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■■■ 「古事記」解釈 [2023.4.19] ■■■
[665]本文のプレ道教性[7]墨子的
「古事記」と道教との関係を考えているのに、墨子の話を始めれば、脱線もいいところだが、分析思考から脱却するには格好の題材でもあるから、敢えて書いておこうと思う。
(そもそも「古事記」は実に不思議な珍しい書物である。翻訳書でもないのに、道教讃と間違えかねない様な美麗な純漢文の序文から始まる。さらに、切れ目なく非漢文たる本文が連続記載されるが、ほとんどまともには読めない漢語風漢字列であり、読者が勝手に倭文として読む以外に手はない。しかも、リズムが重要な"倭歌"が一体化して組み込まれており、この箇所は一倭語音1音素文字で表記されている。これほど滅茶苦茶と言えるほどに錯綜している書を作り上げようと考える人は滅多にいまい。
他に表記方法がなかったから致し方あるまい、で納得する現代人が多いのだろうが、権威を重んじる姿勢で執筆している筈の官僚が見せる姿勢ではなかろう。
どうして、そのような方針で臨んだのか、その辺りを考え始めると、ドツボに嵌りかねないので避けるが、大陸に於ける墨子の立ち位置を考えると、多少は太安万侶の姿勢に納得感が生まれるかも知れないので、オマケ的に書いておこうと思う。)


くどいが、中華帝国とは儒教を根底にした100%権威主義の天子独裁-官僚統制国家。
そんな社会での、"百花斉放百家争鳴"とは言葉の綾でしかない。いかに自由闊達な状況かを描いたところで、ほとんど意味は無い。目的は、千差万別的部族を独裁政権下に集約統治するための一歩だからだ。
要するに、抽象的議論をさせることで、部族神話に寄りかかってきた思考を一掃することに、最大の眼目がある。(口誦神話=IDの社会を、思想文書=IDの組織へと脱皮させる動きで、官僚統治機構を機能させるには不可欠な動き。)勝手に自己主張しているように映るというか、独裁者がその様に喧伝するからそう思い込まされているだけのこと。多少の揺らぎはあるものの、天帝存在論を確認し、天子は天命を受けていることを了解した上での主張でしかない。
ここを見逃すと、儒教社会の本質をとらえそこなってしまう。・・・独自神話を伝承している真正血族(母系は間違うことは無い。)社会から、専制組織たる宗族社会(擬制血族の男系長子継承の完璧な独裁組織。継承は方便が効く。)への転換がこの議論で一気に進んだと見て間違いない。神話は完璧に骨抜きにされ、部族の紐帯は擬制血族観念へと変貌させられ、宗族という強権専制組織の社会に変えられたことになる。

この過程は、同時に、この様な儒教国家樹立の反対派をあぶりだす仕組みでもある。歴史解説がどうなっていようと、この結果が<儒教, & others v.s. 墨子>現象。
ここらの捉え方が概念思考か否かのメルクマールでもある。
(尚、フラグメントな部族社会を"見かけ"温存したまま国家にまとめることは、インターナショナルな宗教が普及しているなら、それほど難しいことではない。例えば、最高宗教学者に国家最高裁判官的権威を付与し、親衛隊を持たせて、軍事独裁国家化すればよいだけ。非独裁型としては、部族長大会議[ロヤ・ジルガ]型統治もあり得ないでもないが[国王は名誉的存在]、鎖国可能な障壁が無い限り、ご都合主義的に外部勢力を引き入れる部族が生まれる可能性があり、そうなると一気に崩壊するから、現実性に乏しい。
要するに、"百花斉放百家争鳴"とは、独裁者による意図的な"ロヤ・ジルガ"風政策で、潜在的反中央勢力の伸長表面化を促し、一気に花から芽まで全てを刈り込む政治手法。さらに、この過程で、独裁強化に必要な勢力が見えてきたら早速取り込む。もちろん、不要になったり、取り込み不成功だと、即座に切り捨て。ここらは徹頭徹尾合理主義。儒教型国家の官僚制とは、内部での角逐が熾烈なため、こうした動きは権力闘争と繋がらざるを得ず、自動的に進む構造になっている。)


