→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.18] ■■■ [594]文字化の考え方の違い このセンスの有無で、「古事記」・「万葉用字格」の評価は反転してしまうかも。(多くの場合、言葉にしていないだけで、両者に対する評価の程は想像がつく。・・・例えば、戯書とは、こういう内容を意味するとの観点が最初から存在しており、「万葉用字格」分類は厳密でないとみなす。この用語の発祥について触れていないのだから、どのような観点で仕訳しているのか不明ならわかるが。そもそも戯訓とは書いていないから、義訓の一部例という表示にも見える。このような分類名もあるが、どうでもよいということかも知れぬし、模倣も多く戯になっていないとみなしているのかも知れぬ。) 「万葉用字格」編纂者は、「古事記」と「萬葉集」では、漢字記述の根本精神が異なっていると踏んでいるように思えるからだ。 本居宣長とは見方が異なるところもありそうだが、証拠がある訳でもないから、自分の気付きを組み入れている程度に抑えたのでは。ともあれ、あくまでも「萬葉集」の辞書としての体裁を崩さない範囲での編纂を心掛けたということ。 この見方を一言で言えば、「萬葉集」は目で読む歌集ということに尽きる。「音」という用語が多義なので、わかりにくいが、正音・略音だろうが、正訓・略訓だろうが、発声することを意味しているのではなく、漢字を繋げて語彙にする場合の表記上分類と達観したように思えてくる。概念上、口誦音素表記文字となる仮名とは概念が違う用語と考えた方がよさそう。 要するに、漢字表記を見て、一意的に倭語の意味を推定する訳で、これは漢文と同じ方式である。文字を見て、頭で語彙の音を推定し、その意味を認識することになる。当然ながら、文字音は、一意的である。 分かりにくい説明だが、口誦倭語を文字化したものではなく、初めから漢字倭語ということ。倭語をどの漢字で表記しようかというプロセスは全く入ってこない。 太安万侶式表記も似たようなモノとしがちだが、こちらは倭語ありき。表記方法から見て、文字から一意的な口誦音に変換するのには無理があり過ぎる。このことは、意味が100%伝わるなら、口誦の揺らぎを容認するという姿勢だろう。それは、方言のようなものと割り切っていると思う。倭語として、頭を使って読んで欲しいということになる。(歌の場合は、リズムがあるから、単純音素表記で全音を記載するのが望ましいことになる。)そのため、多義である倭語に対応すべき漢字語彙を慎重に設定することになる。一対一対応は不可能なので、ベストエフォートベイシスにならざるを得ない。 結婚を、夜這いと読むことにしたということは、目合いにも関心を払っていたに相違なかろうから、<アフ>語彙を、どう記載したのか眺めるのも一興だろう。 俯瞰的に眺めると(以下は<アフ>として使用されそうな漢字を並べただけ)、「古事記」は十分検討したようにも見えてくる。倭語をできる限り間違いなく伝えようとの、努力が感じられる。<相○>表記のようにならざるを得ない訳で、そうなれば読みの一意性担保はかなり難しかろう。 「萬葉集」は文字"音"重視だからこれとは異なる。正音だろうが、正訓だろうが、文字そのものに音が乗ることになるから、各歌毎ではあるが、一意的にすべての文字音が決まることになる。標準化とか、大勢に従う必要もなく、作者は自由な用字を行うことになる。仮名と呼ぶべきではないかも。 考えてみれば、叙事詩は意味が通れば語り部のアドリブで発展していく性格の作品で、定型歌はリズムの1音づつをしっかりと定義せねばならないから、当たり前の流れか。 ・・・これでは、何を言っているのかさっぱりわからないか。 単純に状況を想像して描けば以下の様になる。文章からここらを読み取ってみただけ。(日本語のルーツを考えるなら、ココは殊の外重要だと思うが、想像の域を越えられないから解説には不向き。もっとも、暗記科挙的頭脳からすれば、妄言の類でしかなかろう。) 【「古事記」】稗田阿礼の伝承叙事詩の口誦を聴いて、相談しながら音素に分解し、文章として語句の切れ目がわかる部分の文字を決めたうえで、語彙の塊毎にその文脈で誤解を与えないように、話語の 【「萬葉集」】万葉歌人の膨大な創作歌を選定して分類収録した歌集であり、必要が無ければ、編纂者は個々の作品に絶対に手を加えない。