表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.7.17 ■■■ 雨乞い儀礼雨乞い儀礼は、古今東西どこにでも見られる。ただ、帝国化すると、ひたすら神に懇願するだけの儀礼は激減し、権力者の命による"専門家"が執り行う式典が大々的に挙行されることが多くなる。 そのパターンは様々である。 供犠を伴う伝統的な請願型が多そうだが、特殊な呪術で強制的に事態を転換させるタイプもあるし、神を怒らせて雷雨を呼ぼうという考え方まで、色々。 山頂で煙をあげるも、よく見かける方法である。それによって、水蒸気が水滴となり降雨に導く効果があるかも知れないから、思っている以上に効果があった可能性もあろう。 山西太原での求雨は崖山で行われたようだが、さっぱり知られていない名前の山らしいから、降雨用にのみ最適ということかも。[卷十四 諾皋記上] → 「ゴチャゴチャの河伯」 そうそう、なかには、イモリを十石甕に閉じ込める方法も。 → 「蠑螈信仰」 どのやり方にしても、降雨シーンを彷彿させる式次第が好まれるが、それが不可欠という訳ではないようだ。 しかしながら、祭祀が行われるのは、山や川、洞(龍穴)や泉/瀧。中央からすれば、五嶽や四涜、あるいは常設の壇を選ぶことになるのだろう。専門家によっては、道観、寺院内を選ぶのかも。 そんな状況を考えると、かなり異色に映る雨乞い儀礼が紹介されている。 なんと、石を持ち上げると雨が降るというのだ。もちろん、石を持ち上げたらそこに山椒魚がうたといったものではなく、大きくて重い人型の石をできるだけ上に持ち上げるだけに過ぎない。 重軽の石的に臨みをかなえる霊力があるということだろうか。 荊州永豐縣[江西広豊]東郷裏有臥石一,長九尺六寸。 其形似人體,青黄隱起,状若雕刻。 境若旱,便齊手而舉之,小舉小雨,大舉大雨。 相傳此石忽見於此,本長九尺,今加六寸矣。 [卷十四 諾皋記上] 出典は以下にあるように、《郡國志》のようだが、どのような背景かはわからず。類似のものもなさそうだし。・・・ 王歆之《南康記》曰:歸美山[江西贛州],山石紅丹,赫若采繪,峨峨秀上,切霄鄰景,名曰女媧石。大風雨後,天澄氣靜,聞弦管聲。 《荊州圖經》曰:宜都有穴,穴有二大石,相去一丈。俗雲,其一爲陽石,一爲陰石,水旱爲灾,鞭陽石則雨,鞭陰石則晴,即廩君石是也。但鞭者不壽,人頗畏之,不肯治也。 《郡國志》雲--- 又曰:桂州興安縣有臥石一枚,其形似人,而舉體青黄隱起,俗謂之石神[or 人],可以祈雨,小舉則雨小,大舉則雨大。 《異苑》曰:滕放太元初,枕文石臥,忽暴雨,震其所枕,傍人莫不懾,而放微覺有聲。 [李ム:「太平御覽」 卷五十二 地部十七 石下] 思うに、これは雨神の石製立像というか、一種の碑が倒れて風化してしまったモノではなかろうか。 日本の酒船石もおそらく祈雨用の祭祀器だと思われ、古代は、石を用いた祈雨儀式が行われていた可能性は否定できない。 白川静によれは、日本は東アジアの文化の吹き溜まりなそうで、大陸でとうに消えてしまった文化の残滓をいつまでもかかえていたりする。しかし、大陸の内部でも、稀なことではあるが、古代の風習の名残を見付けることができたりするもの。 これは、その好例だったりして。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |