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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.23 ■■■

婿選び

【岳父】[卷十二 語資]は機智に富んだお話だが、当時の状況がよくわかる。中書令 張説の娘婿となった鄭鎰は、封禅祝の一律的昇進の際、九品官から五品官に一気に特別昇格したのだから。
帝もビックリするような、その手の閨閥情実人事は当たり前だったのである。
   「反閨閥」

実は、この話の直前に収録されているのが、娘の結婚相手を決める話。

信都民蘇氏有二女,擇良婿。
張文成往,
蘇曰:“子雖有財,不能富貴,得五品官即死。”
時魏知古方及第,
蘇曰:“此雖官小,後必貴。”
乃以長女妻之。
女發長七尺,K光如漆,相者雲大富貴。
後知古拜相,封夫人

   [卷十二 語資]

ここに登場する【張文成/張[660-740年]は、日本でも「遊仙窟」や「朝野僉載」の著者としてよく知られている。決して凡人ではない。
それどころか、675年に進士に及第した河北人で、"青銭學士"と呼ばれている点から見て、秀才だったのは間違いない。科挙受験生に対する"傾向と対策"で一儲けしていた可能性もありそうな感じがするお方。
嫁に欲しいと蘇氏と交渉したとされるから、信都/河北冀州の蘇家とは、誰もが知る土着の貴族だったと思われる。・・・進士合格の次ぎの目標は、貴族の娘との結婚実現なのだから。それなくしては、出世は望めないのは、冒頭の事例でもおわかりの通り。

しかし、それが断られたのである。財産はあるが"富貴"は無理、との理由で。

う〜む。
性格的に風流自賞、行為放蕩とされている点がまずかったのか。ソリャ、五品官にでもなれば身を持ち崩すに違いない訳だろうし、才が立つから余計な一言で断首も有りえそう。

一方、【魏知古】[647-715年]は家の繁栄を第一に考える堅物臭い。もちろん、全唐詩にも5首収録されており、官僚として申し分ない。
20才で進士に及第した河北人。705年吏部侍郎に抜擢された。そして三品官に昇りつめ、梁国公として卿の地位に。病逝。
5人の息子は、官僚となりそれなりの地位を得ている。

婚姻とは、血族重視の中華社会では、政治地位確立のための重要な一手。
李朝の場合は、下記に示す山東の5姓が狙い目だろう。ただ、帝の姻戚になること自体には、力を持つ家にとってはたいした重要性はなかったろう。それよりは、力をつけつつある家との血族同盟を組むとか、地場支配をさらに強固にすることが優先して当然だからだ。
従って、落ち目の家と評価されれば、いくら財産があろうが魅力は薄い。財産没収など、権謀術数社会である以上、いつでも覚悟しておかねばならぬ話だからだ。孤立すれば、没落させられる社会だから、婚姻ほど重要なものはなかったに違いない。
その観点で、魏知古はどう評価されていたのであろうか。
そこらがわからないと、このお話はわからない。

一般的な氏族の力関係にしても、わかっていることは僅か。
代々続いてきた中央政治では、エスタブリッシュメントは下記に示す"虜"の7姓。そこに、李家を含む、新興勢力の山東系5姓が加わった構図である。(両グループの角逐が朝廷内の権力闘争に結びついていることは明らか。)
これに、地場で力を持つ家々が絡むから複雑である。
そんな環境下で、蘇家と進士の出身家が、それぞれどんなポジションかを見据えて婚姻が決まる訳だ。
そこらは、現代の我々には読めるものではない。

ただ、成式はそんな血族社会の婚姻に、それなりの問題意識を覚えていたのは間違いない。単なる家柄の政略結婚は結局のところ、それぞれが恋人をかかえたりして家庭騒動勃発になることが多い訳で。
蘇氏の娘は、背が高く美しく光る黒髪であり、それは富貴の相としているが、外見も内面も魅力的な女性だったのでは。

