→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2023.9.12] ■■■ [804] 太安万侶:「漢倭辞典」薬方治差 爾 御調之大使 名云 金波鎭漢紀武 此人深知藥方 故 治差帝皇之御病 先ずは、前半の語彙の"藥方"だが、漢語2文字熟語。唐朝では、道士がその領域の権威者だが、仏僧も道士同様、薬についての知識が豊富である。[参考]📖名医の特徴@「酉陽雑俎」の面白さもともとは山籠もり不老仙の修行生活の知識から薬草がよくわかっていたらしく、唐朝では一世風靡である。仏教コミュニティに属する高級官僚も、山での自家用薬草採取は生活暦に組み込まれていたようである。当該外交官が深い知識を持っていたからといって、特殊例と考えるべきではないと思う。 ---"❶藥"方--- 【薬/藥】__1 艸+樂:薬草 疒+樂:【𤻲】⇒【療】 非使用 【医/醫】 非使用 次は4番目の文字。 ---治"❹差"--- この"差"は、本来使うべき文字ではなく、純漢語ジャーゴン用法。「古事記」対象読者を相当高いレベルに設定していることがわかる。 【差】__4 ≪さ-す≫ 我押流其船者 差暫往 自其地 差少幸行 ≪い-ゆ≫=【瘥】非使用 汝身如本膚必差 治差帝皇之御病 "い-ゆ い-える/い-やす"は異なる文字の筈で"治癒"を知らない筈が無かろう。 【癒】 非使用 癒の代替として下記2文字でもよかったのだが他の読みにあてて使わないようにしている。 【愈】__1 ≒癒 爾 志毘臣 【兪】__1 ≒癒 故 自爾以後 稍 "癒"のデザインがお好みではなかったということでもなさそう。 【疒】病垂 …疫 疾 症 疲 病 痕 痛 痘 痢 痴 痩 瘍 療 癖 癒 疚 疵 疽 疹 疸 疼 痍 痔 痒 痙 痣 痰 痺 瘠 瘢 瘤 癇 癌 癪 【病】__6 此子 "美蕃登"見炙 而 病臥在 此天皇之御世 伇病多起 人民死爲盡 "伇病"⇒【疫】 非使用 此時御病甚急 爾 御歌曰:「・・・ 是以其兄 八年之間 于萎病枯 天皇辭 而 詔之:「我者有一長病 不得所知日繼」 爾 御調之大使 名云 金波鎭漢紀武 此人深知藥方 故 治差帝皇之御病 【疲】__4 御軍暫疲 差少幸行 因甚疲衝 「吾足 如三重勾 而 甚疲」 故 海人既疲往還而泣也 故 諺曰「海人乎 因己物 而 泣」也 【痛】__4 鹽隨乾 其身皮悉風見吹拆 故痛苦泣伏者 五瀬命 於御手負登美毘古之痛矢串 故 負賤奴之痛手 雖足䠊破 忘其痛以哭追 【痩】__1 望命之間已經多年 姿體痩萎 続くは、誰でも知る文字。・・・ ---藥"❷方--- 【方】_33 義:①方向 ②処方 謂「易子之一木乎」乃匍匐御枕方 匍匐御足方 而 控度其御後方白言 以土塗塞 而 方產時 爾 將方產之時 竊伺其方產者 化八尋和邇 自南方廻幸之時 自此於奧方莫使入幸 御陵在畝火山之北方白檮尾上也 驛使班于四方 東方十二道 自東方所遣建沼河別與其父大毘古共 往遇于相津 從沙本方暴雨零來 追廻東方 到近淡海國 西方有熊曾建二人 於西方 除吾二人無建強人 何擊遣西方之惡人等 西方有國 登高地 見西方者 太子御方者 見四方之國 令大坐其國之山方地 而 獻大御飯 建日方別 櫛御方命 大名方王 爾 御調之大使 名云 金波鎭漢紀武 此人深知藥方 故 治差帝皇之御病 最後は、統治の意味で多用されている文字。・・・ ---"❸治"差--- 【治】_98(__7) ≪おさ-める/おさ-まる≫ ≪なお-す/なお-る≫ (C) 2023 RandDManagement.com →HOME |