→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.5.5] ■■■ [681] ユーラシア古代文明の残渣[9]文字表記化の衝撃(続) 論旨はわかりにくかったと思うが、ポイントは、周囲が様々な言語群にかこまれている、孤立語ブルシャスキー@パキスタン北東渓谷の見方。特殊で孤立していると言うより、周囲の全く異なる言語を、独自に取り込んだから、ゴチャゴチャ感を生み出しているだけ。鵺的存在ということ。 従って、その祖の姿を見つけようと思ったり、一番似ている言語を探そうとすると、とてつもない労力が必要になり、多分、成果はあがらない。 ・・・日本語は、話者の規模が大きく、その面積はインダス圏の広さであり、中華帝国と海を隔てた場所にあり、両者の比較自体意味が薄いと考えるのが普通だろうが、小生は、ココにこそ、倭語の本質を探る上での重要なヒントが隠されていると見る。 と言うか、西欧語や漢語とは、見た瞬間に、倭語とは全くの別言語としか思えないから、すぐに他言語族との関係を考えることになりがちだが、その姿勢には疑問を感じる、と言う事でもある。 どうなるかと言えば、素人でも想像がつく。 台湾非漢語諸語はどう見たところで、一部類似に過ぎないから、歴史的に関係があるのは間違いないツングース語族と"元-モンゴル"系に、同根の兆候を探すことになろう。ところが、さっぱり埒が明かない。 そこで、突然に、タミルを持ち出したりもするが、従来通りの民族的系譜や言語論での形態類似性を検討することになるのだから、そこから肯定的見解が出てくる筈が無かろう。 従って、非政治的で真っ正直に言えば、祖未詳とするしかないし、今後見つかる可能性もほとんどない。 そのインプリケーションは至極簡単だが、避けることになっている。日本列島以外の日本語語族は、周囲の異なる語族に属す民族によって、すべて滅ぼされたとするしかあるまい。それはあり得ないとなれば、この状況では、自動的に、無理筋のアーリア語族とするしかなかろう。しかし、できることは限られており、形態的に似ている部分を超重視するとか、不可能である半島古言語推定を行って半島との同根説を打ち出すしかない。(1100年以前の文字資料は全て焚書化されている。これにより、半島の小中華思想儒教国はフィクションで過去を定めることが可能。半島の古言語推定とは、その手法以外の何者でもない。中華帝国には、辺境に逃れた少数民族が古言語の残渣を抱えているので、推定可能だが、半島では少数民族は完璧に絶滅させられており、何の残渣も残っていない。言うまでもないが、漢字表記地名の古代の呼び方は推定不可能。) ところが、孤立語ブルシャスキー的な混淆言語と見なすなら、どうということもない。 以下に、周囲の言語状況をざっとまとめてみた。 台湾の語族とは、文字表記化を嫌ったフラグメントな部族語。いかにも、流れ流れて来た逃亡民達との印象。さらに、大陸からの圧力を感じ始めると、無謀にも太平洋の諸島へと逃れる部族も存在したようだ。被支配嫌悪感の凄さは驚異的である。(オーストロネシア語族の形成) しかし、現実にはこの島は、大陸からの植民が進み混血化。ソリャ、部族連合で帝国の武力に対抗できる訳がなかろう。結局のところは、漢語化され漢族化(儒教を基底としているだけで民族では無い。)が完了。 部族バラバラでは、連合したところで、国家観が無いから当座の都合で集まっているにすぎず、命を懸けて戦う軍隊組織構築は生まれないし、損得勘定で裏切りも出て来る。国家には、こうした勢力の内情をいかに探って、どの様に武力で平定するかの知恵が文章化されており、始終検討されているのだからどうにもならない。諦めるか、手の届きにくい地に逃亡するの2択を迫られることになる。 倭人は、台湾の二の舞を避けるべく、雑種混交化を図ったように思える。インダスから逃れたドラヴィタ人のうち、国家化して文化を守ったタミル人の知恵と同じである。おそらく、文芸的に評価に足る古代伝承叙事詩が残っているのは、インド亜大陸では、サンスクリット語とタミル語だけではなかろうか。タミルの周囲には、国家化せず無文字のママのフラグメントな同語族の少数民族が沢山存在していると思われる。([南]タミル-マラーヤム-コダグ-クルンバ-イルラ-コータ-トダ-カンナダ-バダガ コラガ-トゥル-ベラリ [中南]ゴーンディー-コンダ-クーイ-クーヴィンガ-コーヤ-ペンゴ テルグ [中]ナイキ-コーラーミー-オッラーリ-パルジー [北]マルト諸語-クルク語-ブラーフーイー語) しかし、一般的には、雑種化は簡単には進まない。