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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.1] ■■■
[歌鑑賞59]つぎねふや山代川を宮上り
【大后】志都歌之歌返皇后激怒し家出を決意
都藝泥布夜つぎねふや  夜麻志呂賀波袁やましろがはを 美夜能煩理みやのほり 和賀能煩禮婆わかのほれば 阿袁邇余志あをによし 那良袁須疑ならをすぎ 袁陀弖をだて 夜麻登袁須疑やまとをすぎ 和賀美賀本斯久邇波わかみかほしくには 迦豆良紀多迦美夜かづらきたかみや 和藝幣能阿多理わがへのあたり
⑪(5-7)-(5-6)-(5-5)-(3-6)-9-8-7

    即 自山代廻 到坐那良山口
    歌曰

つぎねふや  📖枕詞「つぎねふ」考
山代川を  山城国の川を
宮上り  宮の方に向かって
吾が上れば  吾は遡って来たので
青丹吉  (ついに) <あおによし>の
那良を過ぎ  奈良山を通り過ぎ
小楯  青垣の雰囲気の地へと進み
倭を過ぎ  大和の中心を通過したところ
吾が見が欲し土は  吾が目にしたいと思っていた地とは
葛城高宮  葛城にある高宮で
吾家の辺り  実家の近くに造った宮

"つぎねふや山代川を"の歌が続くが、こちらは果たしてわざわざ詠む必要があるのか、疑問を感じさせるように出来上がっている。・・・ここから皇后の怒りの感情の高まりが読み取れるかどうか。
現代人には結構骨である。

鍵を握る一句は、誰でもが知る"奈良の都"の枕詞<青丹吉>。言うまでもないが、「古事記」が初出であり、もともとは<都[=宮処]>ではなく、奈良山辺りの山背道を指していたことがわかる。
「萬葉集」で対応する歌は以下となろう。
[巻十三#3236]そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を
[巻十三#3237]あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 娘子らに 逢坂山に 手向け草 幣取り置きて 我妹子に 近江の海の 沖つ波 来寄る浜辺を くれくれと ひとりぞ我が来る 妹が目を欲り

これで落着というわけではなく、実は、<山>ではなく、有名な<都>の歌を眺めると気付かされる。・・・
[巻三#328:大宰少貳<小野老朝臣>歌一首]青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
薫り咲き乱れている花を愛でるような気分で<都[=京]>をながめているのは<老>でもあるから。ここでの<青>は、若々しさの華を象徴する文字でもあろう。

八田若郎女など、若いというだけ、と猛烈な敵愾心を燃やし始めたのである。下船し奈良山の坂道を歩いていて猛烈に腹が立って来たということ。
そして青垣に囲まれた盆地に入ったのだが、そこで怒りは頂点に。
・・・漫然と読むとココを見逃してしまう。
もちろん行先は大和の中心部ではなく、実家がある葛城地区の高台にある自分の宮。そこへと、立腹しながらはるばるやってきたものの、ここに至って、そんなところに引っ込んでいてなんになる、と向かっ腹が立って来たのである。
想像している訳ではない。
行こうと思っていたが、取り止めたと、はっきり歌っているからだ。言葉の上では、"見たかった"であるものの。

叙事詩の聴衆は、それで、と先が気になる筈。
現代のドラマと同じである。<続く>

しかし、古代のシナリオメーカーは、ここで<了>。<第2部>が始まる。

聴衆としては、八田若郎女はどうなったのか大いに気になるに違いないが、皇后は葛城には行かなかったのだから、実はそこらを記載する必要は無い。この歌で取り上げているのは宇治に通じる道であり、その地こそが皇后が怒りをぶつける先だからだ。

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