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■■■ 「古事記」解釈 [2024.6.5] ■■■
[910] 31
「古事記」には、天武天皇の思想性が籠められているとは言え、あくまでも、最高の語り部による口誦叙事。堅苦しい公式文章とは180度異なると考えるべきだと思う。
と言っても、音の響きやリズムの再現はできかねる。従って、文章の意味だけはその線で考えたいもの。・・・エンタテインメント性が持ち込まれているとの前提で読むとよいのでは。

その典型例。

相思相愛の二人の一種の辞世の歌が収録されている。そこに至る話自体もなかなか面白い。笑いが含まれているとして読むこともできるからだ。
しかしながら、辞世歌でもあるし、その後の文脈から判断し、一応は、それなりにシリアスに受け止めて鑑賞することになりがち。
ところが、そう読むべきではない可能性もある。・・・

㊦⑯大雀命⑪女鳥王・速總別王
  【速總別王】愛妻と共に最期を覚悟
  梯立の
  倉椅山は
  険しけど
  妹と登れば
  険しくも非

  仙柘枝歌*三首[「萬葉集」巻三#385]
  霰降り
  吉志美(⇔杵嶋)岳を
  險しみと
  草取り兼わ
  妹が手を取る
      *仙女となった山桑の枝
問題は以下の話があるから。📖[補足]歌垣について
      筑紫國風土記杵嶋郡逸文…杵島郡。縣南二里、有一孤山。從坤指艮、三蜂相連。名曰杵島。峰坤者日比古神。中者日比賣神。艮者日
御子神。(一名軍神、動則兵興矣。)郷閭士女、提酒抱琴、毎歳春秋、攜手登望、樂飲歌舞。曲盡而歸。歌詞去:
・・・・(是杵島曲。)

この歌の意味をどうとらえるかだが、ともあれ歌垣である。
険しい山岳なので草を掴んで登ることになるが、ついつい愛する人の手を掴んでしまったヨとの戯れ歌と考えるのが自然だろう。登山でなく、二人だけで過ごそうじゃありませんか、と手を繋いで呼びかけている情景が思い浮かぶが。どんなものか。


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