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■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.24] ■■■
[600]呪は倭人の心根だが仏教用語でもある
仏教的な意味合いを入れないようにしていることに気付きにくい領域がある。
稻羽之素菟を取り上げたが📖仏教事項捨象方針の鋭さその箇所も該当すると云えないこともない。倭人の伝統信仰と仏教(密教)が習合してしまったので、現代人にとっては、この辺りははなはだわかりにくいが、触れておかねば。

素菟は単に、「末弟の荷物持が娶ることになる。」と、"となえた"だけ。単なる呪言に過ぎない。外れれば、菟は死んでしまうこともあり得るが、予言通りだった。そこで菟~とされたというストーリー。神話モチーフ類似性はもちろん大いに気にかかるが、ジャータカは仏教の聖典である。太安万侶はそこらを踏まえて注意深く記載していると見た方がよい。
 白:「此八十~者必不得八上比賣 雖負帒汝命獲之」
太安万侶としては、倭の叙事詩を伝えようと考えるなら、この言葉に"慈悲と恩返し"の見方を当て嵌めてもらったのでは拙いのである。と云っても、現代人たる読者はその様な見方から逃れられないが。

天安河の宇氣布うけひも、同様に難しい問題がある。
神意を問うための勝負の前提条件が記載されていないので、おかしな記載と見なされがちだからだ。太安万侶にしてみれば、倭の叙事詩では、因果律的な論理一切不要の世界となるのだが。・・・
正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命は天照大御~の物實から成ったのだから、詔別による統治者認知という点で神意は決着したことになる。
にもかかわらず、速須佐之男命が自我勝というから、正反対の見方をしているように見え、納得しがたいものがあろう。しかし、手弱女を得たから、統治権奪取の気など無いC明な心であることがわかったと云っただけのこと。なんらの矛盾も無い。
菟~と同様に、両神はそれぞれ宣言したに過ぎない。従って、その後、惡態を尽くす速須佐之男命に対して、天照大御~はC明な心を持ち速須佐之男命の行為とみなすしかなくなる。特別な扱いをしているのではなく、自然態である。
しかし、結局、濁心と見なされ、罰せられた上で高天原放逐。その結果、出雲で宮を作ることにする。そこに因果関係を見出しては拙いのであるが、現代人にとってはそうもいかない。
ここは、話の展開に意味を求めるのではなく、ハイライトシーンを味わうべき。それこそが倭の叙事詩らしさだろう。速須佐之男命が発した詔そのものが肝。
  吾來此地 我御心 須賀須賀斯
どうしても地名譚として片付けられてしまうが、畳語が用いられており、清明心にして統治者となると発する言葉としては申し分なかろう。

・・・言葉の威力を示している訳で、これが倭語の特質でもあるし、叙事詩展開の骨格を形成していると考えることもできよう。繰り返すが、文脈そのものではない。
ところが、ここに仏教(密教)が絡んでくると、混乱が生じてしまう。言葉が現実を引き寄せるという観念ではなんらかわらないものの、因果関係をテーゼとするか否かでは正反対だからだ。

当然ながら、「古事記」では<呪>文字は絶対に使わない。天竺のマントラを意味する文字として作られたとしか思えない文字だからだ。
<呪[口+祝]/咒>…「說文解字」非収載
  [漢籍用例]
  漫怛攞マントラ即是真語・・・
    舊譯(龍樹釋論)云呪[一行:「大毘盧遮那成佛經疏」]
  滿怛囉マントラ-呪[「唐梵翻對字音般若波羅蜜多心經」]
  大神咒/大密咒[玄奘譯:「般若波羅蜜多心經」]
  當爾之時誦此伽他及禁呪者
    不為蛇毒之所中害[「根本一說切有部毘奈耶」]
  巫蠱咒詛[「東觀漢記」]

これを代替できそうな文字としては、序文に使われている<誦>しかない。叙事詩を口誦する場合に用いる文字としてはベストな選択と云えよう。・・・
 舍人姓稗田 名阿禮 年是廿八 爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心
 ・・・勅語阿禮 令誦習帝皇日繼及先代舊辭
    (稗田阿禮所誦之勅語舊辭)

<誦[訁+甬] =諷
  [漢籍用例]
  誦詩三百 弦詩三百 歌詩三百 舞詩三百[「墨子」公孟]
  開明南有樹鳥六首 於表池樹木 誦鳥[「山海經」海内西經]
文字化が軌道にのると、この文字は誦文という語彙に用いられるようになるが、意味は呪文。
倭人言葉の肝は、この呪文であることを意味しているともいえよう。

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