尚、逸文として、寵愛していた妾を止む無く出した際に別れの詩を詠った話がある。妾とされるが、状況から見て身分は婢であろう。士人とは婚姻関係は結べないが、愛し合うことは少なくなかったのであろう。
   「妓妾」項から
郎是路人崔郊出妾臨行賦詩曰:
  公子王孫逐後塵
  緑珠垂涙哀羅中
  侯門一入深如海
  従此郎是路人
 酉陽雑俎
   [「錦萬花谷後集十五」@四庫全書]


今村与志雄の注によれば、売られた先がこの詩を知って、崔郊を呼んで一緒に帰らせたとの話が別書に記載されてあるという。ことは、婢売買でカネが絡から、簡単にそんなことが行われたとはとうてい思えないが、当時の雰囲気としてはそんな対処に拍手喝采を浴びせるムードが醸成されていたのかも知れぬ。
出世のために一途な愛を棄てさった進士を主人公とする小説がえらく流行っていたようだから。
・・・と、書くとよくないか。<唐代の愛の短編小説例>を下記に記載したが、これはどう見ても、元と白居易が主導した一種の社会運動。唐の都は、そこまで文化が成熟していたのである。(パンクが白楽天の詩を刺青にする位なのだから。[→])

と言うだけではわかりにくいか。・・・
白楽天の"合者離之始,樂兮憂所伏。"(合うは離[わか]れの始め。楽しみは憂いの伏する所。)[「和夢遊春詩一百韻」]は、無常を現すというが、そういうものだろうか。この詩には序があり、「敘婚仕之際。」との言葉があるからだ。楽天の以下の詩を参考に引用しておこう。故郷に別れねばならなかった心の傷を残しているのは明らか。・・・
  「感情」  白居易
中庭服玩,忽見故郷履。昔贈我者誰?東鄰嬋娟子。
因思贈時語,特用結終始。永願如履,雙行複雙止。
自吾謫江郡,漂盪三千里。爲感長情人,提同到此。
今朝一惆悵,反覆看未已。人隻履猶雙,何曾得相似?
可嗟複可惜,錦表繍爲里。況經梅雨來,色黯花草死!

貴族政治のただなかで、官僚として栄達には"婚仕"は不可欠。特に、貧しい家庭に育った元の場合は、富貴の道にそぐわない女性との別れは必然であり、冷酷無比な決断を下す以外に手は無いのである。その、心の傷は白楽天の比ではない。

<貴族の姓>
代北:"虜"姓・・・元、長孫、宇文、于(於)、陸、源、竇。
山東:"郡"姓・・・王、崔、盧、李、鄭。
關中:"郡"姓・・・韋、裴、柳、薛、楊、杜。
江南/江則:"僑"姓・・・王、謝、袁、蕭。
東南:"呉"姓・・・朱、張、顧、陸。
 
[唐 柳芳:「姓係論」]
その他は以下のような姓らしい。一知半解以下だが、一応並べるだけ並べてみた。最後の、段が段成式に繋がるのかは調べていない。
@汝南、皇甫@安定、諸葛@琅、司馬@河内、荀@潁川、陳@潁川、鐘@潁川、夏侯、顏@琅、蔡@濟陽@高平國桓@、羊@泰山、畢@東平、魏@鉅鹿、沈@呉興、虞@會稽、周@義興、許@汝南、胡@安定、張@清河、殷@陳郡@新野、令狐@燉煌@太原、歐陽@渤海、徐@東海、江@濟陽、封@渤海、趙@天水@巴西、段@武威
尚、以下はソグド姓。・・・康
[サマルカンド],安[ブハラ],米[マーイムルグ],史[キッシュ],何[クシャーニヤ],曹[カブーダン],石[タシケント],畢[パイカンド], 羅, 穆,.

<女性の身分(推定)>
帝室:后,妃,帝娘,官女,官妓
官僚/貴族家:妻女,妾,家妓,婢
宗派:尼,女道士,女巫
独立:娼妓
一般:平民,商家,百姓


<唐代の愛の短編小説例>・・・怪奇モノではない。
白行簡(白居易弟):「李娃伝」@795年
:「鶯鶯伝/会真記」
804年
蒋防:「霍小玉伝」
@810年頃か?

(参考) 山本和義:「元詩及び悼亡詩について」中國文學報 9 (1958)@京都大学
(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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