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■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.7] ■■■
[799] 太安万侶:「漢倭辞典」倭音化
前段として、くどくどと、しかも長々と繰り返すことになるが、「古事記」読みをするなら不可欠な"知識"に思えるので、ご容赦のほど。
基本中の基本がないがしろにされているので、致し方ない。
(差しさわりがありそうな例で申し訳けないが、購入したパンにすぐ黴が生えるから手作り工房の食品は<安全>との主張をその通りと思うような社会に住んでいることを肝に銘ずるべき。単に防黴殺菌環境で製造されていないという以上ではないにもかかわらず。当たり前だが、どちらが安全かは判定基準と比較条件で一変する。)

母国語としての日本語(話語)の特徴は、認知し発音可能な最小の音の単位は<拍>である。そこから五七調も生まれることになる。これ以上分けることができないのだから、これが日本語の音素であるが、よく知られる非日本語では、最小単位は母音・子音で、語彙はこの音素で構成される。
このため、日本語の音素である<1拍音>も仮想的に子音-母音に分解できる"筈"とされる。しかし、母語話者は普通の状況では発音することはない、というか、その能力が育成されていない。<1拍音>とは、非日本語話者の見方からすれば、単独母音、あるいは、切り離して発音することが全く無い子音を前置する母音だからだ。
非日本語話者は、母音と子音を単独で発音できるので、語彙の発音はこれらが入り乱れて連続することになる。これでは収拾がつかないので、塊が措定される。これを節と名付けるので、話語の語彙表記は<音節文字>とみなすことなる。英語で云えばシラブルであり、語彙によって、文節の数はマチマチで、いくつあろうがかまわない。漢語は表記文字と語彙の対応が付くので、漢字の読みの文節構造が設定されており、基本は"頭声子音-韻母音(介音-主母音-補助尾音)"という4音素であるから📖二音素仮名文字は避けたい、こちらも<音節文字>となる。
そうなると、日本語の語彙となる連続する<1拍音>を節と呼びたくなるが、<1拍音>が語彙となることもあるので、<1拍音>=<音節文字>とせざるを得ないが、単なる統一分析用語でしかない。
・・・この状況を考えれば、英語や漢語の<1拍音>表記は無理筋であることはすぐにわかる。

ここまでしつこく書けばおわかりだろう。さらに、駄目押し。
太安万侶は、それを百も承知の上で平然と、倭語の漢字表記を行ったのである。トンデモ流と云えばその通り。しかし、もともと話語とはそんなものだから、画期的で素晴らしいと考えることもできる。
(話語はすぐに変化するとの見方は、太安万侶からすれば、常識レベルと見てよさそう。7世紀中盤に遣唐使が3年に1度の割で5回派遣され、30年以上のインターバルの後の704年に帰国した際に、発音が変わっており、標準化プロジェクト進行との情報が伝わっていた筈で。例えば、【無】は[呉音]ム⇒[漢音]ブ。この場合、注意が必要。漢化を絶対視していた朝廷の主流にとっては漢語の変化は常識ではない点。従って、公式音を逸脱した、誤った発音を振りまいた結果が呉音となる。これこそが儒教統治方策の典型である。)

どうあれ、そのインパクトは絶大だった。漢文を公式文章とし、国史を漢文で編纂し、儒教型統治に邁進している状況で、漢語を基本話語とする流れを完璧に断ち切ったのだから。
(清王朝を樹立した中華帝国外の満州人の独自言語も、とどのつまり、漢語方言化して行き、漢民族化することになる。儒教ベースの統治では、それは必然。それを是とするか否かの結節点だったことになる。)
ただ、儒教国教化や漢語公用化路線が潰えた訳ではなく、御存じの様に、国史成立後は漢音強制使用が長々と続くことになる。「古事記」「萬葉集」の歌はほぼ詠めなくなったことになる。

こんな風に書くと、いとも簡単に倭語の漢字表記をしたのかと勘違いしそうになるが、極めて厄介な問題を抱えていることは、現代人でもすぐに察しがつこう。
<ん>問題を避けて通れないからだ。倭語は母音の<1拍語>であり、それを遵守する限り使えない。
ところが、漢語はそれに該当するような語尾音だらけ。漢語を登用したければここはなんとかしなければどうにもならないのは当たり前。「古事記」が護った倭語原則は撤廃するしかないことになろう。
・・・疑似漢語たる、漢語調日本語のテンポと切れの良さはこの<ん>音であり、大陸からの観光客の会話が必要以上に大声を出して五月蠅く感じさせるのも、この音の存在が大きそう。
倭語は母音語なので、語彙語尾で"〜ン"という発音をしたことがないのだから、その音を外してしまうしかない。・・・
【「古事記」用例】
傳/伝・殿⇐デン…伊傳多知弖(出でちて)[#54] <訓垂云志殿>
⇐ニン…名仁番
邊/辺⇐ヘン…到於河辺
辨/弁⇐ベン…登許能辨爾(床の辺に)[#34]
⇐ホン…本牟多能比能美古(品陀の日の御子)[#48]
萬/万⇐マン…安万侶[序文漢文]
【「萬葉集」用例】
⇐クン…美夫君志持(み掘串持ち)[巻一#1]
⇐テン…葦辺乎指天(葦辺を指して)[巻六#919]
⇐ハン…伎礼波伴要須礼(伐れば生えすれ)[巻十四#3491]
⇐マン…志満乃己太知母(山斎の木立も)[巻五#867]
⇐ミン…毛得奈民延都都(もとな見えつつ)[巻十九#4220]

もう一つ問題となるのは、介音である。倭語的には、語尾音を捨象すれば、頭声子音+韻母主母音からなる1拍音として扱えれば、漢字の倭語読みがスムースに行くことになるが、そうは問屋が卸さない。両者の間に1音素が挟み込まれているからだ。倭語では全く対応できない二重母音が使われたりすることになる。・・・しかし、漢語の研究が進んでいて、この音は、隋朝〜唐朝初期に生まれたとの説があるらしく、古代には存在していなかった可能性があるらしい。
このことは、「古事記」「萬葉集」だけは、介音発生以前の発音を留めているというか、介音外しを基本としたと考えた方がしっくりくるのでは。おそらく、その後の日本語で拗音が必要になったのは、ここらの本格的対処が避けられなくなったのだろう。

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