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■■■ 「古事記」解釈 [2024.6.10] ■■■
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「古事記」での天照大御神は、国史とは違い、神統譜-皇統譜血脈上の"祖"と、明確に位置付けることができる。(国史プロジェクトメンバー達は、大御神の出自とプロフィールについて、尊崇する神としては国際常識から見て誤伝承と判断したことになろう。)

ここで、注意を要するのは、"祖"を示す天孫降臨命譚以外にも、登場譚が沢山収載されているように映る点。このため、「古事記」㊤の主役とされていると誤解しがち。始祖なのだから当然と思ってしまうのは致し方ないところだが、全体構成を考えると、天孫降臨遺骸は、どの譚にしても、天照大御神の段が設定されている訳ではない。

誕生譚を始めとして、皇祖としての活動を記述しようとの意図がある訳ではなかろう。そうしたいなら、例えば、大国主のお話は大半が無用。つまり、大御神の記述部分は、他の神の段の一部でしかないことになる。他の段への流れを繋げるために挿入されていると見た方がよい。(この手法は全巻を通じて見られる。)
 ㋑伊邪那岐命・伊邪那美命⑨御身之禊㊂左御目右御目鼻
 ㋜速須佐之男命①參上天②宇氣布③我勝④天石屋戸
 ㋔大國主~⑮[遣]建御雷之男~
実際、出雲へ派遣された神にしても、御子ではないし、自ら選定派遣した訳でもない。しかも、神威発揮ということで派遣者に力を授けた様子は全く見られない。・・・と言っても、国譲りでは高天原勢力が勝利を収めたのだから、高天原統治者としての意味があるだろうと考えがちだが、「古事記」はその様に記述していない。
国を譲られたというに、その統治者を派遣した訳ではないし、なんらかの手を打った気配は皆無。これでは、大御神崇拝に導くために記載しているとはとても思えない。

「古事記」に天武天皇の政治思想が入っていない訳はないが、それは記憶の引き出しから取り出す過程で影響を与えているだけの様な気がする。わざわざ潤色する意味など無いと考えていそうだ。だからこそ、太安万侶が全力でママ表記に努めたということだろう。

但し、何を以て潤色とするのか、頭を整理しておく必要があろう。

一般に、伝承譚は、隣の家であっても内容が異なっていたりするもの。系譜であっても、同族内で異伝だらけなのは当たり前。統一された伝承譚が存在するなら、なんらかの強制的加工がなされたことを意味すると見た方がよいだろう。
そんな状態だと、一つ一つの譚はバラバラで脈絡なし状態なのが普通。
ある意味、天竺の様に、それを避けるべく、音声的正統表現の確定を兼ねて、文字表記の叙事詩が生まれたとも言える。一方、倭語は、文字表記を嫌って来たから、様々なバラバラ譚はいくらでもあるものの、譚を繋げた長編ストーリーがほとんど存在していない可能性が高い。

ところが、古事記には様々な譚が収録されているのにもかかわらず、話が整然と繋がっている。これは画期的なこと。
おそらく、それに貢献したのが、聡明な稗田阿礼か、切れる頭脳の持ち主でもあった天武天皇、あるいは両者。その凄さに気付いたのが太安万侶ということになろう。
  続く

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