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■■■ 「古事記」解釈 [2021.11.27] ■■■
[330]枕詞「つぎねふ」考
枕詞の意味を「古事記」から探ることは、極めて重要と考えているので、もう一つ。
取り上げるのは、"つぎねふや"だが、本当はこの言葉から始めたかった位で、頭に刺激を与えてくれるという点ではピカ一。

この場合、欠かせないのが、事典/辞典を眺めること。
当然ながら、"語義およびかかり方未詳"とされているに過ぎないが、それは、どうでもよい。たいていは、"しかれども"、このような説もあると、いくつか紹介されていて、これが面白いのである。
それを纏めると、こうなる。・・・
⓿都芸泥布【太安万侶音素表記】
❶次嶺経【「萬葉集」編纂者説】
  …次々に峰が続く
❷ 〃 【下河辺長流・賀茂真淵説】
  …大和から山城へ峰を次々と越えて行く
❸継苗生【本居宣長説】
  …植林用の苗を植える場所
❹ツギネ生【福井久蔵説】
  …豆木禰久佐[≒二人静 or 一人静]
(上記出典は、精選版 日本国語大辞典とある。)

成程感があったのは、"ツギネ生"。
これと対照的なのが、"継苗生"。おそらく、かかる対象語彙の山代の意味からのドグマチックな理屈だ。こも手の主張はいくらでもできる訳で、検討は避けた方がよかろう。

この"ツギネ生"だが、「古事記」ではなく、以下の「萬葉集」の歌での話。従って、二人静が正しいか否かはどうでもよいのだが、この<考え方>自体が貴重な指摘になっている。
[「萬葉集」巻十三#3314⇒#3317]
つぎねふ[次嶺經] 山背道を
人夫の 馬より行くに
己夫し 徒歩より行けば
見るごとに 音のみし泣かゆ
そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾 負ひ並め持ちて
馬買へ我が背
  ↓
馬買はば 妹徒歩ならむ よしゑやし
石は踏むとも 我はふたり行かむ


思うに、"万葉の花"ということで探したのだろう。すると、ピッタリ発見。「萬葉集」は歌集であるから、それでよいのである。一人静の方が当たっているというなら、それでもよいのである。歌というのは、そういうもの。
  一人静 坂越し山越す 誰が恋も 中村草田男

この感覚、前にも少し触れたことがあるが。お分かりいただけるだろうか。
繰り返すが、歌集だからこれでよいのである。
一応、歌は詠うとされるが、あくまでも心のなかで詠むのであって、口にだして謳うかどうかはオプション。伝統に従って、歌謡的に唄う仕草をすることが多いだけで、本質的には口誦不要。
要するに、"完全"文字化した作品であって、それを読んで鑑賞するから、声に出すのは実のところオマケでしかない。正確に言えば、書き留めることこそが重要なのである。

従って、"つぎねふ"を"次嶺經"という意味で記載されていても、鑑賞する側が、その音が"一人静"であることに気付いたなら、そう解釈しても一向にかまわない。と言うか、2重に読めること自体が歌の技術なのである。現代だと、下手をすれば親爺ギャグとか駄洒落とされるが、それは、儒教的精神支配を是とする社会になったが故の扱い。もともとはお洒落で気の利いた表現技法だったのは間違いない。

「古事記」にもこの手の言葉遊びが持ち込まれている可能性はあるが、「萬葉集」とは性格が全く異なるので、そのように勝手に読むと価値が失われる。
忘れてはならないのは、歌集ではない点。しかし、収載されているのは歌であって、歌謡では無い。ここらの概念をしっかり受け止めておかないと、滅茶苦茶になるのでご用心である。
面倒なので、古事記歌謡と呼ぶものの、「古事記」に収載されているのは口誦歌謡ではない。説明やト書き付きの文字化されたものが存在している訳もなく、いわば歌物語化されたもの。もともとの歌謡はアドリブありの口誦ものなのだ。
そんな歌謡の心髄を、簡潔に文字化するべく太安万侶は苦闘したのである。

そのため、見かけはすべて、中途半端なガイスト的歌物語になってしまう。それは当たり前の話で、歌謡から、"歌"のパートを厳選して取り出したからである。換言すれば、本邦での和歌の始まりを文字によって提示したことになる。力作である。

つまり、「古事記」の"つぎねふ"の歌は歌謡の一部ということで、ストーリーと言い回しを想像しながら読んで欲しいということになろう。(大后木國行幸⇒摂津帰還回避⇒山代川遡上⇒那良山口(望郷:葛城高宮)⇒筒木韓人(奴理能美)の家"山代筒木宮")
従って、"つぎねふ"が"一人静"である可能性は極めて低い。"大和から山城へ峰を次々と越えて行く"という意味との指摘は鋭いものがあろう。そのようなイメージで、"次嶺経"という言葉が発せられたと考えるのが自然であろう。
普通は、大后石之日売命の嫉妬物語として読むが、この部分の歌謡の主人公は八田若郎女。歌には登場してこない脇役的存在の結婚相手である。二人は宮で、睦び合う日々を過ごしたのである。
ただ、結婚譚ではなく嫉妬譚となるような編集が行われたため、どのような社会なのかが見えるようになっている。・・・大后の地位は天皇となんら変わることもないし、出身母体の葛城勢力は対等な姿勢で朝廷に臨んでいたことがわかる仕掛けでもある。ここらはクドイくらいに、様々な形で描かれているが、それは初代天皇の到達以前から支配を続けて来た自負心から来るものかも知れないが、直接的な言及は一切なされていない。

と言うことで、「古事記」の"志都歌"歌謡からのピックアップ集を引用しておこう。語彙の繰り返しが多いし、アップテンポ調になっていて、"これは歌謡からママ引いて来た歌ですゾ。"と感じさせる書き方になっている。・・・
太后
つぎねふや[都芸泥布夜] 山代川[=木津川]を 川上り
吾が上れば 川の辺へに 生ひ樹てる 烏草樹を
烏草樹の木 其が下に 生ひ樹てる 葉広 斎つ真椿
其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 天皇ろかも

📖御綱柏は隠蓑だろうか
📖眞賢木・麻都婆岐(真椿)・柃・眞拆
📖小小坊登場には仰天
太后
つぎねふや 山代川を 宮上り
吾が上れば 青丹吉 那良を過ぎ 小楯 倭を過ぎ
吾が見が欲し土は 葛城高宮 吾家の辺り

天皇
山代
い及け 鳥山 い及け い及け
吾が愛し妻に い及き 遇はむかも

天皇
三諸の その高城なる 大猪子が原
大猪子が 腹にある 肝向かふ 心をだにか 相思はず有らむ

天皇
つぎねふ 山代女の 木鍬持ち
打ちし大根 根白の 白腕
枕かずけばこそ 知らずとも云はめ

口子臣の妹 口日売
山代の 筒木の宮に 物白す
吾が兄の君は 涙ぐましも

天皇
つぎねふ 山代女の 木鍬持ち
打ちし大根 さわさわに
汝が云へせこそ 打ち渡す 弥が栄なす 来入り参来れ

📖有變三色之奇虫の驚きとは

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