→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.5.8] ■■■ [127] 「古事記」が示唆する枕詞発生過程 津々浦々に在る八幡神社ご祭神の[15]応神天皇を選ぶ人は多いだろうし、善政で聖帝とよばれている[16]仁徳天皇の方が望ましいと考える人も少なくなかろう。皇統譜的に考えるなら、[29]欽明天皇となるのかも。天皇位ではないが、同等ということで、英雄視される倭建命@[12]景行天皇も並んでいておかしくないし、「古事記」では仏教が取り上げられないので選べないが、通常は上宮之厩戸豐聰耳命こと聖徳太子@[33]推古天皇を挙がってこよう。 しかしながら、雄略天皇が挙がってくることは滅多にあるまい。暴虐性が目立つし、童女好みの印象を与えるからだ。 (注意が必要なので書いておくが、仁徳天皇は儒教の理想的天子としての"聖帝"の資格を欠いている。嫉妬を抑制し、後宮マネジメントに熟達しているとは言い難いからである。) しかし、太安万侶的には、代表は雄略天皇以外に考えられぬとなるのでは。 それがわかるのは、枕詞表現。 枕詞については、その一部を取り上げたが、それらはここでの記載の序に当たる。・・・ 📖枕詞「蜻蛉島」考 📖枕詞「敷島の」考 📖虚見津であって空満ではない 話を進めるにあたって、ここでの枕詞の定義を確認しておこう。 あくまでも、形式的な表現で、謂わば、クリシェ的修飾語ということになる。その目的は重層的。 ○類似音反復や関連音付加のリズムと音韻感による声調 ○縁語、あるいは比喩・暗喩による婉曲 ○貴族内のみ通じるギャグ的な面白座興 ○情景描写を避け、抒情化し、叙事詩ムード醸成 但し、いずれも、それほど意味がある解釈ではない。言葉の意味が全くわからない以上、この程度の解釈しかできかねるというだけのこと。こうでもしない限り、できる限り新たな自由な表現をさせないために使われていると言われかねない訳で。 ところが、素直に「古事記」の大長谷若健命/[21]雄略天皇の段を読んでいると、枕詞発生過程を、なんとなくだが、感じることができる。 (この辺りは、センスの問題であり、そう思えない人も多かろう。小生は、雄略天皇が、祭祀に於ける歌謡の流儀を伝統に基づいて規定したと考える。・・・歌謡は、天皇に献上するものであって、自己表現ではなく寿ぎ。その表現は特別な形式になる。一種の祝詞であり、勝手に変更されるような言葉ではない。その基本は新嘗祭にあり、と言うのが太安万侶の見立てでは。 これに則って、挽歌の規定も作られていったのではあるまいか。歌で魂を送るのであろうから、用語使用は厳格だった筈である。) ここでは、そのようなつもりで、天皇/大王の枕詞記載歌を並べておくことにした。・・・ 《やすみしし安見知し/八隅知し わが大君の》 天皇の事績が並ぶ書なら、歌に多用されてもよさそうに思うが、使われている段は以下のように限られている。だからこそ、叙事詩「古事記」は、雄略天皇を"大君"の代表としていると考えざるを得ないのである。 【「古事記」倭建命@大帶日子淤斯呂和氣天皇/[12]景行天皇】 高光る 日の皇子[多迦比迦流 比能美古] やすみしし わが大君[夜須美斯志 和賀意富岐美] 新瑞の年が来経れば 新瑞の時は来経行く うべなうべなうべな 君待ち難に 我が着せる 衣裾の裾に 月立たなむよ 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】📖枕詞「蜻蛉島」考 三吉野の 小室岳に 鹿猪伏すと 誰そ 大前に白す やすみしし わが大君の[夜須美斯志 和賀淤富岐美能] 鹿猪待つと 胡坐に坐し 白妙の袖着装束ふ 手脛に 虻齧きつき 其の虻を 蜻蛉早咋ひ 斯くの如 何に負はむと そらみつ 倭の国を 秋津洲と云ふ 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…登幸葛城之山上 爾 大猪出 やすみしし わが大君の[夜須美斯志 和賀意富岐美能] 遊ばしし宍の 病み宍の うたき畏こみ 我が逃げ登りし 在峯の 榛の木の枝 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…春日 袁杼比賣 豐樂時 獻大御酒 やすみしし 我が大君の[夜須美斯志 和賀淤富岐美能] 朝処には い拠り立たし 夕処には い拠り立たす 脇几が下の 板にもが 吾兄を 一方、冒頭歌を雄略天皇御製とする「萬葉集」ではかなりの数にのぼる。 【「萬葉集」】 巻一#___3 天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌 やすみしし 我が大王の 朝には 取り撫でたまひ 巻一#__36 幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌 やすみしし 我が大王の きこしめす 天の下に 国はしも 巻一#__38 (幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌) やすみしし 我が大王 神ながら 神さびせすと 巻一#__45 軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌 やすみしし 我が大王 高照らす 日の皇子 巻一#__50 藤原宮之役民作歌 やすみしし 我が大王 高照らす 日の皇子 巻一#__52 藤原宮御井歌 やすみしし 我ご大王 高照らす 日の皇子 巻二#_152 (天皇大殯之時歌二首) やすみしし 我ご大王の大御船待ちか 巻二#_155 従山科御陵退散之時額田王作歌一首 やすみしし 我ご大王の 畏きや 御陵仕ふる 巻二#_159 天皇崩之時大后御作歌一首 やすみしし 我が大王の 夕されば 見したまふらし 巻二#_162 天皇崩之後八年九月九日奉為御齋會之夜夢裏習賜御歌一首 [古歌集中出] 明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大王 高照らす 日の皇子・・・ 香れる国に 味凝り あやにともしき 高照らす 日の御子 巻二#_199 高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌] ・・・ やすみしし 我が大王の きこしめす 背面の国の 真木立つ・・・ やすみしし 我が大王の 天の下 申したまへば 巻二#_204 弓削皇子薨時置始東人<作>歌一首[并短歌] やすみしし 我が王 高光る 日の皇子 巻三#_239 長皇子遊猟路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌] やすみしし 我が大王 高光る 我が日の皇子の 巻三#_261 柿本朝臣人麻呂獻新田部皇子歌一首[并短歌] やすみしし 我が大王 高輝らす 日の皇子 巻三#_329 防人司佑大伴四綱歌二首 やすみしし 我が王の 敷きませる 国の中には 都し思ほゆ 巻六#_917 神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作歌一首[并短歌] やすみしし 我ご大王の 常宮と 仕へ奉れる 巻六#_923 山部宿祢赤人作歌二首[并短歌] やすみしし 我ご大王の 高知らす 吉野の宮は 巻六#_923 (山部宿祢赤人作歌二首[并短歌] やすみしし 我ご大王は み吉野の 秋津の小野の 巻六#_938 山部宿祢赤人作歌一首[并短歌] やすみしし 我が大王の 神ながら 高知らせる 巻六#_956 帥大伴卿和歌一首 やすみしし我が大王の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ 巻六#1005 八年丙子夏六月幸于芳野離宮之時山<邊>宿祢赤人應詔作歌一首[并短歌] やすみしし 我が大王の 見したまふ 吉野の宮は 巻六#1047 悲寧樂故郷作歌一首[并短歌] やすみしし 我が大王の 高敷かす 日本の国は すめろきの 神の御代より 敷きませる 巻六#1062 難波宮作歌一首[并短歌] やすみしし 我が大王の あり通ふ 難波の宮は 巻十三#3234 −題詞無記載− やすみしし 我ご大皇 高照らす 日の皇子の 巻十九#4254 向京路上依興預作侍宴應詔歌一首[并短歌] ・・・継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が皇の 天の下 治めたまへば・・・ やすみしし 我が大皇 秋の花 しが色々に 巻十九#4266 為應詔儲作歌一首[并短歌] ・・・万代に 国知らさむと やすみしし 我が大皇の神ながら 思ほしめして 「萬葉集」では、"たかてらす"あるいは"たかひかる"も類似な枕詞として使用されていることがわかる。この場合は、大君・大王に係るのではなく、"日の御子"である。 《たかてらす高照らす/高輝らす 日の御子は》 【「古事記」】 <たかひかる>だけのようだ。 【「萬葉集」】 巻_一#__45 ⇒やすみしし 巻_一#__50 ⇒やすみしし 巻_一#__52 ⇒やすみしし 巻_二#_162 ⇒やすみしし 巻_二#_167 日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌] ・・・ 高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と 巻_三#_261 ⇒やすみしし 巻十三#3234 ⇒やすみしし 《たかひかる高光る 日の御子/皇子》 枕詞を知らずに詠う例が収載されている。儀礼を知らない雛人と見なしているか、この時点ではまだ儀礼が確立していないか、どちらかを示唆していることになろう。 【「古事記」倭建命@大帶日子淤斯呂和氣天皇/[12]景行天皇】 ⇒やすみしし 【「古事記」品陀和気命/大鞆和気命/[15]応神天皇】…吉野の国栖の歌 品陀の 日の御子[比能美古] 大雀 大雀 佩かせる太刀 【「古事記」大雀命/[16]仁徳天皇】…雁卵産譚📖鴈産卵の戯歌も収載 たかひかる 日の御子[多迦比迦流 比能美古] 諾こそ 問ひ給へ こそに 問ひ給へ ---豐樂時@長谷 百枝槻下---📖大悪有徳天皇の魅力を余す所なく記載 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…<天語歌>【伊勢國 三重婇(獻 大御盞)】 ・・・ 浮きし脂落ち足沾ひ くらげなす 水こをろこをろに来しも おのごろ嶋 綾に恐し たかひかる 日の御子[多加比加流 比能美古] 事の語り事も 此をば 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…<天語歌>【大后製】 倭の 此の高市に 小高る 市の司 新嘗屋に 覆ひ樹てる 葉広 斎ゆつ真椿 其が葉の 広り座し 其の花の 照り座す たかひかる 日の御子に[多加比加流 比能美古] 響みて 奉らせ 事の語り事も此をば 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…<天語歌>【天皇御製】 百礒城の 大宮人は 鶉鳥 領巾取り懸けて 鶺鴒 尾行き和へ 庭雀 髻華住まり居て 今日もかも 酒御付くらし たかひかる 日の宮人[多加比加流 比能美夜比登] 事の語り事も此をば 【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…三重の采女の歌 あり衣の三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ち足沾ひ 水こをろこをろに 来しも 綾に恐し たかひかる 日の御子[多加比加流 比能美古] 事の語り事も 此をば 上記には"日の宮人"があるが、"日の朝廷"という表現もあるようだ。 【「萬葉集」】 巻二#_171 皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首 高光る 我が日の皇子の 万代に国知らさまし嶋の宮はも 巻二#_173 (皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首) 高光る 我が日の皇子の いましせば島の御門は荒れずあらましを 巻二#_204 ⇒やすみしし 巻三#_239 ⇒やすみしし 巻五#_894 好去好来歌一首[反歌二首] 神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 倭國の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり・・・ 高光る 日の朝廷[日御朝庭] 神ながら 尚、「萬葉集」には、枕詞無しで、直接的に"天皇"と記載されている歌もあるので、気付いた歌だけご参考に。(初期歌は、題詞や注は"天皇"表記でも、歌では余り使われていないように見える。) 天皇 巻一#__29 過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は 巻一#__79 或本従藤原<京>遷于寧樂宮時歌 天皇の 命畏み 柔びにし 巻二#_167 ⇒たかてらす 巻二#_230 霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王<薨>時作歌一首[并短歌] ・・・心ぞ痛き 天皇の 神の御子の いでましの 巻三#_322 山部宿祢赤人至伊豫温泉作歌一首[并短歌] 皇神祖の 神の命の 敷きませる 国のことごと 巻三#_443 天平元年己巳攝津國班田史生丈部龍麻呂自經死之時判官大伴宿祢三中作歌一首[并短歌] 天雲の 向伏す国の ますらをと 言はれし人は 皇祖の 巻六#_948 四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首[并短歌] 行く水に みそぎてましを 天皇の 命畏み ももしきの 大宮人の 巻十三#3312 -無題詞- 隠口の 泊瀬小国に よばひせす 我が天皇よ すめろき 巻十七#4006 入京漸近悲情難撥述懐一首并一絶[右大伴宿祢家持贈掾大伴宿祢池主] ・・・すめろきの[須賣呂伎]の 食す国なれば 御言持ち 巻十八#4097 (賀陸奥國出金詔書歌一首[并短歌])反歌三首)[大伴家持] ・・・すめろき[須賣呂伎]の御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く 【ご注意】検索都合上、「萬葉集」テキストに、日本の公開電子ファイルを使用したため、原文自体にかなりの欠落部分があります。このため上記の網羅性は保証できません。付属する訳訓は原文漢字と異なる場合改訂しましたが、見逃しやミスは少なくないと思われます。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |