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■■■ 「古事記」解釈 [2023.2.19] ■■■
[歌の意味24]倭建命は吾妻でルーツに気付く
小生は、倭建命譚はよく考えられて構成されていると見るが、一般には、そうは読まないように指導されていそう。それに気付いたのは、酒折宮での御火燒之老人の扱いから。📖リスク覚悟で東国の実態記載
[_27]📖日々並べて 夜には九夜 日には十日を
・・・篝火を焚く役で賤民といった調子の解説が一般的。従って、「古事記」の多くの注釈は、この手の恣意的な書き物と見た方がよかろう。従って、反面教師としては大いに参考になる。
そのお蔭で、この注に触発され、太安万侶の考え方が見えて来た。

太安万侶は、倭建命を単純な脳細胞に見えるよう、多少悪意を持って書いているように見えるが、それには理由があったことになる。
東征に一段落した時点では、その性情とは全く異なっており、インテリ化しているからだ。つまり、その大転換を際立たせるための仕掛けということになろう。

どうしてそのような離れ業ができたかと云えば、東国で学んだからに違いあるまい。・・・とんでもない見方だが、これが倭建命譚の凄いところ。

常識的には、東国イメージは未開の地の端。中華帝国に倣えば、そこは東夷の世界で、文化的生活とは程遠いと見なすことになろう。
つまり、心象風景的にはこんな具合では。・・・
  中央…倭  天皇(父)
  鄙……針間 伊那毘能大郎女(母)
  鄙……出雲 出雲建
  鄙……尾張 美夜受比賣
  北狄…蝦夷【「古事記」では異言語域なので触れず。】
  東夷…吾妻 (東国:東方十二道) 御火燒之老人
  西戎…熊襲 熊襲建
  南蛮…南島 (海神) ⇒入海:(后)弟橘比賣命

そう思って、西征すれば、そこには"建"が居り、尊称を賜ることになるし、出雲にも"建"が居り、兄弟的に扱ってもらえたのである。東征では、"建"はおらず、一気に制圧できたが、それは倭の"建"来訪を歓迎する人々がすでに存在していたことを意味しよう。倭の文化は遠の昔に入っていたことになる。
御火燒之老人に至っては、漢籍の知識まであり、倭建命はそれこそ目から鱗であったに違いない。だからこそ、この老人を国造に任命したのは明らか。
そもそも、速須佐之男命系出雲建・豊玉比売の係累であるとも言えそうな熊襲建は、皇統譜につらなると考えることもできる。(后)弟橘比賣命は出自不明だが、自らの意思で海神の元へと帰って行ったことになる。老人とのやり取りで、そんなことが一気に脳裏を駆け巡ってもおかしくなかろう。
呪器で王権を確立して来た立場からすると、この様なルーツへの思いが込み上げて来て当然と言えよう。
[_31]📖倭は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる倭し麗し
すでに朝廷は、中華帝国型文化に染まりつつあり、地域覇権国の存在は認めることは無いし、文化の中心であり続けてきたとのスローガン一色だが、実態は、そういうことでは無いことを初めて理解したと言えよう。

"たたなづく青垣"は、野火祭祀の東国や、八雲から光線が降り注ぐ出雲とは違うことに感興を覚えたことの証でもあろう。但し、それは、倭建命が抱く古代の倭のイメージだが。

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