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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.6] ■■■
[歌鑑賞64]つぎねふ山代女の木鍬持ち…さわさわに
【天皇】志都歌之歌返家出皇后を迎えに出向く
都藝泥布つぎねふ 夜麻斯呂賣能やましろめの 許久波母知こくはもち 宇知斯意富泥うちしをふね 佐和佐和爾さわさわに 那賀伊幣勢許曾なかいへせこそ 宇知和多須うちわたす 夜賀波延那須やかはえなす 岐伊理麻韋久禮きいりまゐくれ
㊈(4-6)-(5-6)-(5-7)-(5-6)-7

    爾 天皇御立
   歌曰

解説あり。
    此天皇與大后所歌之六歌者志都歌之歌返也
つぎねふ  📖枕詞「つぎねふ」考
山代女の  山城の女が
木鍬持ち  木製鍬を持って
打ちし大根  土を打ち起こして収穫する大根(堀の時の様に)
さわさわに  (奇虫のことを)サワサワと(騒がしく)
汝が云へせこそ  汝がいうので
打ち渡す  見渡す限り
弥が栄なす  (桑/鍬の)木々が繁茂し 寿いでいる(のと同じ様に)
来入り参来れ  (打ち揃って)参集し (ここに)来訪したのです

口子臣、口日売、奴理能美が、落としどころを勘案し、奇妙な虫をタネに関係修復をはかろうと知恵をはたらかした結果である。
早い話、大后が天皇の行為に怒って宮を出ていったということではなく、実は奇虫を見たかったからということにし、天皇も行幸されてご覧になったら如何でしょうと上申して、事を丸く収めることにしただけ。
(尚、できる限り擬音と見なしたくない人は、サワサワは"清々"と見なすべしとなろうが、その後がワイワイガヤガヤの態と考えると、繋がる言葉ではないから、無理な論理を必要とする。元の鞘に納めるための歌と見なすなら、その流れの言葉と考えるしかなかろう。)

この歌は、No.58<つぎねふや山代川を川上り>からから始まった大后の離縁的騒動譚の最後で、No.61<三諸のその高城なる>は危ういところの大和入りを示唆する歌だから当てはまらないが、この歌と嗜好がほぼ同じに映りかねない<"つぎねふ"-"山代">表現が4首も並んでいるから、いわば<山代歌>として一括して眺めたくなるようにできている。
「古事記」の解説文も口日売の歌を除く6首をまとめていることだし。
   此天皇與大后所歌之六歌者志都歌之歌返也
聞かせるお話なら、この6種を核にすれば十分であろうが、歌を読もうとする場合はそれは避けた方がよい。
前歌の口日売の内容は、この御製同様に、騒動を収める過程の話であり性格が全く異なるからだ。

と言うのは、たとえ上手く収まったとしても、今後も天皇が恋人探しを止めることなどありえないだろうし、大后にしても宮廷と縁を切れば朝廷が瓦解しかねないのを知っているから、両者が適当なところで妥協せざるを得ないのは自明だからだ。つまり、誰が考えても、その落しどころを設定し、面子を傷つけないようにして、元の鞘に戻ってもらうしかない。つまり、この2首とは落としどころを探る手の歌。
歌のグループ分けとしては、この2首と、この後ろの新恋人譚の2首と一緒にして、妃を取り込み続ける話としてまとめる方がわかり易い。

ちなみに、こうしたグループ分けを行うのは、100首以上もあるので整理に便利ということで行っている訳ではなく、歌を解釈する上では不可欠な作業だからだ。歌集編纂における、区分訳とは違い、「古事記」は地文と歌には明らかに相互関係があり、両者でストーリーを形成しているので、その塊を見つけないと文脈そのものがよくわからなくなりかねないので不可欠ということ。
この先の2首も、天皇の新恋人譚と言えばその通りだが、文脈上は、天皇と大后の妥協がどのような形でなされているかを示している箇所。さらにその後ろには、恋人獲得失敗譚が続くが、そこは有名な反逆譚。
どうしてそうなるかは、このようなグループ分けをしながら全体の流れを見ていれば自ずと見えて来る。ところが、この作業を怠ると、細切れに、注目されている事件が収録されているとしか読めなくなってしまう。歌をグループ化して読み取らないと、「古事記」が著したかったことは見えてこないことになる。ほぼ独立作品を収録している歌集とは読み方が違うのである。

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