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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.2.17 ■■■

魚 (飛魚,Dr.Fish,兜蟹,等)

魚の話の一部を取り上げた。・・・烏賊, 鯉 鰐,山椒魚,鮫
その他にどのような魚が載っているかご紹介しておこう。

先ずは、ありえそうでありえそうにない魚から。
【飛魚】
 朗山浪水有魚,長一尺,能飛,飛即雲空,息即歸潭底。
淡水にも飛魚がいるという話。

汽水域なら飛魚が侵入する可能性はありそう。
しかし、成式が指摘しているのは河川のかなり上流域。無塩の世界にダツ系の大きな魚がいると聞いたことがない。
もともと海面上すれすれの「飛行」とは大口魚に襲われそうになった際の逃亡方法。多分そのシーンは壮観。我々が偶々見かけるのは、遊び半分の姿でしかなかろう。そのように考えるなら、大陸河川は渓谷でも日本の大河下流とかわらぬ広さだから、似た現象が生まれてもおかしくなさそう。だが、体長30cmともなると、それを餌をする大魚がそうそう棲んでいるとは思えない。
さすれば、考えられるのは、突発的な酸欠状態での混乱。急峻な山岳地形的な場所であっても、急流とは限らないから、ありえるかも。もちろん稀だが

・・・小生のセンスでの解釈だが、成式ならではの、魚への愛着故の、淡水飛魚話掲載では。淡水飛魚を道教的に解説するなら、仙山に関係してくるし、いかにも創作臭紛々の奇譚が付随するだろう。その手の話が、体質的に嫌いだったからこそのお話という感じがする。

当時、数々の魚伝説が存在していたに違いないが、成式は、いかにも奇譚と映る話を選んでいる訳ではない。それぞれ、それなりの思惑があって「選択的」に収載しているので、その考えを読み取る必要があろう。

次は、実在しているが、いる筈がなかろうから創作話の伝聞とみなしがちな魚。
【温泉中魚】
 南人隨溪有三亭城,城下温泉中生小魚。
温泉に棲む小魚ありと。

コレ、驚くような話ではない。37℃程度なら楽々生息できる種が存在するからだ。ペルシア〜トルコにかけての温泉に棲んでいる数cmの鯉の稚魚に似た魚。・・・皮膚を"治療"してくれる"Dr.Fish/温泉醫生魚"のこと。足の表皮を食べてくれるので、このような名前がついたのだが、近代になってからの命名。垢摺りを魚に任せて衛生上問題が発生しないとはとうてい思えないが、小生もどんなものか試したことがある。確かに、足裏の角質が大分薄くなるが、それだけといえばそれだけ。この程度では、大陸では興味の対象にはなるまい。

要するに、Dr.Fishとは「掃除魚」ということ。魚の古い皮膚や鱗に付着する寄生虫を餌にしているに過ぎない。
そのような魚は海棲なら至るところで見られる。ベラが有名だが、鯊や鯰、蝦にもそんな習性を持つタイプが散見され、珍しいものではない。
ただ、淡水魚ではその手の魚は少ないので珍しさがあったのだろう。大きな魚の影で生活する「掃除魚」的習性の魚がえらく愉快に映ったのでは。
従って、腹から出たり入ったり魚もいるゾということになる。
魚】
 章安縣出。出入昔腹,子朝出索食,暮入母腹。
腹中容四子。赤如金,甚健,網不能制,俗呼為河伯健兒。


ともあれ、成式、南人文化に興味津々の態。

これは記載せねばと思ったに違いないのが次の生物。現代の分類学では、蜘蛛や蠍の範疇の「魚」。見た目にも、魚とは言い難いからか、成式は魚という文字をつけていない。


 雌常負雄而行,漁者必得其雙。南人列肆賣之,雄者少肉。舊説過海輒相負於背,高尺余,如帆乘風遊行。今殼上有一物,高七八寸,如石珊瑚,俗呼為帆。成式荊州嘗得一枚。至今嶺重十二足,殼可為冠,次於白角。南人取其尾,為小如意也。
12足!。コリャなんだとなるが、常識的には兜蟹である。

インドネシア〜フィリピン〜東南アジア〜東シナ海〜揚子江河口以南に広く棲息しており、当然ながら食材。("南人取之,碎其肉脚,和以為,食之。"[唐 劉恂])見かけとは違い、蝦蟹系ではないから、それほど美味しい肉とは思えなが。従って、都会の食道楽の目から見れば、南の海人はよくそんなものを食べるもんだという感覚だろう。
そこに差別感無しとは言い難いが、おそらくそういうことでの関心ではなかろう。異文化を愉しむ風情ありきの記述だと思う。要するに、いつか食べてみたいナという成熟した都会文化。成式はその旗手だったのでのでは。当時の南食詩の冒頭にもが登場する位だし。
   「初南食貽元十八協律」  [唐 韓退之]
實如惠文,骨眼相負行。相黏為山,百十各自生。
蒲魚尾如蛇,口眼不相營。蛤即是蝦蟆,同實浪異名。
章舉馬甲柱
(即江瑶柱),斗以怪自呈。其餘数十種,莫不可嘆驚。
我来禦魑魅,自宜味南烹。調以咸与酸,以椒与橙。
始發越,咀呑面汗。惟蛇旧所識,實憚口眼獰。
開籠听其去,郁屈尚不平。賣爾非我罪,不屠豈非情。
不祈靈珠報,幸无嫌怨并。聊歌以記之,又以告同行。


そう思うのは、「南」文化と対比的に取り上げている魚があるから。
【羊頭魚】
 周陵溪溪中有魚,其頭似羊,俗呼為羊頭魚。豐肉少骨,殊美於余魚。
周の都の近辺で獲れる魚はことの他美味しく、その味は羊肉のよう。

中原の支配者達は肉好き。魚でさえラム味に似てないと美味しく感じないと言い放っている訳だ。
西洋で"Sheephead"と呼ばれる魚はあるが、それは海棲。身の味からではなく、その頭の格好の特徴から。そう言えばおわかりだと思うが、瘤鯛/金黄突額隆頭魚。
淡水に瘤型魚がいると聞いたことはないが、多少はそんな形態の大きな鮒の変種がてもおかしくないのでは。都会近隣にしか見つからなかったとすれば、早々と食べ尽くされてしまうだろうが。

成式は、そのような中華帝国の風土を客観的に眺めていた訳だ。
自分が、親の七光りで地位を得られたことも百も承知。従って、政治的にどこまで発言してよいかの判断も鋭いものがあったろう。
以下はそれがわかる好例。
【重魚】
 濟南郡東北有重坑,傳言魏景明中,有人穿井得魚,大如鏡。其夜,河水溢入此坑,坑中居人皆為重魚焉。
銅鉱山水没大事故発生。

ソリャ、政治の預かり知らぬこと。重魚のせいですゾ。・・・これこそ中華帝国伝統の対処法。だからこそ道教指導者と為政者はツーカーの仲でもあったと言えないこともない。誰もが知りながら、発言を差し控えているのだが、成式はそこをなんとかしたいと思っていたのだろう。

しかし、これだけはいくらなんでも奇譚以外に有り得ぬと感じさせる話も。
【石班魚】
 僧行儒言,建州有石班魚,好與蛇交。南中多隔蜂,大如壺,常群螫人。土人取石班魚就蜂樹側灸之,標於竿上向日,令魚影落其上,須臾有鳥大如燕,數百,互撃其碎,落如葉,蜂亦全盡。
この魚を焼いて翳すと、どこからともなく鳥の大群がおしよせて、獰猛な蜂の大きな巣を落とす。

そんな馬鹿なと考えることなかれ。もし、そう感じたとしたら、最初から、そのような書として読もうと構えているだけのこと。
考えればわかる筈だが、成式だって、そんな話を聞けば、誰かが作った珍奇小説のモチーフかネと思う筈。しかし、そうだとしたら掲載する気にはなるまい。
なんらかの、書き留めておく価値あり話なのである。

そもそも「石斑魚」と言えば、普通は岩礁に棲むハタ[羽太]を指す。だから違和感が増幅されるのだが、広東辺りでは、鯉の仲間の淡水魚ウグイ[鵜喰]の呼称。一般には珠星三塊魚とされている珍しくもない魚である。つまり、ここでの記述は「石斑魚」に焦点が当たっている訳ではない。

そうなれば、伝えたいことは蜂と鳥の戦いの方だろう。そんなものがある筈がなかろうというのが一般感覚だが、現実は全く違うのである。数千匹の集団を形成する大型で凶暴な褄赤雀蜂は木の上に1メートルを超す巨大な巣を作ることが知られている。大胡蜂と呼ばれる、人を平然と襲う蜂がいることは衆知だったろうが、ここまで凄い蜂の生態はよく知られていなかった筈。従って、そんな蜂を狙う鳥がいたとしても、全く未知の領域だろう。
「ダーウィンが来た! #360」ハチクマ軍団vsスズメバチ軍団 NHK 2014.4.20
蜂角鷹は小鳥ではないが、他にも似た生態の鳥がいてもおかしくないかろう。

魚の記述はこんなところ。
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