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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.5.8 ■■■

鶴の恩返し

羽篇では、【鸛/鵠の鳥[こうのとり][→「羽 (色々)」]がとりあげられている。
鸛は鶴の元字かと思ったら、どうも違うらしい。浅学の身には厄介な文字である。それなら、コウという音だから鵠がよかろうと思い、、"鵠の鳥"としておいた。これは間違いではないのだが、本当は【鵠/くぐひ】とは白鳥の古名。大白鳥だと【鴻/おおとり】なのだそうだ。
酉陽雑俎には、鴻も鵠も、具体的な動物としての記述は無いが、これらに類似ということで使用されてはいる。得体のしれぬ、ハチドリのような鳥の存在が報告されているということで。声のことだから、ここではツルではないかと思うが、該当しそうな鳥が想像できないからとりあえずはどうでもよい話。
【細鳥】・・・"状如蠅,聲如鴻鵠"
   「羽 (難物)」

但し、この【鸛】の箇所で、"群鸛旋飛"かつ、"鶴亦好旋飛"と記載しているから、ツルは鶴という文字で記載する方針なのだと思う。
ところが、どういう訳か、【鶴/つる】の話を収載していない。なにか、言いたいことがありそうなものだが。
もしかすると、孔雀がいない地域では、コウノトリが蛇を食べる聖鳥で、ツルはたいして重要でなかったのかなと思ったり。コウノトリは、薄霄激雨(霄に薄り雨を激す。)雨為之散(雨、之が為に散ず。) とされている鳥だが、雨の季節に目立つだけでなく、水神のお遣いたる蛇よりズッと上手との評価があるからではと邪推したりして。
(小生は、その昔、膨大な数のコウノトリが山に住んでいたが、その巣を見付けて卵を食すと仙人修行に最適とされたため、一挙に絶滅化の道を辿ったと見ている。これを山で「石」を食べて生きると称したに違いないと睨んでいるのだがどうだろうか。)

そんなことがついつい気になってしまったのは、鵠がツルを指すこともあるとの記載を見かけるから。
マ、素人からすれば、妥当な用字だと思う。鵠/コウノトリは、嘴で音を発するのがコミュニケーション手段と言われる鳥として有名で、啼くとは聞いたことがないからだ。ツルは首を持ちあげて"宣告"するがかのような態度で甲高い大声で鳴くからだ。そんな姿を見れば、天帝の言葉を伝えていると言われれば、そうかナとなろう。
もっとも、「詩経 國風 」の「東山」に"我來自東,零雨其濛。鸛鳴于垤,婦歎于室。"とあり、鵠は、長鳴して雨に関係する鳥との位置付けがされており、このような見方は間違いかも知れぬ。
ただ、コウノトリが雨に関係する鳥との説の起源は想像がつく。
多摩動物公園の森にはアオサギが沢山巣くっているが、ヒト同様に暑さで幼鳥もヘバル。それを防ぐため、逐次、餌場にしているペリカンプールから水を運び、巣にかけるである。コウノトリも高木の頂点で巣作りするから同じような習性がある筈だ。さすれば、空で水を吐く鳥とされる訳で。

尚、ついでだから、鶴の異體字とされる文字を並べておこう。言うまでもないが、これらが、鸛ではないとの証拠は無い。・・・,,
似たデザインの偏は、はたした代替なのか、別な意義なのか実に見分けづらい。ただ、鸛についてはツルでなく、コウノトリと考えるべき、となる理由はその偏にある。コウノトリは、ツルと違って、空中遊飛しながら餌を見つける、「觀」能力があるからである。

・・・と、いうことだが、よくよく考えると、鶴の方は道教話篇で登場済みなのであった。
  突然、鶴に乗った女が飛来し怒号。
   「あんた達はなぜ俗人を入れたの!」

   「異界の時間」【女界山の時間】

そして、この篇にはもう1つある。・・・
同州司馬裴,常説再從伯自洛中將往鄭州,在路數日,晩程偶下馬,覺道左有人呻吟聲,因披蒿莱尋之。荊叢下見一病【鶴】,垂翼,翅關上瘡壞無毛,且異其聲。忽有老人,白衣曳杖,數十歩而至,謂曰:
 “郎君年少,豈解哀此【鶴】耶?若得人血一塗,則能飛矣。”
裴頗知道,性甚高逸,遽曰:
 “某請刺此臂血不難。”
老人曰:
 “君此誌甚勁,然須三世是人,其血方中。郎君前生非人,唯洛中葫蘆生三世是人矣。郎君此行非有急切,可能欲至洛中幹葫蘆生乎?”
裴欣然而返。未信宿至洛,乃訪葫蘆生,具陳其事,且拜祈之。胡蘆生初無難色,開取一石合,大若兩指,援針刺臂,滴血下滿其合,授裴曰:
 “無多言也。”
及至【鶴】處,老人已至,喜曰:
 “固是信士。”
乃令盡其血塗【鶴】。言與之結縁,復邀裴曰:
 “我所居去此不遠,可少留也。”
--- (cont'd)
旅の途中で、呻吟して苦しんでいる、病んだ鶴に出会った。
すると、白衣の老人が杖をついて登場。
「郎君はお若い。
 鶴を哀れむ気持ちをお持ちですかナ。
 血のひと塗りで、飛べるようになるのですが。」
 そんなことは難しい話ではない、となったのだが、
「郎君の申し出は素晴らしいが、残念。
 3代人間が続いていない血は駄目なんですな。
 今、来られた洛陽に居る葫蘆生の血でないと。
 戻って、採ってきてくれまいか。」と。
郎君、乗りかかった舟で、急いで戻って、事情を話し懇願。
葫蘆生、即座に、針を突き刺して血をなみなみと。
 「何も言わずともよい。」の一言。
現場に戻ると、老人曰く、
 「固き信のお方じゃ。」と。
そして、結縁だからと、持って来た血を塗らせた。
終わると、家へ寄らないかと誘うので、受けることに。


ここで終わったのでは、玉格篇としてはナンダカネである。
この老人、タダモノではないということ。ここでは"丈人"と呼ばれ、話は違う方向に発展する。鶴とはなんの関係もない。どちらが、重要な話かも定かではない。
裴覺非常人,以丈人呼之,因隨行。
才數裏,至一莊,竹落草舍,庭廡狼籍。裴渇甚求茗,老人一指一土龕:
 “此中有少漿,可就取。”
裴視龕中有一杏核,一扇如笠,滿中有漿,漿色正白,乃力舉飲之,不復饑渇。漿味如杏酪。
裴知隱者,拜請為奴仆。老人曰:
 “君有世間微祿,縱住亦不終其誌。
  賢叔真有所得,吾久與之遊,君自不知。
  今有一信,憑君必達。”
--- (cont'd)
着いたのは、手入れがされていないような莊園。喉が渇いたので所望すると、土龕の飲み物を飲めと。それは杏酪のような味のものだった。
そうか、隱者か、と気付き、奴として使ってくれるように、拝して請い願がったのだが、
「郎君には微とはいえ祿がありますな。
 従って、ここに住んでも全うは無理でしょう。」とすげない。
ところが、
「郎君の賢叔とは知り合いで、遊んだもの。
 朗君は知らないだろうが。
 この信書を間違い無く届けてもらいたい。」と。


要するに、郎君は気付かなかった訳だが、老人は来るのを始めからご存知で、それを待ち構えていたのである。
それにどのような意味があるかは、はなはだわかりづらいが。
因裹一物,大如羹碗,戒無竊開。復引裴視【鶴】,【鶴】所損處毛已生矣。又謂裴曰:
“君向飲杏漿,當哭九族親情,且以酒色為誡也。”
裴還洛,中路悶其附信,將發之,四角各有赤蛇出頭,裴乃止。
其叔得信即開之,有物如乾大麥飯升余。
其叔後因遊王屋,不知其終。裴壽至九十七矣。
 [卷二 玉格]
渡されたのは、包み物。勝手に開けて中をみるなと注意される。
帰りがけに、一緒に鶴を診に行くと、もう毛が生えてきていた。
そして、
「朗君は杏漿を飲んだので、一族を最期までみとることができます。
 ただ、酒と色事はお控えめされ。」と。
洛陽に帰還し、渡された信書が気になったのでいじると四隅から赤蛇が頭を出したので開かず、叔父に届けた。
すぐに開けると、なかの品物は大麦の乾飯に似ており、ほぼ一升。

特別な長寿食だろうか。贈呈する必然性が不明だが、それこそが若き日の固き友人の契というものかも知れぬ。
叔父はその後、王屋にて遊び、どのような最期かは知れず。
朗君の方は長寿満喫。97で逝去。


因果関係が不明瞭である。
老人のお礼のように見えるが、固き信の生活をしていたからとも思える。
もちろん、長生きの秘訣を知ると言われる鶴の恩返しの可能性も。
ここは、後者と見なすのが無難な判断か。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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