配慮されていると思っている筈だ。ところが、漢語にはその機構が皆無。語彙そのものは全く変わらないのに、詞の文法的位置付けはいかようにも変えることができる。これで文意を想像するというのは、無理筋ではないかと考えるのはおかしなことではなかろう。
要するに、文章構造上から見た語彙の位置からどのような詞か判断するしかないと云うこと。従って、会話では、聴いた詞を、頭のなかで構造文に再編成し、初めて意味がわかることになる。極めて書類的な言語で、話語には不向きと見られてもおかしくなかろう。

もちろん、「古事記」を読んだだけで、そのようなことを想い起すことになる訳はなく、ひとえに読者のセンスの問題。

以上、大げさな話にしてみたが、取り上げたいのは実は小さな事。
  [後置]接続詞(連詞) v.s. 前置詞(介詞)
具体的にはこういうこと。
  是以ここ‐を‐もちてくう v.s. 以是
  因以しかるがゆゑ-を-もちてくう v.s. 以因

「"〜神"之命以 [動詞]〜」記載が多いので、気になったのである。
(これによって、<命以>⇒<言依/言因/(言趣)/言向>という独特の言い回しを作り出している。)📖命以言依と事依の世界
 請天神之命 爾 天神命以 布斗麻邇爾 ト相而詔之
 僕者無邪心 唯 大御神
命以 問賜僕之哭伊佐知流之事故 白都良久
 因此泣患者 先行八十神
命以 誨告
 天照大御神
命以 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者
    我御子 正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國 言因賜而 天降也
 請于天照大神 爾 高御產巢日神 天照大御神
命以 於天安河之河原 神集八百萬神集 而
 問其大國主神言 天照大御神 高木神
命以 問使之
 爾 天照大御神 高木神
命以 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 今平訖葦原中國之白
 故爾 天照大御神 高木神
命以 詔天宇受賣神 汝者雖有手弱女人
 天照大神 高木神 二柱神
命以 召建御雷神而詔
 高木大神
命以 覺白之 天神御 自此於奧方莫使入幸
 故爾天神御子
命以 饗賜八十建

上記はあくまでも"〜神""命"。当たり前だが、尊称として使われている"命"とは違う。
 遣其御子大碓命喚上 故其所遣大碓命
神から"受けた命"の意味である。従って、以下の"命"と同じことになるが、"以"の方は用法が異なる。
 又 おほせたまはく百濟國_ :「若有賢人者 貢上」
   故 受 貢上人 名和邇吉師

神の詔たる"命"をもってして、という理由付け的な意味で語っているのだから、常識的には<以〜神之命>と記載してしかるべきところ。にもかかわらず、"以"を前置せず、わざわざ後置しているのである。漢文的VO表記で記載して、どうせ反転させて読むしかないというのとは違い、漢文ではない訳だ。
どうしてこんなことをするのか、理解に苦しむが、漢文の文法とはその程度のものであることを示したかったのだろうか。

<以>
  [@「説文解字」] 用也
  [文字元義] 人が物を携える。≒㠯[農具の鋤]
   ・・・介詞(前置詞)・連詞(接続詞)とされるが、もともとは動詞で、転用か。
     行有餘力 則以學文[「論語」學而]
  [呉音・漢音・宋音]
  [訓] もっ-て(す)/もち-ゐる ひき-ゐる とも-に(す)
     おも-ふ ゆゑ すで-に


<以>にはもう一つ問題表現がある。
疑問形であれば倒置型配置になるので、疑問文字の"何"と前置詞が組み合わせ熟語を形成し、<何以><何由><何爲>が使われるのは漢語の基本。(漢語には<何如>と<如何>があるが、冒頭と同じで、前者が前置詞で後者が動詞なのだろう。)
例えば、こう読むことになる。
  なに_より_・・・
しかし<何由>が<以>と繋がると、どのような意味になるのか、よくわからない。<以>をわざわざ加える必要性が見えてこないからである。
(もちろん、<何由+以・・・>となってしまうことはあるが、以汝というのはどういうことかわからぬ。 鳴者則無知之賤名 何由以鳥鳴為語[「三國志」巻二十九方技傳:管輅])
 故 伊邪那岐大御神 詔速須佐之男命:「<何由以>汝不治所事依之國」
 亦 葦原中國皆闇矣 <何由以>天宇受賣者爲樂 亦 八百萬神諸咲
 問其赤猪子曰:「汝者誰老女 <何由以>參來」

この表現は、漢文倭語読みとは根本的に異なるから、初めから倭語の熟語とみなして読むしかあるまい。どう読むのかはわからぬが、 折口信夫だと何由以ナニシカモと読むのかも。

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