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■■■ 「古事記」解釈 [2024.1.17] ■■■
🔰[828]読み方[1]

忘れ去られていた「古事記」が俄然注目されるようになったのは、江戸期の本居宣長(武家政権の考え方とは一線を画していた松坂在住の医者。)が取り上げたから。

市井の学者であり、できうる限りの検証重視で臨んでおり、強引な読みこみを避ける姿勢を堅持している。
従って、「古事記」解釈の出発点はココにあると言って間違いなかろう。

ただ、素人にとっての問題は、その文章構成と分析の過度とも言える詳細性。これでは、現代人からすればえらく読み辛い。さらに、情報不足で解釈不能な部分は、当人のイデオロギー色が色濃い点も恣意性を感じさせ大いに気になるところ。・・・そうなれば敬遠されても致し方あるまい。(旧版の岩波文庫版(1951年)の編纂者は明らかに本居宣長版をベースとしている。⇒古事記本の選び方[続][2013.12.3]お勧めテキストと言える。)

このイデオロギー色だが、古代感覚を呼び戻すためには、こうあらねばという考え方をしているように思える。そこまでしなくても、と思ってしまうが、そうせざるを得なかったも言えそう。と云うのは、誰が見ても、「古事記」は体裁的に【歴史書】だから。
下手に注目を浴びたりすれば、必然的に、日本国「国史」補遺の必須副読本とされるのは間違いなかろう。
ここらの問題点は繰り返して書いてきたが、【歴史書】として読むなら、ほぼ自動的に「古事記」の価値は無くなりかねない。
・・・しかし、最古の書である以上、その古代語解釈のためには、「国史」を含む同時代記録書を参考にせざるを得ないので極めて悩ましい。

と云うことで、原文のママ読みで、その辺りを実感しておくのも、悪くないと思う。・・・一般に、テキストの読み下し文はその方針が自明では無いので、自分の頭で読みの基本原則を考えることになるからだ。実際、様々な読み下しが可能な文章になっており、色々と試してみるとよいのでは。特段の知識を必要とする訳でもないし。


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