ここが肝心要であって、各歌人の歌を"文字通り"にママ記載してあることになる。つまり、出典は 各歌人は、創作にあたって、文字記録していたことを意味する。この時点で、既に、倭語の このことは、「萬葉集」では、"仮名"とみなすべきでない表意文字が主流ということになる。たとえ助詞であっても、意味がある形象文字として扱われていてもおかしくないし、漢文に於ける文法文字として使っている歌人も存在する筈。もちろん、助詞文字は無意味なので、情緒を阻害すると感じるから不要とみなす歌人も出てくることになろう。 「万葉用字格」編纂者はこれらを見て、はたしてどう整理すべきか頭を抱えた筈である。漢字で発想している歌なのに、そこから倭語だけを抽出できる訳がなく、大いに悩んだに違いなかろう。結局、音・訓の区別にたいした意味がないと考えたようだ。要するに、訓音であって、それは倭語の ---目系--- ≪相(𥄢)≫[呉音]サウ[漢音]シャウ[訓]あい =省視 [正訓] 【漢文序】而百王相續 開夢歌而相纂業 ト相而詔之 於是欲<相見>其妹伊邪那美命 且與?泉神<相論> 爲目合而<相婚> 二柱神<相並作>堅此國 孰神與吾能<相作>此國耶 吾能共與<相作>成 此二柱神之容姿甚能<相似> 此者坐外宮之度相神者也 各<相易>佐知欲用 然遂纔得<相易> 見<相議>者也 二柱相副而 故<相感>共婚供住之間 各中挾河而對立<相挑> 往遇于相津故其地謂相津也 在於尾張之相津 布斗摩邇邇占相而 到山代國之<相樂>時 今云<相樂> 故爾到相武國之時 爾自其喪船下軍<相戰> 各不退<相戰> 弟辭令貢於兄<相讓>之間既經多日如此相讓非一二時故海人既疲往還而泣也 吾爲汝命之妻即<相婚> 吾疑汝命若與墨江中王同心乎故不<相言> 彼時吾必<相言> 爾召入而<相語>也 我所<相言>之孃子者 此時<相率>市邊之忍齒王 及人衆<相似>不傾 如此<相讓>之時其會人等咲其<相讓>之状 各<相讓>天下 ---𠆢(人)系--- ≪會(会)(𪩚/㞧)(𣌭)≫[呉音]エ ケ[漢音]カイ[訓]あう/あつまる =合 其會人等(↑<相讓>) ≪合(閤)≫[呉音]ガフ[漢音]カフ[訓]あう/あわせる =人口 【漢文序】握乾符而ハ六合 (日子波限建鵜草葺不合尊)以前爲上卷 各合二神云一代也 答曰吾身者成成不成合處一處在 刺塞汝身不成合處而 如此言竟而御合生子 令占合麻迦那波而 爲目合而相婚 故其夜者不合而明日夜爲御合也 此御子者御合高木神之女 其手見咋合而沈溺海鹽 吾欲目合汝奈何 乃見感目合而 於是其?殿未葺合不忍御腹之急 (天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命) (坂合部連) 誂云伊奢合刀 故爾御合而 如此御合生御子 取其河石合鹽而 合於手白髮命授奉天下也。 ≪佸≫[呉音]ガチ[漢音]カツ[訓]あう/あつまる …非使用 ≪値(值)≫[呉音]ヂ[漢音]チ[訓]ね あたい あう …非使用 ---辶(辵)系--- ≪逢(夆)≫[呉音]ブ[漢音]ホゥ[訓]あう むかえる =遇 詔然者吾與汝行廻逢是天之御柱而爲美斗能麻具波比 乃詔汝者自右廻逢-我者自左廻逢 白猪逢于山邊 遇逢其國主之子天之日矛 媛女逢道 逢難逃時 故逃退逢坂 ≪遇(𫑈)≫[呉音・漢音]グ[訓]あう =逢 遇麗美人 遇于速吸門 亦遇生尾人 往遇于相津 遇跛盲-自大坂戸亦遇跛盲 遇其道衢 遇逢其國主之子天之日矛 遇所後倉人女之船 遇一女人 留其童女之所遇 ≪邂≫[呉音]ゲ[漢音]カイ[訓]あう …非使用 ≪遘(逅)≫[呉音]ク[漢音]コウ[訓]あう/まみえる …非使用 ≪逑≫[呉音]グ[漢音]キウ[訓]あう/つれあい …非使用 ≪遭≫[呉音・漢音]サウ[訓]あう …非使用 ---見系--- ≪覯≫[呉音]ク[漢音]コウ[訓]あう/あわせる みる …非使用 ≪覲≫[呉音]ゴン[漢音]キン[訓]まみえる あう …非使用 ≪覿≫[呉音]ジャク[漢音]テキ[訓]あう …非使用 ---特殊--- ≪交≫[呉音]キョウ[漢音]コウ[訓]まじわる 【漢文序】或一句之中交用音訓 既成童女之姿 <交>立女人之中 入坐其室内 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |