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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.10] ■■■
[586][放言]太安万侶のインテリ体質を想定する
白楽天や段成式はインテリの部類だと思うが、官僚として仕事に精を尽くしたうえでの文筆家。もちろんどちらも当代一の評価を受けていた。
日本では、ここらで、インテリの体質のとらえ方がかなり異なるのではないかという気がする。ビジネスに係りたくないから大学に残ろうという人々をインテリと勘違いしているように思うからだ。
それだけではない。多くの場合、インテリは「お金には興味ありませんな。」と発言する。すると、ボランティア的活動や薄謝の仕事を持ちかけられたりすることが多いらしい。これだけで、インテリの体質を全く理解できていないことがよくわかる。
目的も曖昧なまま、金儲けのために頑張る生活だけはご免被ると云っているのであって、生活のために働くのを嫌っている訳ではない。意味がありそうな仕事を一所懸命に果たすのがインテリで、趣味的に仕事をすることは無い。興味が湧かぬ余計なことに時間を潰されるのはもっぱらご免ということ。その一方で、他人から見れば暇つぶしにしか映らないサロン的談話は大好きだから間違って解釈しているのと違うか。
お金は社会生活で不可欠であり、余裕がなければ本も入手できず、気分転換の遊びもままならなくなる。資産家でない限り、稼ぎについては一般人よりシビアであってもおかしくない。
簡単に言えば、自由精神を追求しているということ。但し、それをスローガンにして群れる発想とは無縁なので、社会のなかでは少数派でしかあり得ない。そんな立場を自覚していることが特徴と云えよう。換言すれば、下手をすれば迫害排除されかねない可能性があり、そのリスクを最小にするような処世術には長けている筈。しかし、取り込まれないよう常に用心して生活していると云ってよいだろう。

つまらない話をしているように見えるだろうが、「古事記」を読むなら、ココらを自分の頭で固めてから読む必要があろう。曖昧にして眺めるということは、古事記漫画を見ているに過ぎないかもしれない。
ここのカットは歴史的にみて合わないとか、この1シーンは上出来と語るのがお好きならそれがベストな読み方かも知れぬが。

それを踏まえて、少し書いておこう。・・・

序文に、話語の文字化に精力を注いだと、編纂経緯をはっきり書いているので、文章を口誦させてそれを聴くのが基本<読書>スタイルと考えがち。ところが、本文を眺めると、漢字の使用方法にえらく凝っており、文章を目で読むことを前提に編纂したとしか思えない体裁。
このことは、知識人クラスの皇族を対象読者とした私書とは名目であって、その実体は、朝廷内知識人向けということになろう。「倭語」の根幹を知らしめることができるように書いたのである。
そのため、安万侶の提起する3つの文化観が自然に見えてくることにもなる。極めてインターナショナルなものの見方だと思う。
①母音語📖…古代言語の息吹があり、倭語以外は淘汰されてしまったようだ。
②系譜叙事詩📖…繋がり確認が寿ぎとなる風土である。
③仮名重視📖…助詞で詞を繋ぐだけの話語でまとまっていった民族である。
・・・ある程度の広範な知識と洞察力がないと、この見方の凄さを感じ取ることは難しかろうが、島嶼からなるフラグメントな地域社会が国家に統合されていく過程を考えると、天竺や震旦とは、王権・神権の成り立ちが相当違うことが、言語と叙事詩構成から示唆されていることは間違いない。

【全く個人的なこと】
上記インテリの話は独自ではなく、多分教師から教わったもの。忘却の彼方で、記憶違いもあろうが。・・・
その先生を尊敬していた訳ではない。担任でもなく、授業さえ受けたことがなく、なんの接点も無かった筈だが、どういう訳か1度だけ、小人数の懇談の場に居た覚えがある。そこには知り合いもいなかった気がする。
校内では知られた先生だったが、小生とはイデオロギー的に真逆。図書室から借りた和辻哲郎全集を家で読んで過ごすのを日課とし発言などしたくないタイプの、見ず知らずの生徒が呼ばれる筈はないから不可思議だが、残念ながらそこらの経緯は思い出せない。
その場では、確か太宰治の話。そこから発展して、どういう脈絡か不明だが、生活の意味を語ってくれた。どこまで本当かは定かではないものの、組織構成員として活動したかったが家庭の状況から組織から認めてもらえなかったそうだ。まさにアハハ。それに、まともな思想家も排除される組織らしい。なにを考えてそのような発言をするのか、さっぱりわからなかった覚えがある。


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