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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.2] ■■■
[794] 太安万侶:「漢倭辞典」字義=倭訓
割注の訓についてはすでに眺めた。📖太安万侶式訓読その繰り返しという訳ではない。
  クン/𧥥/𧥿】_43(全て割注) + 序文漢文__3おしえる
    [字義]①訓告/説教 ②訓練 ③字義解釈
漢字をズラズラと眺めて来たお蔭で、「古事記」云うところの<訓>について、ようやく自分なりの納得感が得られたので、メモ的に書いておくことにしただけ。・・・

日本語の漢字は表意文字。(多分、世界で唯一。)
一方、中国語の漢字は表音節文字。

「古事記」成立時点の漢語で、漢字はすでに表音節文字化していて、その音の根幹には韻という発声コンセプトが設定されていた。文字発祥時点では表意の記号だったが、時とともに、義とデザインを結び付けることは無くなってしまったことになる。(表意的文字構成要素で漢字を覚える必要は、早くに、無くなっていた。)五万と創出可能な文字構成であるから、年月を経れば当然の結果。
英語にしたところで、アルファベットは発祥時点では表音素文字だったが、現状では全くもって表音の態をなしておらず、音を知りたいなら、特別な表音文字で示されている辞書で調べるしかない。

つまり、「古事記」の漢字は、1字1拍音仮名文字記載の歌を除けば、原則的に、すべて表意文字ということ。それが難しい場合だけ、注を付けて、倭語を音文字で記載しているに過ぎない。
しかし、漢語の字義と倭語が一対一対応することなどあり得ないから、理屈からすれば、漢字で確定的な倭語読みを示すことは不可能に近い。しかし、それを敢えて行ったのは、稗田阿礼に読ませると、どうあろうと文脈に合うようにスラスラ口誦できたせいだろう。(抜群の暗記能力を駆使している訳ではない。)
複数読みがあり得て、当て文字が使われていても、ストーリーがだいたい分かっていれば、漢字記載でも倭語読みはたいして難しいものではないことに気付いたということ。考えてみれば、「古事記」読者層は、祭祀で何度も耳にしているような話なのだから、うろ覚えにしても、話語社会である以上、語句の読みは自然に出て来ておかしくなかろう。
その手の祭祀が、日本国成立と共に失われていけば、「古事記」は読めなくなって来て当然。

しかし、だからといって、「古事記」の影響力僅少と見るのは大きな間違い。
日本国のその後の路線を決めたと云えるほど強烈なインパクトを与えたからだ。

「古事記」はまさに歴史的結節点で登場。

ほぼ同時期に、漢文の国史が完成したからで、このことは、朝鮮半島王朝のように、バイリンガルで公用語を漢語とする路線に踏み切ったことを意味している。
しかし、実際は、そうはならなかったのである。その理由は単純明瞭。・・・日本語に、漢字を表意文字として用いる流れが生まれてしまったから。
これは大陸の流れに対する逆噴射とも言えるアンチテーゼ。漢語は完璧な一意的表音節文字の洗練化の一途をたどっており、韻が表現の鍵を握る、まさに"音"の世界に突入していた。対する日本語は、漢字使用に踏み切ったものの、音の文字ではなく表意文字として使用。(大陸からすれば先祖返りの様なもので、完璧な逆流。)読みはもちろん複数存在し、一意的には定めることができない。しかも、一拍音の母音型言語を棄てるつもりはさらさらないから、韻の世界はマイナーな状況に落とし込められること必定。両者は似て非なる方向に進むことに。
こうなると、公用語として、大陸発音として<漢音>重視策を持ち出しても、なんの意味もなくなってしまう。並列読みがされている以上、<漢音>自体が日本語的になってしまい、大陸で通用しない読みになってしまうからだ。
つまり、公式記録文章は、表面的には100%漢語ではあるものの、読みの実態は日本語(訓)という驚くべき言語環境が生まれることになった訳だ。漢語は全く話せないものの、文章は淀みなくほぼ読めるのである。
(朝鮮半島の王朝は、元朝の命で日本列島に2度派兵させられて敗北したことで、この様な日本国の状況に気付いた可能性が高い。支配者の元とは、中華帝国外の非漢語民族の王朝。漢語は支配の道具そのもので、余計な力を割くことになる<漢>文化を拡げるつもりなどさらさらない。被支配地の文化のママ温存で、経済と軍事での貢献の強要を旨とし、従わない民はすべて抹消という方針。半島で尊崇されてきた従来型の<漢>文化とは180度異なるのだから、精神的動揺はただならぬものがあったろう。当然の帰結として、漢語をママ公用語にして絶対視することは中華帝国隷属万歳路線と考えるしかなくなる。もともとは、天子独裁ー官僚統治という社会構造遵守と、宗族第一主義の儒教を信奉し、漢字を言語記述文字として用いることで、ゆくゆくは真正漢族として認知されることを目指して邁進していた筈なのだが。このコペルニクス的大転換で、儒教国的な怒りが蔓延するのは当然のなりゆき。過去の漢語環境を示す一切の記録を焚書化するとともに、移住漢語母語族や異種言語少数民族を根絶やしにするしかなくなる。宗族第一の宗教である以上、子々孫々までこれは義務化。)

