→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2023.1.1] ■■■
[歌鑑賞90]隠口の泊瀬川の上つ瀬に
【木梨之輕太子】心中に当たっての相思相愛確認
許母理久能こもりくの 波都勢能賀波能はつせのかはの 加美都勢爾かみつせに 伊久比袁宇知いくひをうち 斯毛都勢爾しもつせに 麻久比袁宇知まくひをうち 伊久比爾波いくひには 加賀美袁加氣かかみをかけ 麻久比爾波まくひには 麻多麻袁加氣またまをかけ 麻多麻那須またまなす 阿賀母布伊毛あかもふいも 加賀美那須かかみなす 阿賀母布都麻あかもふつま 阿理登伊波婆許曾爾ありと いはばこそに 伊幣爾母由加米いへにもゆかめ 久爾袁母斯怒波米くにをもしのはめ
⑰(5-7)-(5-6)-(5-6)-(5-6)-(5-6)-(5-6)-(5-6)-9-7-8

    又歌曰
そして歌をもってフィナーレ。
    如此歌 卽 共自死
注釈あり。
    故 此二歌者讀歌也
隠口の  📖[私説]"こもりくの"泊瀬の意義
泊瀬川の  泊瀬の川の
上つ瀬に  上流の瀬には
斎杙を打ち  神聖な杭を打ち
下つ瀬に  下流の瀬には
真杙を打ち  本格的な杭を打ち
斎杙には  神聖な杭には
鏡を懸け  鏡を懸け
真杙には  本格的な杭には
真玉を懸け  真玉を懸けます
真玉なす  真玉のように
吾が思ふ妹  吾が思っている妹
鏡なす  鏡のなかに
吾が思ふ妻  吾が思っている妻
有りと言はばこそに  (その人が)居ると言うのならば
家にも行かめ  家にも行きましょう
国をも偲はめ  (故郷の)国も偲びましょう

伊予の地で心中する際に歌ったとは思えぬ訳のわからぬ歌である。
にもかかわらず、「萬葉集」[巻十三#3263]に引用されている。相聞歌扱い。
[左注]檢古事記曰 件歌者木梨之軽太子自死之時所作者也・・・
己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打 下湍尓 真杭乎挌 伊杭尓波 鏡乎懸 真杭尓波 真玉乎懸 真珠奈須 我念妹毛 鏡成 我念妹毛 有跡謂者社 國尓毛 家尓毛由可米 誰故可将行

(この巻での"こもりくの"は様々なタイプ…e.g.[#3225:雑歌]隠来矣 長谷之河者 [#3310:問答]隠口乃 泊瀬乃國尓 [#3330:挽歌]隠来之 長谷之川之)

川での祭祀のようだが、籠ってしまった女性を引き出すための、天の石屋戸から綿々と続けられてきた儀式に映る。鏡に映ったなら再生したことになるということだろうか。

前歌の解釈と整合させるなら、これは伊予で再会できるという、屈折した歓びの歌ということになろう。
大和に居たなら、籠ってしまった人を引き出すには、鏡・玉の儀式をするもの。そうしていたなら、二人が睦あった家と、幼少から一緒に育ってきた国を偲ことになる。しかし、再会が現実のものになるのだからその様なことは不要だね、ということ。
妹であり、妻でもある、愛する人と一緒になれるのは素晴らしいことだねとの恋歌である。

 (C) 2023 RandDManagement.com  →HOME