→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.8.27] ■■■ [603]死の概念の変遷 ただ、その前提として、神の死があるので、そこらについて触れておこうと思う。 別天神はあくまでも独神であり、他とかかわりを持つ存在では無いという意味だろうから、関係性を断つことになる<死>の必然性はほとんどなかろう。ただ、隠れてしまうという現代人からすればほとんど類似の概念はあるものの、神の<死>という概念をどう理解するかという問題もあり、簡単に云々し難いところがある。 ともあれ、倭人の考える宇宙創世期には<死>という概念はなく、存在するのは生命力のみ。ところが、突然、神を生み続けて来た伊邪那美命が"神避"るという、コペルニクス的展開が発生する。伊邪那岐命によって"葬"が行われた以上<死>そのもの。 その原因となった火神を、伊邪那岐命が体をバラバラにするほとに斬殺したとのストーリーが続くから、表記は無いものの<死>が続くことになる。 この先が現代感覚との乖離が激しいところで、死んだ伊邪那美命は、目視すればその実態は腐り始めている遺骸そのものだが、生きている状態で活動し、伊邪那岐命と普段通りに対応できる。 そして、伊邪那岐命が異界との交流を諦めた時点で、伊邪那美命は青人草<殺>を宣言し、これを以て、ヒトの<死>が始まったことになる。従って、伊邪那美命は、以後、黄泉津大神となる。 その次は大宜津比賣神が殺されることになる。ここで一段落し、殺大穴牟遲神のハイライトに繋がる、殺されても復活するからだ。しかし、同じ出雲でも、降臨した天若日子の死からの復活話は無い。次第に、ヒトと神の違いが薄れているように思われる。 最終的には、大山津見~の宇氣比で、天皇命等之御命不長也となり、神の観念が現代とほぼ同じになったということだろうか。 <死/𣦸[歹(残骨)+人]>[呉音・漢音]シ[訓]し-ぬ ころ-す [正音] [借訓] 「古事記」では音素文字としては使っていないが、「萬葉集」では存在するし、読みは工夫。・・・e.g.死奈麻死物呼[死なましものを] 将死還生[よみがへりなむ] ---死 用例--- 是以一日必千人死 一日必千五百人生也 天衣織女見驚 而 於梭衝陰上 而 死 即於其石所燒著 而 死 其父大神者 思已死訖 自其矢穴衝返下者 中天若日子 寢朝床之高胸坂 以死・・・ 皆哭云 我子者不死有祁理 我君者不死坐祁理云・・・ 何吾比穢死人云而 到紀國男之水門 而 詔 負賤奴之手乎死 矢刺 而 追入之時 乃己所作押見打 而死 疫病多起 人民死爲盡 即射建波爾安王 而 死 宇氣比其鷺墮地死 到山代國之相樂時 取懸樹枝 而 欲死・・・ 又到弟國之時 遂墮峻淵 而死 登岐士玖能迦玖能木實 持參上侍 遂叫哭死也 天皇 既所以思吾死乎・・・猶所思看吾既死焉即入海共死也 即與己妻 乃給死刑也 如此歌 即共自死 至埋腰時 兩目走拔而死 入坐于隨家 之王子者 死而不棄 今殺吾 故以刀刺殺其王子 乃切己頸以死也 ---殺 用例--- 所殺迦具土神之於頭所成神名 正鹿山津見神 汝國之人草 一日絞殺千頭 以爲穢汚而奉進 乃殺其大宜津比賣神 故所殺神於身生物者 於頭生蠶 爾八十神怒 欲殺大穴牟遲神 共議而・・・必將殺汝云而 打立其木 令入其中 即打離其冰目矢而 拷殺也 其鳴音甚惡 故可射殺云進 即天若日子 持天神所賜天之波士弓 天之加久矢 射殺其雉 迫到科野國之州羽海 將殺時 建御名方神白 恐 莫殺我 如此歌而 拔刀 一時打殺也 娶其嫡后伊須氣余理比賣之時 將殺其三弟而謀之間・・・ 驚乃爲將殺當藝志美美之時・・・ 殺當藝志美美 故持兵入以 將殺之時 手足和那那岐弖 不得殺・・・ 吾者不能殺仇 汝命既得殺仇 故吾雖兄 不宜爲上 是以汝命爲上 治天下 又日子坐王者 遣旦波國 令殺玖賀耳之御笠 以此小刀刺殺天皇之寢・・・故當殺天皇云而 作八鹽折之紐小刀 然遂殺其沙本比古 其伊呂妹亦從也 意禮熊曾建二人 不伏無禮聞看而 取殺意禮詔而遣・・・即如熟苽振折而 殺也 ・・・即入坐出雲國 欲殺其出雲建而・・・拔其刀而 打殺出雲建・・・ 乃打殺也 故登立其坂 三歎・・・是化白猪者 其神之使者 雖今不殺 還時將殺而 於是大山守命者 違天皇之命 猶欲獲天下 有殺其弟皇子之情 入山谷 汝必殺食是牛 即捕其人 將入獄囚 其人答 曰吾非殺牛 天皇聞此歌 即興軍欲殺 爾速總別王 女鳥王 共逃退而・・・ 故自其地逃亡 到宇陀之蘇邇時 御軍追到而殺也 殺墨江中王而・・・ 以爲 曾婆訶理 爲吾雖有大功 既殺己君 是不義 故天皇 大怒 殺大日下王而・・・ 汝之子目弱王 成人之時 知吾殺其父王者 聞殺其兄 不驚而怠乎 即握其衿控出 拔刀打殺 今殺吾 故以刀刺殺其王子 乃切己頸以死也 將斬之時 其婇白天皇 曰莫殺吾身 即興軍 圍志毘臣之家 乃殺也 天皇 深怨殺其父王之大長谷天皇 殺石井也 「萬葉集」での<殺>文字使用は2首のようで、生命を断つという意味ではなく、熊野街道の難所切目崎あたりの山の名称に使われたりと、[義訓] [巻四#688]青山乎 横殺雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名[青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな] [巻十二#3037]殺目山 徃反道之 朝霞 髣髴谷八 妹尓不相牟[殺目山行き返り道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ] ---葬 用例--- 故伊邪那美神者 因生火神 遂<神避>坐也・・・ 故其所<神避>之伊邪那美神者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也 定石祝作 又定土師部 此后者 葬狹木之寺間陵也 是四歌者 皆歌其御葬也 故至今其歌者 歌天皇之大御葬也 故其大山守命之骨者 葬于那良山也 於其蚊屋野之東山 作御陵葬 ---殯 用例--- 坐殯宮 ---崩 用例--- ①到紀國男之水門而詔 負賤奴之手乎死 爲男建而崩 _故天皇崩後 ⑪將來之間 天皇既崩 ⑬歌竟即崩 ⑭既崩訖 爾驚懼而 坐殯宮 _一具喪船 御子載其喪船 先令言漏之御子既崩 _既崩故無可更戰 ⑮故天皇崩之後 _然宇遲能和紀郎子者早崩 ⑲天皇崩之後 ㉒故天皇崩後 ㉓故天皇崩 ㉕天皇既崩 崩御は"神上がる"と読むことになっているが、昇天することを示唆する話は無い。「萬葉集」には崩をこの意味で使っていないが神上の例はある。[巻二#167:柿本人麻呂]天の原 岩戸を開き 神上り[天原 石門乎開 神上]もともと、天皇という文字自体は後世のものだから、それに対応する崩も同じことなのだろう。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |