表紙 目次 | ■■■ 面白話とは限らない 2014.4.24 ■■■ 初耳の世代論[補足]4月1日付なので、冗談に見えますが、そうでもなさそうですナとのこと。→ 「初耳の世代論」 "そう言えば、思い当たるフシあり"ということか。 補足しておこう。 小生も含めて、素人の世代論は論理性を欠いているものが多い。時間的に繋がる3世代を設定し、その違いを見つけ、それらしき理由を語ればなんとなく辻褄が合うので、安直に主張しやすいからであもある。主張する本人がその欠陥に無頓着であるのも大きい訳だが。 そういう点で信用ならない話だらけだが、それはそれでよいのでは。茶飲み話としては面白いからである。偏見を表立って語れる時代ではないから、残された貴重な楽しみかも。 もっとも、それに意味がある場合も少なくはない。例えば、教育論とか、政治的な世代間格差問題、マーケティングのセグメンテーション、等々。 しかし、先の話はそういう類ではない。 この世代だけ、一寸違うネという印象からの決めつけにすぎない。 どういう筋に仕上がっていそうか、背景を書いておこうか。 この話のポイントは、当該世代は、その前後世代に比べて、フラストレーションが相当に溜まっているかも、という点。 その理由を、偏見に満ち満ちて無理に描けば次のようになる。 先ずは、 【前の世代】 経済的にUps & Downsを経験しているが、不運に見舞われた人も少なくない。それ以前なら当然得られた筈の、生活上の安全牌が、十分に配られなかったのである。 しかし、Ups時代も知っているので、多くは、「これも致し方なし」と諦めムード。つまり、不遇でも、それに達観で対応しがち。 これとは対照的なのが、 【後の世代】 経済好調時代の社会の雰囲気に接したことがない。従って、言葉上は「景気がさっぱり上向かない」時代を過ごしたのだが、生活上で特段の苦しみを感じたこともないから、やはり達観的なのである。要するに、ほとんどの人は、安穏とした生活が約束されている環境下に住んでいるのだ。お気軽に、それなりに楽しく生活すれば、それで結構という調子。 そんなこともあって、社会の動きに対して、「それなりに合わせていれば十分」との姿勢をとりがち。 おわかりだろうか。覇気ある人も存在するが、このような全体のムードのなかでは埋没せざるを得ない。優秀と目される人に対しても、周囲は「頑張ってネ」で終わりで、自分も挑戦とはならないのである。 そうなれば、やる気十分の少数派は、周囲に余り関心を払わず、「分をわきまえ」自力で頑張るか、「新潮流に賭ける」ことになろう。 しかし、その体質とは一寸ばかり違うのが、 【両者の狭間世代】 おそらく、その特徴は「競争」である。前の世代を見て、その教訓から「不遇」側に陥らないようえらくに神経を使うのである。 この「競争」だが、人口が多い、団塊世代の競争感とはいささか違うようだ。 しいて言えば、芥川龍之介の蜘蛛の糸のようなもの。 ・誰が糸を垂らすことができそうか目を光らせ、 ・いかにして糸を垂らしてもらうか考え抜き、 一旦、それをつかんだら、 ・後続をいかに落とすかを考える。 ただ、そうは見えないように気をつかうことも忘れてはいない。 後の世代の連中に爪はじきに合いかねないからだ。自分が蹴落とす算段をしているから、多勢に無勢で足を引っ張られるのは危険そのもの。従って、「人当たり」にはことのほか注意を払う。前後世代に似ているが、その対応は別もの。 しかし、本質的にはそういう競争をしているのだから、かなりストレスを抱えているかも。 この体質は、実につまらぬことで露見する。 エスカレーターで、片側が追い越し用だとすると、直前の人の前が空いていると、すかさずそこに移ってくる。 通路だと、前の人を追い抜いて、その人の前を歩く。しかも、追い越すとスピードを落とす。 おわかりだろうか。 別にこの行為に悪気がある訳ではないし、決して急いでいる訳でもない。 このようにしていないと落ち着かないのである。 他の世代では、滅多に見かけない行動パターンなのでえらく目立つのである。 苦笑いの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |