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■■■ 「古事記」解釈 [2022.11.28] ■■■
[歌鑑賞56]倭辺に西風吹き上げて
【黒比売】帰都に際し、別れを惜しむ
夜麻登幣邇やまとへに 爾斯布岐阿宜弖にしふきあぎて 玖毛婆那禮くもばなれ 曾岐袁理登母そきをりとも 和禮和須禮米夜われわすれめや
㊄(5-7)-(5-6)-7

    天皇上幸之時
    K日賣 獻御歌曰

倭辺に  大和の方へと
西風吹き上げて  西風が吹き上げて
雲離れ  (ここに生まれていた)雲が離れて行きます
退き坐りとも  (天皇が上幸され)戻ってしまわれ (遠く離れてしまっ)ても
吾忘れめや  吾が忘れることなどございましょうか

切なきお別れの風情が伝わってくる歌だが、原型が存在していた可能性もある。
   神女遙飛 芳音歌曰:
   倭邊に 風吹上て 雲離れ 退居共よ 我を忘らす莫
     [「丹後國風土記(逸文)」與謝郡日置里"筒川嶼子 水江浦島子"]


その様な歌が一般的に知られていたとしたら、天皇が吉備に宮を構えていたことを意味していることになるのではあるまいか。その期間は多分短いものの、吉備王朝期が存在したと言うこともできよう。
(吉備の造山古墳360mは、同じく🈭期の百舌鳥の大仙陵525mには及ばないものの、上石津ミサンザイ/百舌鳥陵山365mと同等規模である。)📖古墳リスト再掲

「古事記」記載文にはそのようなことを示唆する情報は見つからないが、吉備王朝が存在しなかったとなると、天皇が吉備のK日賣に会ってすぐ帰ったことになる。

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