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■■■ 「古事記」解釈 [2022.10.31] ■■■
[歌鑑賞29]高光る日の皇子八隅知し
【美夜受比賣】答御歌
多迦比迦流たかひかる 比能美古ひのみこ 夜須美斯志やすみしし 和賀意富岐美わがおほきみ 阿良多麻能あらたまの 登斯賀岐布禮婆としがきふれば 阿良多麻能あらたまの 都紀波岐閇由久ときはきへゆく 宇倍那宇倍那うべなうべな 岐美麻知賀多爾きみまちがたに 和賀祁勢流わがけせる 意須比能須蘇爾おすひのすそに 都紀多多那牟余つきたたなむよ
⑬(5-4)-(5-6)-(5-7)-(5-7)-(6-7)-(5-7)-7

    爾 美夜受比賣 答御歌曰
高光る  輝かしく光を放つ 📖「古事記」が示唆する枕詞発生過程
日の皇子  日の皇子(であらせられ)
八隅知し  八方に御威光を発する 📖「古事記」が示唆する枕詞発生過程
我大王  吾が大王(よ)
新瑞の  新しき瑞兆の
年が来経れば  年が改めることになれば
新瑞の  新しき瑞兆の
時は来経行く  月が経て行くものです
宜な宜な  それはそうでしょう
君待ち難に  貴方を待ちかねていましたので
我が着せる  吾が着ている
衣裾の裾に  衣裾の裾に
月立たなむよ  月が経ることになった訳で

この歌の冒頭の賛辞は桁違い。
歌中で天皇を<日の皇子>と呼ぶことは滅多にないだけでなく、"高光る"との称える言葉がついているのだから特別扱い。
<八隅知し我が大王>同様に、天皇であっても、限定的にしか用いられていない。・・・
 ≪倭建命≫
  高光る日の皇子八隅しし我大王・・・
 ≪大雀命/⑯天皇≫
  品陀の日の御子 大雀大雀・・・
  高光る日の御子諾こそ問ひ給へ・・・
 ≪大長谷若健命/㉑天皇≫
  纏向の日代の宮は・・・
     高光る日の皇子・・・
  倭の此の高市に・・・
     高光る日の皇子に豐御酒奉らせ
  三吉野の小室岳に・・・
     八隅知し吾が大王の鹿猪待つと・・・
  八隅知し我が大王の遊ばしし・・・
  八隅知し我が大王の朝処には・・・

この部分は、男女の恋愛関係とは何のかかわりもなく、男からの"月立ちにけり"への返歌に必要とは思えないが、天皇のなかでも格段に尊い天皇と結ばれることに対する儀礼として不可欠ということなのだろう。もちろん、返歌として、天の香久山に対応した句と見なすこともできそうだ。
倭建命は朝廷の臣から推挙されなかったので、天皇位には就けなかったが、朝廷外では実質的に天皇と見なされていたことを意味しよう。

さて、厄介なのは、本題たる月の方。
およそ題材として相応しくない<月経>をどのように取り上げるかは難物と言ってよいだろう。下手なコメントで波紋を起こしてもこまると考えれば、そうならざるを得ない。しかしながら、そんなことを機に懸けずに、自然体で臨めばどうということもなかろう。

倭建命の前歌を、美夜受比賣がどう受け取ったのか考えれば済むこと。

当たり前だが、月経について、女性側が云々することなどありえないことで、秘匿すべきモノであるのは大前提。しかし、月のモノが来てしまったのであり、倭建命がそれに気付いてしまったのだから致し方あるまい。
長いこと会えなかった婚約者と、ついに再会でき、いよいよ初夜に臨もうという将にその時、Stopの信号が灯ったのだから、その落胆ぶりは半端ではなかったろう。

比賣としては、それを慰める手立てなどなにも無かろう。・・・というのが尋常な見方だが、そうではなかった。

これこそが、日が経つということ。、長いことこの夜をお待ちしていましたのヨと、元気付けたのである。
言い方を替えれば、月経中の性行為は厳禁とされていますが、禁忌破りも善いではないですか、神聖なる睦事なのですから、と倭建命を誘ったことになろう。圧巻の歌といえよう。
この行為こそが、類稀なる高貴なお方だけができるコトと断言したに等しかろう。その迫力の凄さには舌を巻く。流石、尾張の国造の祖と言われるだけのことはある。

太安万侶が付けた、この歌に続く一文は実にそっ気が無い。たったこれだけ。
  故 爾 御合

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