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全文字片仮名ルビの訓読み書を参照できる。・・・本居宣長[訓] 長瀬真幸[編]:「(訂正)古訓古事記/新刻古事記」1875(1803)年@NDL
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--[序文漢文]--

  子細採摭
  然
  上古之時  言意並朴  敷文構句  於字即難

  已因訓述者詞不逮心
  全以音連者事趣更長
上古の時、言と意と並に朴にして、文を敷き句を構ふること、字に於きて即ち難し。
已に訓に因て述べてあるは、詞心に逮ばず。
全く音を以て連ねてあるは、事の趣更に長し

  是以
  今

  或一句之中交用音訓
  或一事之內全以訓錄

  卽
  辭理 叵見以注明
  意況 易解更非注

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上記序文に該当する<訓>割注箇所。・・・
--㊤成神・生神--

阿麻原 ⇔あめ
天之登許多知神 ⇔つね ⇔たつ
國之登許多知
二柱神多多志
鹽"許袁呂許袁呂" 邇那志 ⇔なる
刺塞汝身不成合處 而 以爲生成國土宇牟奈何 ⇔はえる
淡道之穗之狹和氣嶋 ⇔わかれる
次 亦名謂 阿麻"比登都"柱
亦名謂 阿麻一根
次 生 伊波土"毘古"神 ⇔いし
次 生 加邪"木"津別之忍男神 ⇔かざ
天之水久麻理神 ⇔わかる
因山野持別 而 生神名 天之狹豆知神 ⇔n.a.
大戶麻刀比子神 ⇔まどう
迦那山毘古神 ⇔かね
自手俣久伎出 ⇔もる
於伎奢加留神 ⇔おく ⇔うとむ
所成坐神名 八十摩賀津日神 ⇔わざはひ
所成神名 宇閇津綿津見神 ⇔うえ
故 其御頸珠名謂 御倉板擧多那之神 …板擧≒棚(たな)
所知夜之袁須國矣 事依也 ⇔たべる
--㊤天照大御神・須佐之男命--
"曾毘良邇"者 負千能理之靫 ⇔いる
"伊都"之男多祁夫蹈建 ⇔たつ
於梭衝陰上富登 而 死 …女陰
於天安之河原都度比都度比  ⇔あつまる or つどう
高御產巢日神之子加尼令思 而 ⇔かな
於中枝 取繋八尺八阿多鏡 ⇔や-つ・さし
志殿白丹寸手青丹寸手 ⇔たれる
手草結天香山之小竹佐佐 …小竹≒篠(しの)≒笹(ささ)
--㊤大国主命--
塗母乳汁者 成麗壯夫袁等古  …[漢語]壯健的成年人/豪傑
生子那留海神
又 娶 阿麻"知迦流美豆比"賣
--㊤葦原中国平定--
於青布斯垣打成 而 隱也 ⇔しば
登陀流天之新巢之凝姻州須之 …凝姻≒煤
口大之尾翼須受岐
…"日本真鱸"@西太平洋 & "七星鱸"@東シナ海〜大陸沿岸
--㊤海神宮--
傍之井上有湯津香木加都良 故 坐其木上者 其海神之女 見相議者也 …[漢語]香木≒斎つ桂=湯津楓
仰見者 有麗壯夫遠登古
天津日高日子波限那藝佐建鵜葺草加夜葺不合命
…波限≒渚(波打ち際) ⇔(屋根)ふきぐさ≒藁(わら)・茅(かや)
--㊥①--
生尾土具毛 …雲≒蜘蛛(籠 or 隠/こもり)
--㊦㉑--
爾 虻咋御腕 卽 蜻蛉阿岐豆其虻 而 飛
[漢語]蜻蜓/蜻蛉[トンボ]≒秋津
--㊦㉘--
生御子 伊波比賣命

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