表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.15 ■■■ 炊臼「解夢」[→]は、様々なタイプがあるから一概には言えないが、深層心理を解き明かす方法論と言えなくもない。一種の精神カウンセラー役を引き受けていたと言えるかも。もともと、不安な状況にあると、それに関係する夢を見ることが多い。要するに、自ら不吉な将来を予想しているだけのこと。それを、第三者から。「解夢」として突き付けられるだけに過ぎまい。 現代の視点から、そのように眺めている訳ではない。おそらく、成式もそう考えていると踏んでのこと。 と言うのは、唐朝は列子を沖虚真人と追号、「沖虚真経」を正式な道教経典としたからだ。742年のことである。 そこに"夢"のことが次のように記載されているからだ。折角だから、見ておこう。・・・ 覺有八徵,夢有六候。 ・・・感覚には8ッの特徴、夢には6ッの表現形あり。 奚謂八徵? 一曰故,二曰為,三曰得,四曰喪,五曰哀,六曰樂,七曰生,八曰死。 此者八徵,形所接也。 奚謂六候?・・・夢の6分類: 一曰正夢,・・・平静な状況で見る夢 二曰蘁夢,・・・仰天させられる夢(目が覚めてしまう.) 三曰思夢,・・・普段思っていることが出現する夢 四曰寤夢,・・・起きている時のことに連続する夢 五曰喜夢,・・・喜びがそのまま出てくる夢 六曰懼夢。・・・恐ろしいことがそのまま出てくる夢 此六者,神所交也。・・・これらは、精神の作用で生まれる。 不識感變之所起者,事至則惑其所由然,識感變之所起者,事至則知其所由然。 知其所由然,則無所怛。一體之盈虚消息,皆通於天地,應於物類。 故陰氣壯,則夢渉大水而恐懼; ・・・陰気だと、大水に驚愕させられる夢見に。 陽氣壯,則夢渉大火而燔爇; ・・・陽気だと、大火で焼かれそうになる夢見に。 陰陽俱壯,則夢生殺。 ・・・両方だと、生きたり、死んだりの夢となる。 甚飽則夢與,甚饑則夢取。 ・・・食い飽きていればそれが夢に。人にあげるのだ。 逆に不足なら、取る夢になる。 是以以浮虚為疾者,則夢揚; ・・・つまり、不調で虚弱感に襲われていれば、上昇する夢に。 以沈實為疾者,則夢溺。 ・・・と言うことで、詰め過ぎで沈滞感があると、溺れる夢を見る。 藉帶而寢則夢蛇,飛鳥銜髮則夢飛。 ・・・帯を敷いて寝れば蛇の夢だし、 飛ぶ鳥に髪を銜えられれば、飛んでいる夢を見るもの。 將陰夢火,將疾夢食。 ・・・陰鬱な天候だと、火の夢になったりするし、 疾病を患うと食べている夢を見たりもする。 夢飲酒者憂,夢歌舞者哭。 ・・・夢で酒を飲んでいくら嬉しくても、起きれば憂鬱。 夢で歌舞音曲で楽しくても、起きれば訃報で慟哭したり。 子列子曰:・・・列子の言葉ではこういうこと。: 「神遇為妢,・・・夢は精神の作用で生まれる現象である。 形接為事。・・・一方、感覚で認識するのが事態である。 故晝想夜夢,神形所遇。 ・・・昼想い、夜夢みるのは、精神と感覚のせい。 故神凝者想夢自消。 ・・・それ故、精神が安定していれば、想いも夢も消え失せる。 信覺不語, ・・・感覚による認識を100%信用していたら、話などできない。 信夢不達; ・・・夢の内容を100%信用していたら、真人にはなれない。 物化之往來者也。 ・・・要するに、物が変化し動いている形相というだけのこと。 古之真人, ・・・古き時代の真人は、 其覺自忘, ・・・覚醒していれば、自意識を忘れているし、 其寢不夢; ・・・寝ていれば、夢など見ないのである。 幾虚語哉?」 ・・・このような話が偽りだと思うかネ? [「列子」卷第三 周穆王篇] と言うことで、そんなお話を取り上げてみよう。 【比喩喪妻】で比較的有名だし。・・・ 蔔人徐道升言, 江淮有王生者,榜言解夢。 賈客張瞻將歸,夢炊於臼中。 問王生,生言: 「君歸,不見妻矣。 臼中炊,固無釜也。」 賈客至家,妻果卒已數月, 方知王生之言不誣矣。 [卷八 夢] 卜師の徐道升から聞いた話。 江淮に王生という者がいて、「解夢」という立て札を出していた。 張胆という商人が、旅先から帰ろうという将にその夜、 臼で飯を炊く夢を見たそうナ。 その夢について、王生に質問。 すると、王生は、 「貴君が家に帰っても、妻を見ることはできますまい。 臼で飯を炊くのは、釜を無くしたからに他ならないからです。」 と言った。 張胆が我が家に着くと、数ヶ月前に妻が亡くなっていた。 王生の占いは、いい加減なものではないと知った。 一般には、上記は、”無釜”と同じ読みの”無婦”という意味で言っているとされる。 それはそうなのだが、これだけだと「文字遊び」[→]になりかねまい。 小生は、臼信仰を扱っている話と考えた方が素直な感じがする。 つまり、この臼だが、挽き臼ではなく、餅つき臼と言うこと。 臼(女性の霊)と杵(男性の霊)から餅(子供)ができるという江淮の信仰に基づいたお話なのは歴然としている。 通常なら、お餅を神に供える祭祀につながる。 従って、臼と杵は組にして、大切に保管しておく必要がある。たとえ無用になっても、専門家に霊を抜いてもらってからでないと廃棄できないといった、一種の神器扱いの筈である。 その臼と杵という定番の関係を否定するようなストーリーなのだから、悪夢とされて当然。 だいたい、臼を火にかければ、木製なら燃えて灰になってしまうし、石製なら割れて使い物にならなくなる。 それこそ、古事記における火神カグツチ誕生で母が火傷で死亡、とのお話と同じようなもの。 どう考えても縁起悪しなのだ。 旅に出ていた商人は、妻の健康状態を考え、離れて大分経つが、はたして元気でいるか大いに気になっていたからこそ、そんな夢を見たというにすぎまい。 夢から覚めた瞬間、まちがいなく、痛恨の感情に襲われたのである。アー、もっと早く帰るべきだったなと。夢占いで、妻は達者でいると言ってもらいたかったのでは。 【比喩喪妻】でそんな心情を察するよりは、直接的に"悲哉死別"と語る【比喩喪妻之痛】の方が中華文化にあっているような気がするのだが、どういう訳か莊子の"鼓盆之歌"より"炊臼之夢"の方が好まれる表現のようだ。弔喪ができなかった憂いが琴線に触れるのかも知れぬが。 と言っても、"炊臼之戚"に替えたくなったりする人もいたりして。 令兄太守公行,不及躬送,聞有炊臼之戚。 [明 李東陽:「與顧天錫書」] (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |