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■■■ 「古事記」解釈 [2024.2.26] ■■■
🔰[830]読み方[3]

序文を偽造と考えるなら別だが、それをママ受け取れば、太安万侶は皇統譜を実直に作り上げたことになる。従って、欠史といった創作ありとの評価とか、国史副読本的な対応読みは、とんでもなくピントがずれている。
例え、散漫なアネクドート集に映っても、それは皇統譜記載に意味があるから収載している訳で、単純に、当該天皇の一場面を描きたいのではなく、先代と次代の繋がりを考える上で重要との判断あっての決定と考えるべきだろう。国史として不可欠な話という観点とは違っており、当該天皇の逸話として伝承されているのは何故かを考え、納得がいけば収録という運びになるだけ。

ここで、遵守するのは、天皇は一系列というドグマのみ。この点では、国史と異なる表記はできないから、それに従ってはいるが、熾烈な皇位継承争奪が繰り返されており、この辺りの書き方には神経を使ったに違いない。
詔を頂戴した以上、諾々と、朝廷の国史プロジェクトの方針に従うことを潔しと考える訳もなく、対立を避けながらそこらを記述する方法を考え抜いたに違いない。そう思って、「古事記」の構造と天皇名称等を読むべきだと思う。
・・・天皇として扱ってよいかの疑問や、即位していないとされているものの実質天皇位であるとの示唆が色々と含まれていることがすぐにわかる。📖[その2]

勿論、国史とは異なるといっても、それは太安万侶が全力を振り絞って独自見解を披歴しようと努力したことを意味している訳では無い。単に、当該天皇代当時の社会状況を冷静に読み取った結果に過ぎまい。あくまでも、事績や歌から、どういった因果で皇嗣が決まって行ったのか、その背景理解に意味がありそうな逸話を取捨選択しているだけ。この点で、史書とは編纂方針が全く異なる。

それこそ、大帶日子淤斯呂和氣天皇の場合、天皇すめらみことより、天皇おほきみと読んだ方がよいことを示唆していることになる。勿論、御大八洲天皇の場合は漢文なので口誦する必要はないが、黙読の場合は天皇テンノウが望ましかろう。
あまは固有名であり、一般名の場合はあめとなることは、わざわざ冒頭に注記があるので気付かされる訳だが、すべてがその調子。彦についても、日子、比子。毘子は峻別されている訳で、シーン孫に慎重に文字を選んでいるので、できればそれを味わいながら読むとよかろう。

語り部は、同じ語彙でも微妙な表現の違いでその場の気分を伝える能力を有していたに違いなく、太安万侶が稗田阿礼を絶賛する理由はそこにありそう。抜群の暗記能力ということだが、それは膨大な文章を覚えているという話とは次元が異なる。
訳のわからぬメモとしか思えない記録文章から、口誦で、その情景がわかるように言葉を発する能力があったのであり、そこに人智を超えるものがあると感じて当然のこと。・・・倭人が、文字表記を嫌っていたのは、標準化を進めるしかないテキスト文章にしてしまうと、相対口頭コミュニケーションで伝えていた肝心なモノが失われてしまうから、という点にいまさらながら気付いたとも云えよう。


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