→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.4] ■■■ [歌鑑賞2]八千矛の神の命は八洲国 ㊴(5-7)-(5-7)-(5-6)-(5-7)-(5-7)-(5-5)-(4-6)-(5-7)-(5-7) 7-4 (5-7)-(5-7)-(5-6)-(5-7)-(5-5)-(5-7)-(5-7) 5-7-6-3-3 此 八千矛神 將婚 高志國之沼河比賣 幸行之時 到 其 沼河比賣之家 歌曰 八千矛の 膨大な数の矛を支配している 神の命は 神である命は 八洲国 8島列島国で 妻求ぎかねて 妻を求めかねてしまい 遠遠し 遠い遠い 高志の国に 越の国に 賢し女を 賢い女が 有りと聞かして 居ると聞きまして 美し女を 美しい女が 有りと聞こして 居るとの評判を聞きまして さ婚ひに 結婚するために あり立たし 出立し 婚ひに 結婚しに ありか呼ばせ 通うことに 太刀が緒も 大刀の緒さえ 未だ解かずて まだ解かずに 襲をも 上衣の紐も 未だ解かねば まだ解かないないのに 乙女の寝すや お嬢さんが寝ているという 板戸を (部屋の)板戸を 押そぶらひ 押して揺さぶってみたが 吾が立たせれば 独りで立ち尽くすだけ 引こづらひ (板戸を)引こうとしてみたものの 吾が立たせれば 独りで立ち尽くすだけ 青山に 青き山では 鵺は鳴きぬ 鵺が鳴いており 狭野つ鳥 (山裾の)野の鳥の 雉子は響む 雉子の声はけたたましく響き渡る 庭つ鳥 (さらに)庭の鳥である 鶏は鳴く 鶏も鳴いている うれたくも 憂いたる気色で 鳴くなる鳥か 鳴いている鳥だ この鳥も これらの鳥は 打ち止めこせね 打ち果たして懲らしめてやらねば いしたふや 下足に控える 天馳せ遣ひ 神の走り遣いからすれば 事の語り (伝える)語り事は 外面 だいたいのところ 此をば この様な(次第) <情熱的な恋あっての神>という強固な観念はわかるものの、そこには一線あってしかるべきという気がするが、そんなことなど御無用で、ただただ恋に一直線というのが、No.2の歌。 美しく頭もよいお嬢さんのところに、年のいった妻帯者が突如夜遅くやって来て、部屋に入れろと一晩中入口の戸を揺するという、現代ではおよそ常軌を失した行為が歌となる。なにせ、嫡妻が存在し、妾も抱えているのだから。 これこそが倭の社会の夜這い文化ということで、当たり前だったと見なすしかなかろうが。 但し、この歌の結末は愉快である。お嬢さんは拒否することも可能な訳で、遠路はるばるの八千矛神は成就できないものだから、鳥に八つ当たりの態。 鳥3種の鳴き声で時間的経過を示している訳で。📖日本海側鳥信仰はかなりの古層 (青)山の鳥…鵺[奴延ぬえ=トラツグミ] (狭)野の鳥…雉子[岐藝斯きぎし] 庭の鳥…鶏[迦祁かけ] これでは鳥達も有難迷惑だろう。 歌うのは八千矛神で、おそらく異説はなかろうが、No.1とは描写のスタンスが違っている。自ら、「ホラホラ神が来ましたゼ。」という調子で謳うからで、叙事詩の語り歌的な雰囲気を感じさせる形式である。 そもそも、大神から、大国主と名乗れと言われながら、自ら勝手に、大神のレガリアでも無い矛へと改名するのは、そう簡単なこととは思えない。いかにも、男女の睦会いのシンボルとしての俗称に映るように記述されていることもある。 ただ、矛はレガリアではないだけに、政の歌と解釈することができない訳でもない。トラツグミは心地良い鳴き声ではないものの、雉の雄叫びや、鶏の朝一番の声を止めさせる姿勢は珍しいからだ。 出雲王朝に屈することになる婚姻関係締結反対勢力が多く、どうにもならなかったということになる。 それに、恋の歌ということなら、稻羽之八上比賣や須世理毘賣@根堅州國との婚姻歌もあってしかるべきだし。 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |