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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.3 ■■■

長安の奇譚

成式の時代の長安は100万人都市だったと推定されている。
すでに長安の廃墟化しつつある寺の巡礼の「續集卷五/卷六 寺塔記」については記載したが、そこで触れたように、長安の仏教寺院の数は半端なものではなかった。・・・
城中一百八坊。韋述《記》曰:其中有折街府四,僧寺六十四,尼寺二十七,道士觀十,女觀六,波斯寺二,胡襖祠四。隋大業初有寺一百二十,謂之道場;有道觀十,謂之玄壇。天寶後所摯s在其數。  [「唐兩京城坊考」]
  《記》=「両京新記」@玄宗時代  波斯寺=大秦寺  胡佩=波斯胡寺

全体は外壁で囲まれた城の構造[9.7Km x 8.7Km]になっており、15m道路で碁盤の目の如く。門を持つ、下記に再掲する108の坊里からなる。その中は2mの路地。
   「登觀音臺望」  [白居易]
 百千家似圍棊局,十二街如種菜畦。
 遙認微微入朝火,一條星宿五門西。


成式は「修竹裏」に住んでいたと言う。そのような坊裏(里)の名前は無いから、おそらく東側の「修行坊」であろう。
"成式修竹裏私第,果園數畝。"[卷十八 廣動植之二 蟲篇]
"成式修竹裏私第,大堂前有五鬣松兩根,大財如碗,甲子年結實,味如新羅、南詔者不別。"[卷十八 廣動植之二 木篇]

01<修真-安定-修徳-掖庭-太極+太極-東宮-光翊-長楽-永福>
02<普寧-休祥-輔興
-掖庭-太極+太極-東宮-永来-大寧-興寧>
03<義寧-金城-頒政
-皇城-皇城+皇城-皇城-永興-安興-永嘉>
04<居徳-醴泉-布政
-皇城-皇城+皇城-皇城-崇仁-勝業-興慶
05<群賢
-西市-延寿-太平-光緑+興道-務本-平康-東市-道政>
06<懐徳
-西市-光徳-通義-通化+開化-崇義-宣揚-東市-常楽>
07<崇化-懐遠-延康-興化-豊楽+安仁-長興-親仁-安邑-靖恭>
08<豊邑-長寿-崇賢-崇徳-安業+光福-永楽-永寧-宣平-新昌>
09<待賢-嘉会-延福-懐貞-崇業+靖善-靖安-永崇-昇平-昇道>
10<永和-永平-永安-宣義-永達+蘭陵-安善-昭国-
修行-立政>
11<常安-通軌-敦義-豊安-道徳+閑明-大業-晋昌-修政-敦化>
12<和平-帰義-大通-昌明-光行+保寧-昌楽-通善-青龍-□□>
13<永陽-昭行-大安-安楽-延祚+安義-安徳-通済-曲池-□□>
 東宮の東側("光翊"=光宅-翊善 "永来"=永昌-来庭)  (□=曲江)


住んでいたのであるから、城内のそれぞれの土地にまつわる怪異譚は直接聞き及んでいたに違いあるまい。
そのような話がどのようなものか、長安に関係する話をピックアップしてみることにした。
   ◆→「廃墟寺巡礼」で取り上げた寺。

光宅と翊善の坊里にはおそらく、高級宦官が多く、オマジナイや生活儀式が矢鱈に多かった場所ではなかろうか。
【東01 光宅坊】續集卷二 支諾皋中
元和中,光宅坊百姓失名氏,其家有病者將困,迎僧持念,妻兒環守之。一夕,衆倣佛見一人入戸,衆遂驚逐,乃投於甕間。其家以湯沃之,得一袋,蓋鬼間所謂也。忽聽空中有聲求其袋,甚哀切,且言:“我將別取人以代病者。”其家因擲還之,病者即愈・・・ヒトの気が抜き取られ"氣袋"にためられており、病の治癒とはその袋が破れることと考えられていたことがよくわかる。病人回復のため、その袋を持つ鬼退治をするしかなく、鬼がいそうな場所で色々とオマジナイをするのだろう。全快すると、あっ、アレが効いたのだ、となる訳だ。
【東01 光宅坊】光宅寺
【東01 翊善坊】保壽寺
【東01 長楽坊】大安國寺
【東02 大寧坊-東05/06 東市】續集卷一 支諾皋上
・・・ならずものの話。場所柄から見て良家のパンクかも。
     「異界の時間」
【東02 大寧坊】續集卷二 支諾皋中
上都渾宅,戟門内一小槐樹,樹有穴,大如錢。毎夜月霽後,有蚓如巨臂,長二尺余,白頸紅斑,領數百條如索,縁樹枝條。及曉,悉入穴。或時衆鳴,往往成曲。學士張乘言,渾令公時堂前,忽有一樹從地踴出,蚯蚓遍掛其上。已有出處,忘其書名目。・・・槐樹はよく植えられていたようだ。樹木はその地から動けないから、邸宅の主の挙動を表する場合、それなりの地位にいれば直接的に言うのははばかられるので、植わっている木にまつわる奇譚話になりがち。ただ、話は一人歩きし、当該人物がいなくなると何を言っているのかわからなくなる。出典に関心を持つ人など、成式くらいのもの。
【東02 大寧坊】(興唐寺)
【東03 永興坊】卷十五 諾皋記下
開成末,永興坊百姓王乙掘井,過常井一丈余無水。忽聽向下有人語及聲,甚喧鬧,近如隔壁。井匠懼,不敢掘。街司申金吾韋處仁將軍,韋以事渉怪異,不復奏,遽令塞之。據亡新求《周秦故事》:謁者閣上得驪山本,李斯領徒七十二萬人作陵,鑿之以韋程,三十七,固地中水泉,奏曰“已深已極,鑿之不入,燒之不燃,叩之空空,如下天状。”抑知厚地之下,別有天地也。・・・井戸掘削が上手くいかぬ場合は地中での怪異があるからで、中止し埋め戻すにしくはなし。長安北部山麓の水脈はわからぬことだらけだが、巨大な御陵がいくつも造られたのである。お蔭で、様々な怪奇話が残っている。
【東03 永興坊】(荷恩寺)
【東04 崇仁坊】資聖寺
5条は皇城前の人通り多き大通り。
【東05 務本坊】續集卷二 支諾皋中
上都務本坊,貞元中有一家,因打墻掘地,遇一石函。發之,見物如絲滿函,飛出於外。驚視之次,忽有一人起於函,被白發,長丈余,振衣而起,出門失所在。其家亦無他。前記之中多言此事,蓋道門太陰煉形,日將滿,人必露之。・・・掘っていたら箱がでてきて、中には絹糸状のものが。マ、そんなことはザラにある話である。それが何なのかなど検討する人などいないから、それっぱなしだが、道教信仰があると話は違ってくる。地中ということで"屍"のイメージが膨らみ、突然にして、そこから亡霊的な人が出て来て、何処とも知れず消えていくことになる。様々な前記を詠んでいくと、この手の事象に触れた言動は多いことがわかるそうだ。道教的な葬儀観からすれば、儀式が完了して遺体の霊が去ったことになるのだろうが、人々はその霊がそこらにいておかしくないと考えているから、どうしてもそんな話が生まれる訳だ。
【東05/06 東市】卷十五 諾皋記下
開成初,東市百姓喪父,騎驢市兇具。行百歩,驢忽然曰:“我姓白名元通,負君家力已足,勿復騎我。南市賣麩家欠我五千四百,我又負君錢數亦如之,今可賣我。”其人驚異,即牽行。旋訪主賣之,驢甚壯,報價只及五千。詣麩行,乃還五千四百,因賣之。兩宿而死。・・・父の葬儀の用意でお金のこともあり悩んでていると、ずっと飼っていた驢馬が、麩屋に五千四百で売ってくれと言った気がした。実際、売りに行くとそうなった。環境が変わった驢馬はすぐに死んでしまったという。
【東05 平康坊】菩提寺
【東05 道政坊】寶應寺
【_05/06 市】續集卷二 支諾皋中
建中初,有人牽馬訪馬醫,稱馬患脚,以二十求治。其馬毛色骨相,馬醫未常見,笑曰:“君馬大似韓幹所畫者,真馬中固無也。”因請馬主繞市門一匝,馬醫隨之。忽値韓幹,幹亦驚曰:“真是吾設色者。”乃知隨意所匠,必冥會所肖也。遂摩,馬若蹶,因損前足,ケ心異之。至舍,視其所畫馬本,脚有一點K缺,方知是畫通靈矣。馬醫所獲錢,用歴數主,乃成泥錢。・・・韓幹[706-783年]は王維に支援を受けていた、「古今独歩」の鞍馬画家。当然ながら、酒飲み話的な様々な冗談話がまことしやかに伝わっている。都の市でも、その手の噂話がとびかっていたのであろう。ただ、流石、市だけのことはあり、絵と瓜二つの馬の登場で話が終わらず、その馬で得た銭も泥錢と化したというのがオチ。
【東06 宣揚坊】浄域寺
【東06 宣揚坊】奉慈寺
【東06 崇義坊】招福寺
【東06 常楽坊-景公寺】卷十五 諾皋記下
景公寺前街中,舊有巨井,俗呼為八角井。元和初,有公主夏中過,見百姓方汲,令從婢以銀碗就井取水,誤墜碗。經月余,出於渭河・・・この井戸がどこかに繋がっているとの話。大きいものだと、必ず、この手の言い伝えがあるもの。
【東06 常楽坊】趙景公寺/弘善寺
東市東南には、花柳處があったようだ。
【東07 靖恭坊】卷十二 語資
"時靖恭坊有姫,字夜來,稚齒巧笑,歌舞絶倫,貴公子破産迎之。"・・・役人が自ら認める長い会話の一部で。財を注ぎこんで、可愛い芸妓に入れあげる貴族だらけだったことがわかる。
【東08 宣平坊】卷十五 諾皋記下
京宣平坊,有官人夜歸入曲,有賣油者張帽驅驢,桶不避,導者搏之,頭隨而落,遂遽入一大宅門。官人異之,隨入,至大槐樹下遂滅。因告其家,即掘之。深數尺,其樹根枯,下有大蝦蟆如疊,挾二筆,樹溜津滿其中也。及巨白菌如殿門浮釘,其蓋已落。蝦蟆即驢矣,筆乃油桶也,菌即其人也。裏有沽其油者,月余,怪其油好而賤。及怪露,食者悉病嘔泄。・・・東02大寧坊の話でもでてくるように、大槐樹は街路だけでなく家にも植えられていたようだ。ガマ蛙や茸がいておかしくないが、そこから怪奇談が生まれる。
【東08 宣平坊】(法雲寺)
【東09 靖恭坊】大興善寺
【東10 修行坊】段成式邸(推定)
【東10 昭国坊】崇済寺
【東10 昭国坊+東07 安仁坊】卷四 喜兆
相公宅,在招國坊南門。忽有物投瓦礫,五六夜不絶。乃移於安仁西門宅避之,瓦礫又隨而至。經久復歸招國,鄭公歸心釋門,禪室方丈。及歸,將入丈室,抽子滿室懸絲,去地一二尺,不知其數。其夕,瓦礫亦絶。翌日,拜相。・・・東7条までが、まあ一流人士が選ぶ地だったが、その坊里が煩わしいと、成式も住んでいた東10条辺りが住みやすい環境ということか。ただ、アイツ世渡り上手だとなると、瓦を投げつけられたりすることもあるから、そう考えるべきかはなんとも。鄭相公は、出仕に、より便利な所にも別邸を持っており、仕事に精を出す時はそちらも使っていたようだ。禅行用の建物もあり、そこで、吉兆を示す蜘蛛の巣を見つけたとたんに、宰相拝命。
【東11 閑明坊】光明寺
【東11 進昌坊+晋昌坊】大慈恩寺(隋代:無漏寺)
【東11 進昌坊+晋昌坊】楚国寺
【東12/13 (曲江)】卷十五 諾皋記下
僧無可言,近傳有白將軍者,常於曲江洗馬,馬忽跳出驚走。前足有物,色白如衣帶,繞數匹。遽令解之,血流數升。白異之,遂封紙帖中,藏衣箱内。一日,送客至水,出示諸客。客曰:“盍以水試之?”白以鞭築地成竅,置蟲於中,沃盥其上。少頃,蟲蠕蠕如長,竅中泉湧,倏忽自盤若一席,有K氣如香煙,徑出檐外。衆懼曰:“必龍也。”遂急歸。未數裏,風雨忽至,大震數聲。・・・格好をつけて、白色の脚絆を巻いた馬に乗る白将軍が池の白龍に驚かされたとのお話。白龍は空を飛ぶが、水中の虫に化けている時も。
【城東】卷十五 諾皋記下
工部員外郎張周封言,舊莊城東狗脊觜(《水經註》言此狗架觜)西,嘗築墻於太歲上,一夕盡崩。且意其基虚,功不至,乃率莊客指揮築之。高未數尺,炊者驚叫曰:“怪作矣。”遽視之,飯數鬥悉躍出蔽地,著墻猿砒ツ子,無一粒重者,矗墻之半如界焉。因詣巫地謝之,亦無他焉。・・・化け物が出る場所はその土地土地で決まっていたりするもの。鎮め方もたいていは単純でそれほどの手間でもない。その形式さえ踏めば、皆、安心して仕事ができるのである。一種の仕事を始める儀式のようなもの。

西側は、成式は余り知らないのでは。そこには、高級官僚の邸宅は少なかったということ。
【西03 義寧坊】續集卷二 支諾皋中
元和初,上都義寧坊有婦人風狂,俗呼為五娘,常止宿於永穆墻垣下。時中使茹大夫使於金陵,有狂者,衆名之信夫,或歌或哭,往往驗未來事,盛暑擁絮未常沾汗,冱寒袒露體無拘折,中使將返,信夫忽叫闌馬曰:“我有妹五娘在城中,今有少信,必為我達也。”中使素知其異,欣然許之。乃探懷出一袱,内中使靴中,仍曰:“為語五娘,無事速歸也。”中使至長樂坡,五娘已至,闌馬笑曰:“我兄有信,大夫可見還。”中使久而方悟,遽令取信授之。五娘因發袱,有衣三事,乃衣之而舞,大笑而歸,復至墻下,一夕而死,其坊率錢葬之。經年有人自江南來,言信夫與五娘同日死矣。・・・祠に住み着いている風狂婦人がいた。宦官が地方から戻る際に、同様な風体で有名な男から、長安城のその妹に土産を渡すようにたのまれた。それは、靴に入るようなものだったが、渡されると身につけて我を忘れて踊り、翌日、祠の前で死去。坊里の人々はお金をだしあって葬儀。後、男は帰還したが、暦で同じ日に死んだと、その坊里に伝わる。都会の寛容な多様性を示す、坊里コミュニティの話である。
【西03 義寧坊】(大秦寺,化度寺,積善寺)
【西05 太平坊】續集卷二 支諾皋中
進士王ツ,才藻雅麗,猶長體物,著《送君南浦賦》,為詞人所稱。會昌二年,其友人陸休符,忽夢被録至一處,有卒止之屏外,見若胥靡數十,王ツ在其中。陸欲就之,ツ面若愧色。陸強牽與語,ツ垂泣曰:“近受一職司,厭人聞。”指其類:“此悉同職也。”休符恍惚而覺。時ツ往揚州,有妻子居住太平側。休符異所夢,遲明訪其家信,得王至洛書。又七日,其訃至。計其卒日,乃陸之夢夕也・・・単身赴任のインテリの留守宅。頑張っただけのことがある、高級地の贅沢な邸宅ではなかろうか。友人は、皆と同じワンパターンの官僚生活に、彼もそろそろ嫌家がさしている頃と見ていた。突然、夢にでてきたので、留守宅を訪ねると、赴任地で逝去との報が飛び込んだところ。ソウソウ、この類の話は現代でもよくある。音沙汰無いので、友人が連絡をとろうとすれど応答なし。それがきっかけで家族が動いて、赴任地のワンルームで死んでいるのが発見されたり。
【西05 太平坊】(温国寺,定水寺,実際寺)
【西06 光徳坊】續集卷三 支諾皋下
州百姓趙懷正,住光コ坊。太和三年,妻阿賀常以女工致利。一日,有人攜石枕求售,賀一環獲焉。趙夜枕之,覺枕中如風雨聲。因令妻子各枕一夕,無所覺。趙枕輒復如舊,或喧悸不得眠。其請碎視之,趙言:“脱碎之無所見,棄一百之利也。待我死後,爾必破之。”經月余,趙病死。妻令毀視之,中有金銀各一,如模鑄者。所函處無絲隙,不知從何而入也。各長三寸余,闊如巨臂。遂貨之,及償債,不余一錢。阿賀今住洛陽會節坊,成式家雇其針,親見其説。・・・成式が、直接に、針仕事に使っている女から聞いた話を収載している。行商人から買った石枕を、百姓の夫が使ったが、その時だけヘンテコな音が聴こえると言うので気味が悪かったと。死後にその枕を壊したら、貴重な細工品が入っていて、そのお蔭で葬儀費用が賄えたと。(ホホウ、庶民の怪奇話はこの手のものが多いのだナというところか。)
【西06 光徳坊】(慈悲寺,勝光寺)
【西08 崇賢坊】卷十五 諾皋記下
有陳樸,元和中,住崇賢裏北街。大門外有大槐樹,樸常黄昏徙倚窺外,見若婦人及狐大老烏之類,飛入樹中,遂伐視之。樹三槎,一槎空中,一槎有獨頭栗一百二十,一槎中一死兒,長尺余。・・・これも又、大槐樹の話。長安城内の街路樹として植えられていたのであろう。各坊里に似た様な怪奇話があったと思われる。
【西10 永安坊】永寿寺

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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