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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.9] ■■■
[655]霍公鳥登場せずの意味
「古事記」では霍公鳥ほととぎすは全く登場してこない。📖「萬葉集」鳥登場歌
コレ、太安万侶の見識を示すと言えるかも。
と云うことで、その辺りの話をしておこうと思う。

霍公鳥は「萬葉集」で用いられている語彙で、音素文字表記されることもあり、保登等藝須ほととぎす冨等登藝須ほととぎすの2種が使われている。その数が余りに多いので、用例は取り上げないが、一見、表記方法が確立しているかに見える。
しかし、そうでないことはよく知られている。

そもそも、全く異なる鳥である郭公かっこうの表記文字が郭公ほととぎすとして使われているからだ。わざわざ混乱させているのだが、そうは思いたくない人が多いので、ここらの解説は要領を得ない書き方になっていることが多いがそれでOKとされている。長いモノには巻かれろの文化で埋め尽くされている感があるが、つまらぬ事に目くじらをたて、異端者扱いされてもこまるから当然の状況といえよう。

一応、当たり前の考え方を書いておこう。・・・
誰が考えたところで、鳴き声が"てっぺんかけたか"@日本あるいは"クェン"@震旦と見なされている<ほととぎす>と、"Cockoo"と聞こえる<かっこう>を間違える訳がなかろう。(驚くことに、<ほととぎす>の由来は鳴き声だとされている。現代の知恵では、こんなことは、論理的に説明などできないので、議論は水かけ論でしかなく意味はとてつもなく薄い。多くの説は大御所か昔の人の説であるが、それは思い付き以上ではない。この結果、明らかに間違いと感じさせる説も少なくないし、カルト的な解釈本は探せばいくらでもあるに違いない。)と云うか、鳴き声での名称は一番ありそうだが、重要なのはコミュニティ毎にかならず標準化され1つに集約される筈で、複数存在する場合は、文化的に障壁があるコミュニティが存在していることを意味するからだ。
それを前提にすれば、見かけも鳴き声も異なる鳥で呼称も異なると云うに、文字表記を同一にするなどおよそかんがえられぬこと。恣意的な混乱であると見なす以外にあるまい。

そんなことは、文字を見れば一目瞭然。そもそも霍公鳥は漢語ではなく、基本漢語は杜鵑トケンなのだ。
ところが、大陸では、<杜鵑>で統一するつもりは全く無かったようで、数々の異名が生まれた。・・・要するに、これを模倣して、日本でも異名作成に励んだと云うことの様だ。「萬葉集」段階では、一文字違いの田鵑でなく、全く異なる<霍公鳥>を用いることで満足したようだが、そのうち漢籍読破が大流行りになってしまい、羽目が外れてしまったようである。
それこそ、現代迄の用例徹底的に探索すれは100に近いかもという程の大量生産。それこそ、恐れ入りました、のレベル。

口誦叙事の文字表記に頭を悩ましている人間からすれば、冗談もほどほどにしてほしいと感じる事態が、「古事記」後、つまり文字表記によって生まれてしまったことになる。

「古事記」に於ける異名には、それなりの意味があり、無文字社会で勝手に名称を変えても相手は全く理解できないから、そのような創造的御仁は馬鹿者以外の何者でもないが、文字表記になるといくらでも呼び変えができ、読む方はその意味を察することができるから状況が一変した訳だ。

考えてみれば、漢語が公式用語となり、文芸漢籍読破ブームが発生してしまえば、読み替え・当て字等々、ピンからキリまでの様々な表記が生まれて当然だろう。知的バトルもあれば、冗談まで用例はいくらでもあろう。文字読みの楽しさを謳歌する時代到来であるが、所詮は流行りモノ。
なんとかして消え去る口誦伝承の叙事を残そうと、太安万侶が呻吟して生み出した表記文字作品とは根本が異なる。

文字導入を嫌う社会に於いて、「古今和歌集」で爆発した言葉のお遊びなど、およそ現実離れした話なのは当たり前なのだから。
ただ、このブームの面白さは、「古事記」の様な地文-歌が一体となった物語性へのノスタルジアが濃厚なこと。言葉のお遊びをすることによって、そこに、そこはかなき物語性の息吹を吹き込むことに成功しているのいである。独立した三十一文字ですべてを表現するのだから、使う言葉の抽象性を突き詰めていくことに徹底的に注力するしかないのだから、当然と言えば当然の姿勢ではある。
実際のところ、ホトトギスがどう表記されているのか、網羅的記載は到底無理だが、とり急ぎ寄集めて見た。もちろん、一知半解的整理でしかないが。・・・

≪漢語・音読妥当な渡来語≫
杜宇トウ
(「禽經」)・望帝
蜀之後主 名<杜宇>号<望帝> 譲位鼈霊望帝白逃後欲復位不得死為鵑 毎春月間 昼夜悲鳴 蜀人間之日 我望帝魂也
  杜鵑トケン鵑≒啼声
子規シキ/秭歸/子雋/子鵑/子鳺・鶗鴂/催歸/思歸
蜀魂ショッコン蜀魄ショクハク蜀天子ショクテンシ・蜀鳥
周燕
(「說文」)/巂周
不如歸(去)フジョキキョ
(or 帰り去くに如かず)・思帰鳥・催帰
怨鳥エンチョウ
陽雀(鶗鴂)・寃禽・謝豹

「荊楚歲時記」:杜鵑初鳴 先聞者主別離 學其聲令人吐血 登廁聞之不祥 厭法 但作狗聲應之
劉敬叔@六朝の宋:「異苑」(胡震亨@明 輯):有人山行 見一群 聊學之 嘔血便殞 人言此鳥啼至血出乃止 故有嘔血之事…山を行く人有り。(鳥)の群れを見て、いささかコレを学ぶ。血を嘔きすなわち死す。人が言うに、此の鳥啼くと出血し、やがて止まる。故に"血を嘔くの事(杜鵑血を吐く)"と。
揚雄@西漢:「蜀王本紀」:為蜀望帝淫其臣 鱉霊妻 乃禅位亡去 時此鳥鳴 故蜀人見杜鵑鳴 而 悲望帝 其鳴如曰不如帰去
(李時珍:「本草綱目」1596年 禽之三#16杜鵑)杜宇為望帝 淫其臣鱉靈妻 乃禪位亡去 時子規鳥鳴 故蜀人見鵑鳴而悲望帝
(鄭樸@明 輯)望帝去時子圭鳴 故 蜀人悲 子圭鳴 而 思望帝 望帝 杜宇也 從天墮…望帝が去った時ホトトギスが鳴いた。よって蜀の人は悲しんだ。ホトトギスが望帝を思って鳴くと。望帝は杜宇のこと。天より堕ちた帝である。
常璩@東晉:「華陽國志」蜀志
蜀又稱帝此則蠶叢自王杜宇自帝皆周之叔世安得三千歲且太素資始有生必死死終物也自古以來未聞死者能更生當世或遇有之則為恠異子所不言況能為帝王乎碧珠出不一處地之相距動數千里一人之血豈能致此子䳌鳥今云是嶲或曰嶲周
今案說文云:蜀王望帝婬其相妻慙亡去為子嶲鳥故蜀人聞子嶲鳴皆起云望帝嶲戶圭切所言與蜀志所述相似爾雅亦云嶲周子嶲鳥也出蜀中

≪創出語≫
吉田兼右[撰]:「古今倭歌集灌頂口傳」㐧六郭公之事  n.a.:「毘沙門堂本古今集注」@鎌倉後期  「古今秘抄」@室町期(加茂別雷神社三手文庫)  等々
沓手鳥くつてどり/沓代鳥/沓公鳥・堀田鳥くったどり
苦帰楽鳥クキラチョウ
妹背鳥いもせどり戀鳥こひしどり
時(津)鳥ときつどり/初時鳥・夏来鳥/山時鳥・卯月鳥うづきどり早苗鳥さなえどり弥生過鳥やよいすごどり三月過鳥みつきすごどり
勸農鳥カンノウチョウ田長鳥たおさどり田歌鳥たうたどり田中鳥たなかどり・田鵑
  文目鳥あやめどり/菖蒲鳥・橘鳥たちばなどり
綱鳥あみどり大虫喰おおむしくい
襤縷鳥ランルチョウ
閑古鳥かんこどり/閑子鳥・呼子鳥よぶこどり/呼児鳥/喚児鳥/喚孤鳥・童子鳥うなゐこどり合法鳥ガッポウチョウ
黄昏鳥たそがれどり夕影鳥ゆうかげどり魂迎鳥たまむかえどり/魂九十九鳥・賎鳥しづどり死出田長しでのたおさ/四手田長/土田田長・夜直鳥よただどり射干玉鳥ぬばたまどり偶鳥たまさかどり
  無常鳥ムジョウチョウ冥途鳥メイドチョウ/冥土往来鳥・常夜鳥とこよどり・常言葉鳥
≪かっこう系≫
郭公
斯戀かくこふ恋鳥こひしとり布穀鳥ふふどり/布谷鳥・布穀・獲穀・粟蒔鳥・種蒔鳥・豆蒔鳥
儲鳥かほとり/容鳥/㒵鳥/杲鳥・箱鳥はこどり

≪誤≫
鷤勞(伯勞)…もず:百舌鳥、鴛鳥…おしどり:鴛鴦、etc.
まだまだ色々ありそう。漢籍での誤例であるから、間違いではなく、恣意的な表現箇所かも。

【お勧め参照】
例えば、金井紫雲:「東洋画題綜覧」@Open GadaiWiki/立命館大学アート・リサーチセンターや本草関係の類書。
…灰色の脳細胞に刺激を与えてくれそうなのは、分野外の見方では。見かけ分析整理的な博学書であっても、著者の概念形成過程が読み取れる場合が少なくないからだ。

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