たまたま、倭人は、言語を互いに合わせて"なんとなく"一緒にすることに長けていたから可能だったのだろう。 そのメルクマールが、述部言語と見てもよかろう。構文と言えないこともないが、文法的に云々するほどのことがない、一番単純な方法というに過ぎまい。細かい点まで聴かせたいなら、説明語彙を前置するだけ。実に単純明快で、構文文法を叩き込まれている人を除けば、誰でもすぐわかる筈。・・・ 文の構造が柔軟性に富んでいるから、言語の固定化でもある文字表記化は当然ながら避けることになろう。 雑種化を旨とするのだから、語彙は同義両立かまわず主義が貫かれる。そのうち1つになるかも程度の姿勢と言えよう。 あくまでも相対話語の社会だから、オノマトペなら、情緒さえ共有できれば伝わるので、多用されて当然。ただ、音については、なんでもОKとはならず、不文律が存在していたのは間違いなかろう。母音は混同し易いから紛らわしい音は消えていく。聞こえにくいから子音独立音はタブーだし、発音しにくい音も避けることになる。(h/f音は、20世紀末にようやくできるようになった位だし、r/lについては今もってできない。) 朝鮮半島では、現在は分断国家だが、統一国家が生まれた前は少なくとも5国以上あったし、これに中華帝国の植民地が加わっている状況を考えると、初期の国家とは部族連合体だった可能性が高い。武力による凄まじい闘争で統一が図られたのは、1100年以前の書が完璧に抹消されていることから自明である。言語も、すべて一色に染められているところからみて、部族丸ごと消滅させられた可能性が高かろう。半島には少数民族言語の欠片さえ残っていない徹底ぶりである。 この状況から考えるに、朝鮮語とはツングース語族と見るのが妥当だろう。半島に多く居住していた南ツングース系は、農業経済的には圧倒的に豊かだった筈だが、地域の言語は残滓の一つたりとも残ってはいないからだ。その残滓は帰化した百済王族難民の言葉を通じた日本語でしかわからないという、驚くべき状態。 「古事記」では倭人と結婚した新羅の王子来訪譚があるから、当時の新羅語彙もかなり流入しているということになろうが、出雲神話や南島海神宮渡航譚等々があり、混入語彙は半島に限らず四方八方と見た方がよかろう。 それこそが倭語の世界そのもの。現在も訳のわからぬ、各地の渡来ジャーゴンだらけで、そのうちその手の語彙は淘汰されていくのだろうが、いかにも古そうな儒教・道教・仏教の用語も未だに多数併存しており、「古事記」の用法となんら変わらない。 太安万侶はおそらく、半島はそのうち全万的に漢族化されてしまうと見ていたと思う。軍事的に一度組み込んでしまえば、属国の内情が全てわかるから、すでに支配層言語が漢語化している以上、避けられないと思った筈。 しかし、ツングース系はステップ遊牧系民族と繋がってはいるものの、河川漁労、狩猟や森林採取をも含んだ混合的生業タイプ。山林・水系争奪等の陣取り合戦は生存がかかるのでもともと不可避であり、敗れた側の怨嗟が激しく、血みどろ的対立になり易いことには気付いていなかったようである。と言うか、なんだろうと強引に権利を主張し、奪い取れない部族は零落すると言った方が当たっていよう。農耕民の土着への拘りとはいささか違うのである。 漢籍記載の出自民族名から推定すれば、土穴棲で脂をまみれの体を洗わない人々や毛皮を身に着け獣足で山に入る人々であったことになろう。 <金>や<清>という一大帝国を樹立した民族の言語群であるが、その言語は後継もなく消えていく。朝鮮半島の言語を見ればわかるように、こうした風土のせいもあろう。 粛慎(北)+穢/濊/薉+貊⇒[貊系]夫余⇒ 7挹婁⇒勿吉⇒靺鞨⇒ ┌([北]粟末)⇒渤海 ┤ └(黒水)⇒女真<金>⇒満<清> 清朝を樹立した、独自文字・独自言語を有する、しっかりした系譜を抱える民族でも、農耕を生業としたため、儒教国化して中華帝国圏に入ってしまえば、言語も失ってしまい、漢族化せざるを得ないことを、いみじくも示している。 (北シベリア側には、中華帝国清王朝が樹立されると、自動的に犬猿の仲とならざるを得ないツングース系部族が存在していた。しかし、フラグメント化したため、中華帝国圏外をすべて征服することで大帝国化を図る聖書の民によって一挙に武力制圧の憂き目。当然ながら、強制文字表記化と植民政策による部族消滅化が強力に推進された。もちろん、現在進行形である。) 朝鮮半島では、扶余系は農耕系なので、属国化すれば遠からず漢語圏に入ること必定だが、そうなる前に、ツングースの出自文化により近い、非農耕系に絶滅させられてしまった。こうして半島統一王朝が誕生することになった訳だが、それは、独自の儒教的専制統治体制ができあがったことを意味しよう。 それが可能になった理由のひとつは、半島仏教が儒教普及の役割を担っていたことが大きそう。ここらが分かり難いところでもあろう。儒教そのものは、漢語能力があるバイリンガルの支配層の信仰だが、あくまでも、ツングース社会なので このため、国家間も宗族間も、角逐は自動的に先鋭長期化せざるを得ず、国内外が権謀術数だらけと化すから、残虐を旨とする様な専制王朝政治を避けるのは極めて難しい。1100年以前はすべて焚書されているのも、むべなるかな。しかし、長い期間血みどろの戦いを経て、単一部族化を果たしたので、中華帝国を凌ぐ、儒教専制国家を実現できたとも言えよう。 しかし、この見方だけでは、大きな間違いを犯しかねない。半島では、率先して仏教を導入した点が考慮されていないからだ。仏教はインターナショナル標準でもあったから、交易が可能なるという点で、新たな経済基盤を持つこともできるようになったことこそが、この勢力争いに決着を付けたとも言えるし。要するに、非農業経済の部族が農業基盤の部族を武力で凌駕できたからこそ、部族淘汰が進んだと言う事。それは、同時に、中華帝国の属国として、支配層言語も全面的漢語にしているにもかかわらず、漢化を免れたと言う事でもある。 この表面的進展で見落としてならないのは、これを支えた半島仏教は、儒教の"孝"と宗族観念の一番の普及者でもあった点。言うまでもないが、被支配層の儒教教化に徹底的に注力したという意味で。半島仏教はインターナショナルなのは仏僧の語学と折衝能力という点だけで、思想的には国教化を目指した小中華主義一色であると見て間違いないと思う。儒教を根底にすれば、自動的に巫師活動も組み込むことになるので、訳のわからぬ状況と化すが、実態としては、仏教看板の儒教勢力と見た方が当たっていると思われる。 俯瞰的に見れば、儒教の上に本来のツングース系の基底精神たる巫師信仰がのるという逆転した形になっており、それに祭祀担当の儒教型仏教が被さっていることになろう。 この見方でいけば、現在の聖書教の位置付けとしては、天主=天帝ということでの、衣としての役割を果たすことになり、宗族巫祭祀を民俗的慣習と見なすことになろう。道教とは違い そもそも、表記文字はサンスクリットを模倣して、かなり後世に作られたもので、この手の文字導入は聖典教普及の鍵を握るものであるから、部族的信仰を抱える地であればもっと早くに普及しておかしくなかったように思える。 ・・・こんなことをついつい考えさせるように、「古事記」は編纂されていることを念頭にいれて読むとよいと思う。 申し副えれば、新羅に関しては、そこには財宝があり平定すべき、と神憑りした皇后の詔が記載されているし、王子の婚姻譚では、宝は奪い取るべきものと言う、いかにもツングース的精神風土がわかるように記載されている。 -----日本列島主部住民言語(日本語族)----- 【日本語】 日本 八丈 【琉球語(北)】 奄美 国頭 沖縄 【琉球語(先島)】 宮古 八重山 与那国 -----台湾原住民言語(オーストロネシア語族)-----清朝では統治外の地。 【台湾諸語】 ---泰雅--- --- ---鄒--- 【マレー・ポリネシア(西)語】 ---フィリピン語群--- -----朝鮮半島住民言語(単独)----- 【不詳】 半島に1100年以前の記録が皆無であり、不明。漢籍と日本への百済王族難民作成の史書からでは、推定不能。日本語族ではなさそうだから、中華帝国系植民者言語かツングース語族のどちらかであろう。 n.a.⇒(統一)新羅語⇒…⇒現在の朝鮮語/韓国語 【ツングース(南)語族】 扶余系諸語†(濊貊語 夫余語 高句麗語 百済語) -----済州島住民言語----- 現住民は半島人の可能性が高い。 n.a.⇒[推定]夫余語系影響⇒満州語影響⇒日本語影響⇒韓国系方言 -----日本列島北部原住民言語(単独)----- アイヌ -----東シベリア沿海〜満洲住民言語(ツングース語族)----- ---北--- ---南--- 女真† 満* 渤海† [KEY] †:消滅 *:深刻 (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |