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■■■ 「古事記」解釈 [2023.5.4] ■■■
[680] ユーラシア古代文明の残渣[8]文字表記化の衝撃
聖典扱いしたい人を除けば、「古事記」を読み始めた瞬間、これぞ日本語の原点との印象を抱く筈。

余りのごちゃ混ぜ表記には驚かされるが、仮名文字と句読点が無いだけで、現代日本語の表記方法と五十歩百歩だからだ。しかも、文字デザインが違うだけで、1文字1音表記の仮名文字も使われている。・・・要するに、「古事記」文章は、現在の日本語の表現方法とほぼ同じと言う事。お蔭で、今もって、日本語英語という国内でしか通用しない不思議な語彙だらけだ。📖日本語は最古言語かも

この印象を大事にすると、"4大文明(メソポタミア/チグリス-ユーフラテス文明[前3000年〜]・エジプト/ナイル文明[前3000年〜]・インダス文明[前2600年〜]・中国/黄河文明[老官台:前6000年〜 殷:前1600年〜])"は、倭の文化とはさっぱりかかわりが無さそうに思えて来る。日本人にとっては、4ヶ所を暗記する意味はほとんど無いと言わざるを得ない。(4は誤謬としてかまわないし、インダスは大河文明では無いことが判明。)
それに納得がいったなら、<ギリシア 印度 中原 倭>とでもした方がよいとの話も、少しは面白くなってくるかも。

・・・と書けばお気付きになろう。"ギリシア 印度"とは、聖書文字と印度聖典叙事詩文字の文明。"中原"とは、白川説ではほぼ呪術文字と言える甲骨文字文明を意味する。両者共に、この文字化によって、帝国化を旨とする人々を大量に生み出すことになったと言える。
従って、この文字化が切っ掛けとなって生み出された総合文化こそ正真正銘の文明と定義できることになる。誰が見ても、現時点の識字"文明"社会の揺り籠なのだから。(失われた文明はいくつあろうが、影響力はほとんど無かったと断言してもよいのでは。)

ところが1つだけ例外がある。
この様な文字を一切持たない口誦語だったが、文字表記化にあたっては、滅茶苦茶ゴタ混ぜをしている、例外中の例外のような国が現存しているからだ。その国の無文字時代の国名が"倭"。📖経典文字に抗してきた日本語

言語の文字化は文明化にとって必須だが、意外と常識化されていない点もありそうなので、少し触れておきたい。

<ギリシア>
旧約聖書は大部分が古ヘブライ語@パレスチナで一部がアラム語@アッシリア・バビロニア・ペルシア。要するに、宗教はヘブライで、民俗はアラム。
新約聖書は古ギリシア語ではなく地中海通商語(lingua franca)のコイネー/共通ギリシア語@アレクサンドリア(ラテン語翻訳は5世紀。その後、翻訳は禁忌扱い。)
上記3言語の文字(古ヘブライ・ギリシア・アラム)は、すべて通商に使われたフェニキア@レバント文字由来(直系は前9世紀のギリシア語になろう。)。そのフェニキア@前11世紀の元はエジプトヒエログリフ@前3000年で、考古学的には原シナイ文字@前19世紀と原カナン文字@前15世紀を経て成立したと推定されている。アルファベット的音素文字はここが起源である。

<印度>
印欧祖語説というコペルニクス的転回が発生し、印度の口誦聖典叙事詩語のサンスクリットとは古アーリア語であり、印欧祖語に近く、ギリシアと同系との見立て。
ここで言う<印度>文明発祥地域はアーリア系統治の北インドで、インダス遺跡群の住民はアーリア系ではないので、含まれない。しかし、現代まで続く、北インド発祥のフラグメントな職業ギルド社会の構造や(マウリア王朝@前4世紀になると、すでに貨幣経済となり、細分化された職業/身分(王〜召使)の俸給制度が設定されている。[Kautilya:「Arthaśāstra/実利論」])、インド亜大陸での数多くの言語残存状況は、インダス文化を引き継いでいそうなので、切れているとも言い難いところもあるが。(有名なカースト制度とは、<支配層(アーリア人)-婚姻関係部族-他部族-奴隷-賎民>という王国身分制であり、暗記させられる職業階層ではない。職業フラグメント社会に合わせて、便宜上意味が大きく変わったと見てよかろう。)
ここでの文字化は聖典・叙事詩という信仰の核の統一が目的であるにもかかわらず、<ギリシア>とは性格が違っている。人々に意味を伝えるための音ではなく、純粋な伝承口誦の音にしたからだ。つまり、あくまでも相伝の体裁を続けたことになる。しかしながら、付随して生まれた哲学や理念は新しい考えなので、伝達には文字化せざるを得ず、結局のところ、文字は大いに発展することになったと言えよう。

<中原>
この地の文字は甲骨文字であり、音を表記するための文字ではない。白川静が口を酸っぱくして(証拠も不十分で強引すぎるとの批判は実は的外れである。)指摘するように、神と交感するために用いる神語用の呪術記号であって、文字的意味はあるが、もともとはヒトの発声と直接関係している訳ではない。天子の統治用に、音表記文字と化しただけ。
今更、"中原"を使っている理由記載は不要だろう。天下を獲るための地域名として、余りに有名で説明用無しだが、一応。・・・地理的には、黄河中下流域を指すが、"異民族から隔てられる文明の中心地"という意味の語彙とした方がよいだろう。中原地区の現在の第一大都市が河南鄭州で、殷/商@洹水の首都(東西陸上交通路の結節点)
(黄河文明と呼ばれる遺跡は河南裴李崗&磁山・陝西老官台・山東北辛&大汶口・河南仰韶&後岡 etc.で河南鄭州は二里頭[前2100年〜前1800年]。)

<倭>
日本列島 八嶋はユーラシア大陸東岸の先にあるどん詰まりの地。逃げ延びて来てようやくこの地に往き着いたとか、脱故郷の冒険心ある傑物がどうやら辿り着く様な場所。そこは箱庭のような地勢であり、どこかを選んで住み着き、定住するには雑種化もやむなしと考えておかしくなかろう。
だとすれば、3万年かけて、多種多様な人々が混淆しながら、日本語族(八嶋語 奄美語 沖縄語 先島3語[宮古 八重山 与那国])を確立して行ったと考えるのが自然だと思うが。(語族議論が可能なのはせいぜいが6000年前である。)
従って、小生は、この様な雑種化風土確立の裏には、インダス圏内無文字国⇒・・・⇒前タミル(無文字)⇒・・・⇒倭(無文字)の流れがあると見る。📖消滅インダスの末裔が倭
当然ながら、言語的には、祖語から枝分かれの、印欧語(有文字)系譜(<国家=民族=言語>)タイプとは全く異なっており、<国家≠民族≠言語>の雑炊型文化が基層となる。儒教国として無理矢理に統一した朝鮮語は当て嵌らないが(ツングース語族しかあり得ない。)、孤立語ブルシャスキーは(ほとんど似た点は無くても。)雑種型として同系ということになろう。

それを考えると、「古事記」の成立を簡単に考え過ぎていることに気付かされる。
"漢文"という既に出来上がっている言語の場合は、非母国語であっても、しかるべき練習をすれば、数年で書けるようになるだろう。そのため、倭語の漢字による表記化も、難しいと言っても、単なる工夫で済むと思いがちだが、会話や作文の勉強とは次元が全く異なっている。
普通に考えれば、すぐにわかるが、音素文字を使っている以上、これはとてつもなき大仕事。・・・
口誦伝承言葉の、音・アクセント・イントネーション・リズムの標準を設定する。
   …語り部 稗田阿礼
音素を同定する。(音韻ルール仮説が必要。)
   …仏僧(梵語)
音素表記文字を決める。
   📖同音異字音素文字文化 📖"阿〜和"全87音素設定
単語を抽出して、構成音素・意味・品詞を判定する。
   …辞(助詞)文字設定 [常識的には辞書不可欠。]
語順・句形態・文構造を整理する。
   …句切・文末表示文字設定
文法仮説を作る。

以上、素人による初歩的な馬鹿々々しい解説であるが、序文は偽書であるとしたい人は別として、ここまで書けば、言わんとすることは自ずからわかろう。

全面音素文字表記は止めたとの、序文の言葉が胸に沁みる。単なる文字職人ではなく当代一の知識人なら、インターナショナルな見方をする仏僧とのサロンでの談笑であらかた世界の流れを読んでいた筈で、音素文字表記は止めた方がよいということになろう。しかし、漢文を表記語にするしかないとすれば、半島の様に、漢語会話を国語にすることになりがち。それは遠い将来の漢族化を目指しているようなもの、それも避けたいとなれば、表記漢文の倭語読みはできないものか、考え始めるしかなかろう。
その結論が「古事記」として結実したと考えるのが素直な見方では。

中華帝国に半島海戦で完璧に敗退したため、半島属国の儒教統治型全面漢語路線を敷くしかあるまいとしている、バリバリのバイリンガル政権打倒止む無しということでもあろう。