・・・長い前置きだが、<鬼道>問題をどう見ているか、なんとなくおわかりいただけただろうか。

一般にはプレ道教として、神仙=黄老思想が当たるとされる。(老子が教義を述べ、後漢の張陵が教祖。)さらに、それとは別に、道家が組織的萌芽を形成したとの意見もよく見かける。従って、西欧的タオ的に受け取っておくのが一番安直でもあり、適当にお茶を濁ごしておくことにしたいところだが、そうもいくまい。
フツーの人なら、これらが関係ありというのは、創設された教団側の都合であるとしか考えようがない訳で。ただ、中華帝国の風土から考えれば、その方が勢力を伸ばすのに好都合ということであれば、そうなって当然といえる。・・・e.g.幸田露伴の指摘

道教とは、明らかに、広大な中華帝国の各地場の呪術的信仰を寄せ集めたもの。そのようなゴチャ混ぜをまとめるために、識字層(官僚中心)が依拠していそうな思想/宗教を組み込んでいるに過ぎない。根は雑多な民俗信仰であるが、身分が2つに分かれている国なので、識字支配層側の信仰はいち早く教団化することになるだけで、経典・教義は後付けなので、人気の観念が全て持ち込まれることになるだけのこと。
その方針は単純明快。実際の生活場面に官僚統制型の儒教様式を持ち込まないこと以外には無い。墨家だろうが、道家だろうが、易家、書家、小説家、なんでもござれ。なんだろうと、一世風靡すればそれが道教の顔として働くことになる、極めて多面的な宗教と言える。

唐代のインテリ官僚の書「酉陽雑俎」は、膨大な"事実"の記録書であるが、壺・貝の対比を描いてくれているので、そこらがよくわかる。幸田露伴の指摘を待つまでもなく、宇宙觀や神觀は婆羅門教由来以外考えられない訳で、模倣と詳細化は儒教的官僚統治文化そのもので驚くに当たらない。(中華帝国文化は、官僚が新しい文化のタネをいち早く見つけて来て模倣を試み、成功すれば、元の痕跡を消すことで、独自創出と歴史を書き換えることで、成り立っている。芸術関係はほとんどソグド由来。科学についても日清戦争敗退後に大日本帝国模倣に踏み切ったことか発祥。)儒教国家は、個々人の精神まで管理することで社会安定性を図る仕組みである以上、内部から新文化創造者が現れる訳がない。
それがわかっていれば、<教団道教>とは何を意味している組織かは自明。「酉陽雑俎」をまともに読めばすぐわかる。・・・
  「天命が下った。」と触れ回る。
  皇帝へ直接的に養生を指南する。
  王朝永続祈願の特別儀式を行う。
教団になれば、事細かな教義は作られることになるものの、それは官僚組織に受け入れてもらうための労作以上ではなかろう。
このために教団自体も官僚型組織にならざるを得ない。しかし、教団所属であろうが、個としての道士は、民俗的呪術師そのもの。当時としては、知識人の一面も。
これ以外は、呪術/秘術・科学等々の個人プレーヤーとしての活動であって、教団と民俗が分裂していると考えない方がよいと思う。

要するに秘術的呪術集団であって、儒教国家における補完的役割を100%果たしていることになろう。皇帝支配地内の、本来的にはバラバラの地場呪術者達を、名山三百六十・福地七十二的な御墨付を与えることで、ネットワークを作り上げたということ。📖
儒教を曖昧に捉えるため、そのことが覆い隠されているともいえよう。・・・儒教国家は識字支配層(官僚クラス)と被支配層に2分することで、専制政治の安定化を実現している訳だが、恋愛や芸術といった精神の自由や、創造性発揮を殊の外懼れており、個人的意志を制度で縛ることを究極の幸福としている宗教である。客観的に見れば、天命を受けた天子の独裁下で一糸乱れぬ人民国家を実現しようとの思想に他ならない。ただ、思想と言っても宗教であることは、天帝と擬制血族祖を最高~とし、専制組織の世界観を共有させることから、宗教であることは歴然としている。ところが、そこらが巧妙。官僚制度のバックボーン思想となり、宗教としての扱いを避けることで実質的国教化に成功したと見て間違いない。(おそらく、祭礼葬儀を司る儒家ならよいが、儒"教"の宗教家とは呼ばれたくない組織が出来上がった筈。儒家の思想"洗礼"なくしては官僚にはなれないというのが科挙の本質。儒教的倫理観とは、宗族第一主義下での合理的行動指針でもあるから、権謀術数的角逐-血みどろの権力闘争-賄賂収賄の類を是認しながら、表向きはそう呼ぶなという呼びかけ以上ではない。恐ろしく残酷無比な専制政治を、そう感じないようにする方策に過ぎない。そんな社会で生き抜くには、やられる側にならないように始終注意を図る必要があり、先手を打って犠牲者を作り出すしかない。その様な社会を好む人は決して少数ではない。)

一旦、儒教型社会が形成されてしまうと、脱却は至難の業であり、何千年に渡って続いているのは道理。
「酉陽雑俎」の著者である、当代随一のインテリ官僚の見方を知れば、それがよくわかる。奴隷からソグド人、道士や仏僧とも懇意であり、優秀で創造性溢れる人々との交流を愛していたが、もちろん科挙には反対だし、仏教は早晩排除されることもお見通し。

ダラダラと書いてみたが、勘のよい人なら、何を考えているかわかったかも知れない。・・・要するに、日本国には"絶対的に"道教は入って来ることは無い、との見方。教団云々の話とは違う。(「古事記」序文と本文の余りにも違うトーンからすると、太安万侶はそれを理解していたことになろう。)
しかしながら、その信仰の断片は日本国に広く深く入り込んでいるのは事実。分析すればするほど、日本は道教を取り入れて来たと確信に至るに違いない。ところが、宗教というコンセプトの原点に立ち返って考えてみると、その信仰は流入していないと断言できる。それだけのこと

<墨子>は反戦の意志を高らかに宣言し、儒教と先鋭的に対立し、侵略行為に実戦=実践行為に踏み切った勢力。戦乱の世であるから、儒教を凌駕する最大の勢力だった可能性もあろう。世間一般の祭祀対象である鬼神信仰の宗教勢力で、鬼神信仰を"深く考えるな"という儒教より、一見、社会に親和性が高くてもおかしくないからだ。
しかし、だからこそ、結局のところ社会から抹消されたのである。道教はそれを教訓にして生まれた勢力ということになろう。儒教のアンチテーゼ的な信仰として。しかし、墨子も道教も、儒教補完的な勢力でしかなく、本格的対立は無理筋。
墨子も道教も、宗教として、最高~を設定しており、それは儒教が明確に設定している国家の臍であるところの天帝だからだ。どの様に教義を変えようが、ここはかわらない。道教の宇宙のコンセプトの土台は、天界(最高~天帝の存在地)-人間界(天子・官僚・被支配者の世界)-地界(死者の魂たる鬼神の世界)で、これに様々な観念を取り込んで精緻化したに過ぎないからだ。天帝命-皇帝独裁-官僚統治という儒教の国家構造となんらかわらないどころか、それを後押ししていると見ることができよう。
儒教はここに、擬制血族の宗族観念を持ち込んだ宗教。血族死霊祭祀を宗族祖に代替させたとみることができる。巧妙なのは、ここの教義の精緻化をさけ、地界の神々との間に一線を引いたこと。と云うか、当たり前だが、宗教として云々されると宇宙観を云々されて窮するからである。
ともあれ、この宗族を明確にさせたことで、ミクロでも、絶対統制組織を構築させることに成功。これにより、天子独裁と宗族長独裁が連結させられ、巨大な国家主義の帝国が樹立されることに。実態的には、残忍な専制統治が社会の隅々まで行き渡ることになる訳だ。この帝国化に失敗すると果てしなき戦乱状況に陥る。まさに2択の社会。風土的に、前者が好まれて当たり前では。
重要なのは、宗族というコンセプト。どう見ても、部族社会から来ているが、天子独裁社会に於ける宗族繁栄とは、支配層内での熾烈な競争の勝者を意味する。常に勝者側に付き、敗者を潰す風土が自然にできあがることになろう。従って、敗者の宗族は、子々孫々迄、それを仕掛けた勝者を抹消させることが義務とされてしまう。この状況で、安定した社会を続けるための一番安易な方針は、誰が考えても、帝国膨張路線になろう。それが難しいとなれば、警察国家体制へと邁進する以外になかろう。

・・・「古事記」が記載する倭国は、統治の正当性が天命-天子の構造になっておらず、自然発生的に成立した対偶神が、境界が明確な8島列島を生むことから国家が始まるストーリーであるため、儒教や道教という≪宗教≫を取り入れるのは無理がありすぎ。天皇統治の正統性はこの対偶神の血統を引き継いでいること以外にないからだ。
たまたま儒教は、宗教でありながら、宗教と見られないようにして振舞うことも可能なので、中央集権国家の基盤たる儒教を表立って導入することが可能なだけ。道教は、教義が皇統譜国家と相容れないから、取り込む鋤がない。
そもそも、道教はバラバラな各地土着の信仰を土台として、新たな観念や法術を駆使する呪師や祭祀者を集めただけ。官僚統治に向くように組織化された宗教勢力とも言えよう。そのお蔭で国家管理の仏教同様な教団に成長していったと見た方がよかろう。
教義内容から、老子・神仙⇒道教としがちだが、支配層に於ける心情的アンチ儒教の役割を果たしながら、天帝が最高~という絶対信仰を堅持するのだから、実質的な儒教補完役ということで、墨子⇒道教と見なす方が中華帝国の宗教としての本質を突いていると思う。

従って、このように解釈することになる。・・・
「古事記」の道教的記載は、道教から渡来といえなくもないが、それは道教の信仰ではなく、道教以前のもの。すべて、道教とはなんのつながりもなかった観念であり、儒教が拾い損ねたか、反儒教に繋がりかねないので、道教に一緒くたにされただけ。
儒教祭祀は、宗教とは異なる言いくるめ、皇統観念を否定していないということにして、導入可能だが、その補完宗教で天帝最高神とする道教は流石に導入はむずかしかろう。しかし、道教が抱える方術とは、現代からすれば迷信的に見えるかも知れないが、当時としては現代科学のようなものであったから、個別に導入されて当然である。この点では、インターナショナルな情報を入手できる仏僧の方が一枚上手だったようだ。

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幸田露伴:「道教に就いて」1933年外面的に考察して、道教が宗教として成立つに至つたのは、後漢からで、道家神仙家の一家として成立つてゐるのは既に前漢若くは其前の時であるから、おのづからにして此は此、彼は彼である。況んや道教の本幹を爲す宇宙觀や神觀は明らかに道家にも神仙家にもない別途のもので、むしろ婆羅門教に類するものであるに於て、道教と黄老・神仙との關係は大讓歩して姻戚關係ありとするも、親族關係ありとするのは當らないことである。
「漢書」卷三十 藝文志第十
≪六藝≫易家 書家 詩家 禮家 樂家 春秋家 論語家 孝經家
≪諸子≫儒家 道家 陰陽家 法家 名家 墨家 從家 雜家 農家 小說家
≪詩賦≫賦家 雜賦家
≪兵書≫兵權謀家 兵形勢家 陰陽家 兵技巧家
≪數術≫天文家 曆譜家 五行家 蓍龜家 雑占家 形法家
≪方技≫醫經家 經方家 房中家 神僊家

…墨家だけは(墨子)で明快だが、一般解説での他の諸家とは、儒家(孔子・孟子・荀子) 道家(老子・荘子) 法家(商鞅・韓非・李斯) 兵家(孫子・呉子)とされている 。…藝文"志"の記載分類をフ〜ンと読まない方がよい。国史とは違って、これらの"家"がその分野の漢籍を担当している訳で、古代から綿々と一字一句たりとも"墨"守する方針の場合もあるが、天子の意向を忖度したり、官僚層との意見交換に基づいて、国家的信仰上の観点から、改訂・加筆や、はたまた大胆な削除、果ては統合・分割を旨とする進化型もありうるからだ。だからこその"家"であって、後世になると単なるジャンル表現になってしまうが、儒教国家では、家には必ず祖が規定されており、その根底には儒教の宗族観念がある。例えば、老子とは"李"姓の宗族祖。その祖を祀り、その命に従って、天帝の命を受けた天子を支えながら、家を繁栄させるのが家長の使命。当然ながら、家毎に方針は異なる。

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