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■■■ 「古事記」解釈 [2022.12.13] ■■■
[歌鑑賞71]梯立の倉椅山は…妹と登れば
【速總別王】愛妻と共に最期を覚悟
波斯多弖能はしたての 久良波斯夜麻波くらはしやまは 佐賀斯祁杼さかしけと 伊毛登能爐禮波いもとのほれば 佐賀斯玖母阿良受さかしくもあらず
㊄(5-7)-(5-7)-8

    又歌曰
梯立の  梯子を立て架けたような
倉椅山は  倉椅山は
険しけど  険しいけれども
妹と登れば  吾の妻と登れば
険しくも非  険しいとも思えない

前句と比べると凡。・・・霰が降って来て、吉志美が岳は険しいので、草を掴もうとしていたら、妹の手を握ってしまったという、「萬葉集」歌と似たモチーフであり、現代でも使われそうな汎用表現に近いから。
[巻三#385]霰降り 吉志美が岳を さがしみと[險跡] 草取りかなわ 妹が手を取る

ある意味、これが辞世の句でもある。
  故 自其地逃亡 到宇陀之蘇邇時 御軍追到 而 殺也

ところが話はここで完とはならない。
祭祀関係を取り仕切る大后の豊楽での采配ぶりが付録となる。宴で、大楯連の妻の玉釧が女鳥王のものと気付いて、大后の一存だが、詔ということで即刻処刑。・・・<不道>の罪としていそう。📖法律観念の端緒が見えてくるこうなると、ほとんど天皇と同格であり、宮廷の実権を握ったことになろう。

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