・・・その様な見方を、小生なりに表現したのが<ギリシア 印度 中原 倭>文明観。

<ギリシア>文明とは、しゃにむに、バラバラな部族言語を音素文字表記化。これで、他言語部族による一括統治ができるようになるから、一挙に帝国化を図れる。これにより、文化の華が大きく開く訳だ。
この場合、音素文字表記化しても、文構造の文法がわからなければ、音素化した意味が全く無くなってしまうので、その言語も次第に似た構造になるのは当たり前。さらに、被統治部族の統治部族語との単語レベルでの混淆が進まない訳もなかろう。印欧祖語ありとの見方は単にそれを言語上で確認しただけの話と違うか。

この仕組みに真っ向から対抗するのが、<中原>文明。呪術文字(甲骨文字読みの白川説は画期的。)を使うことで、文字表記化に進んだからだ。
こちらは、中央集権的に統治用文字として強制使用(識字層=支配層)させることで、文書管理で帝国を樹立するタイプ。(文字表記文章を話語として使える部族を擬制民族の漢族とみなしていく仕組みでもある。)部族言語は解体され、表記語彙の地場発音のみが継承されることになる。

<ギリシア><中原>はかなり違っているが、両者ともに、文字表記化によって、口誦神話という一枚岩だった部族信仰の核を消滅させることにこそ意味がある。前者では聖書記載の絶対神信仰へと舵を切り、後者は最高神天帝/擬制血族(宗族)祖神の命令への絶対的服従が必須となる。一見、両者は似ているように見えたりするが、根本的に異なっている。単なる1部族の神話記載書に近い聖書の創造神への個々人の帰依ありきに対して、天子独裁-官僚統治体制ありきで、個人は自己精神を抑圧して独自のヒエラルキー概念の"孝"に従うことが義務となる。
どちらにしても、帝国樹立で部族間の細々した対立に起因する戦乱に明け暮れる社会からの脱却を掲げている筈だが、当たり前のことだが、絶対にそうはならない。例えば、儒教国であれば、「墨子」の指摘するように覇権をめぐって真逆になる。ただ、国内の絶対的安定を目指し、隅々まで治安網を張り巡らせた全体主義国家を樹立すれば理論的には大規模な戦乱は発生しないことになろうが、それは帝国化であるから周囲への侵略なしには成り立たたず、より大規模な戦乱を引き起こすことになる。

残る<印度>はこの中間と言うことにはならない。出自からすれば、聖書文字と同じだが、方向は似て非なるものになってしまったからだ。あくまでも口誦の定着化にこだわったので、部族神話を解体霧消させるのではなく、1つの神話に雑居させ、部族独自の核を消失させたことになろう。ところが、部族の代替組織の如くに、職業的ギルド組織が強固なもののなってしまい、それぞれが基本神話のデリバティブを持つようになってしまった。この状況だと、<ギリシア><中原>的社会とは風土が異なるので、文字表記化を回避した少数部族がギルド的に生き残れる道がありそうだ。
(イスラム教の発祥は<ギリシア>文明であるものの、教組の聖典解釈を最高新聖典として位置付けている点で、文化的にかなり逸脱して見える。<印度>文明に倣って、アラビア語口誦を大原則としているからだ。これによって、少数部族も、ママ存続することができることになる。)

太安万侶は、朝鮮半島に倣った漢語の全面的国語化や、倭族が漢族に吸収されること必至と見ていたろうし、それを嫌って倭語の全面的音素文字表記に踏み切ったところで、公式行政文書を漢語とするしかない以上、飲み込まれること必定と判断したと思われる。(音素文字の導入は、必ず文法の整備を伴う。<ギリシア>文明的に考えれば、武力的に対峙する能力が無いと、従属国への道を切り拓く内部勢力の育成と同義。)

そして行きついたのが、歌の音素文字表記化。

口誦の豊かさを重視する<印度>流に倣ったのである。換言すれば、太安万侶が考えた、倭国の聖典とは、倭歌を表記文字化した書となろう。<ギリシア>流で言えば、"あやによし え をとこを・・・あやによし え をとめを"が、倭人の信仰の核とされることになる。創造神の言葉ありきに対応する訳だ。

・・・国際情勢から見て、インターナショナルな地位を確保し、国土を防衛を考えれば、中華大帝国に対する敗戦国としては、漢語文章による統治の中央集権国家にせざるをえないものの、倭語読みを残せ、というのが太安万侶の政治的主張だろう。中華帝国と話語を揃えると、半島のように完璧な従属国になり、神話消滅は当然のことだが、最終的には王統譜も抹消され、漢族化されることがわかっていたからである。
(太安万侶は仏教経典の呉音読み論者と思われる。)

   ---続---

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