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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.8.18 ■■■

方相氏

方相氏とは周代の夏官大司馬に所属する官名。・・・
方相氏:狂夫四人。
  :
方相氏:掌蒙熊皮,黄金四目,玄衣朱裳,執戈揚盾,帥百隸而時難,以索室驅疫。大喪,先柩;及墓,入壙,以戈撃四隅,驅方良。
   [「周禮」 夏官司馬第四 方相氏]
方相氏の職掌:
熊の皮を頭に被って、黄金色の四ッ目の面を付ける。黒衣に朱色の裳で、戈を執り、盾を振り揚げ、難
[=追儺]の儀式の時には、沢山の隸達を率いて、屋敷内の部屋を探索し、驅して巣くっている悪疫を駆除する。
大喪の際は、柩の先に墓に及びて、壙
[=墳墓]に入る。戈を以て四隅を撃ちて"方良"を驅す。

この"方相氏"という呼び名だが、四ッ目の面を付けることからのようである。
もともとは、大喪の担当ということかも知れない。・・・
世人死者有作伎樂,名為樂喪。
頭,所以存亡者之魂氣也。
 一名蘇衣被,蘇蘇如也。
 一曰狂阻,
 一曰觸壙。
 四目曰
方相
 兩目曰
據費長房識李娥藥丸,謂之
方相腦,
方相或鬼物也,前聖設官象之。
   [巻十三 屍]
世人は死者に対して伎樂を奏じるが、それを"樂喪"と呼ぶ。
その場合、出演者は仮面を頭に被る。亡者の魂氣を存在したままにしておこうという目論見でのこと。
その風体には、様々な名前がつけられている。
 "蘇"・・・被る衣が蘇蘇の如くということで。
 "狂阻"
 "觸壙"
 "方相"・・・四ッ目の場合。
 ""・・・両目の場合。
費長房は李娥
[墓から復活した.]の丸薬[妖鬼除けに門戸に貼る.]を認識しており、それを"方相腦"と呼んだようだ。と言うことは、"方相"、あるいは、"鬼物"ということになろうか。
前の時代の聖人は、そのための官位を作り、その形象を設定したのである。

(唐突に費長房の話が登場するが、この人物はかなり重要だと思うので、別途考えてみたい。)

方相氏が執り行う除疫辟鬼儀式"難"は、朝廷にとっては極めて重要だったということのようだ。発祥は地場の呪術師が行う地域振興だろうが、朝廷の儀式化することで、帝国に併合していったのであろう。古くは"裼"とも言われたりしており、相当な歴史があるようだ。[「太平御覧」卷五百三十 禮儀部九 儺]
中華の風土の根には儒教の氏族第一主義があるから、氏族繁栄のために、朝廷の形式を真似て、追儺はいたるところで行われるようになったのだろう。
郷人儺,朝服而立於階。 [「論語」 ク黨第十之十]

尚、"方良"とは、もともとは"罔両"と書いたと考えられているようだ。成式によれば、墓内に収められた遺骸の肝食の"物の怪"であり、惡鬼を良鬼にする必要はなさそうに思うが、虎形や松柏樹を恐れる小心者だから、除疫辟鬼儀式を行っておけば何の害も被らずにすむし、あとは、鬼の世界で静かに生活してくれるのだから、良い鬼とみなしたかったのかも知れぬ。・・・
   「葬儀のしきたり」【罔象】
《周禮》:“方相氏區攵罔象。”
罔象好食亡者肝,而畏虎與柏。
墓上樹柏,路口致石虎,為此也。

   [巻十三 屍]

我々に馴染みある単語で言えば、これは鬼繞[にょう]の"魍魎"だが、虫偏のも使われていたようだ。
と言うことは、物の怪は色々と分類されていたということかも。今は、「魑魅魍魎」として、十把一絡げ的に鬼怪の総称になってしまったが。
疫鬼にしても、3種類あったようだし。・・・
氏有三子,死而為疫鬼:
 一居江水,為瘧鬼;
 一居若水,為魍魎鬼;
 一居人宮室,善驚人小兒,為小鬼。
於是正,命
方相氏帥肆儺以驅疫鬼。
    [「搜神記」 第十六卷]

上記を見ると、魍魎は河川の精霊のように思えるが、山岳、岩石、樹木の精霊も同類として「魑魅魍魎」に入っていると考えて間違いないと思う。
さすれば、魑魅は山岳系か。あてずっぽうに過ぎぬが。日本的に言うなら、木魂[精]/こだま、山の精/やまびこの類いだが。

追儺の儀式や、墓に現れる鬼怪が、こうした霊なのか、はなはだわかりにくいが、道教的風土だとなんだろうが取り込み、後で整理して理屈をつけて官僚的ヒエラルキーに組み込むことになるから、どうでもよいということかも。
追儺儀式の対象は、多分、上記の小兒的小鬼であり、水系の物の怪とは本来的には別なのかも。
ただ、水系であっても、魍魎の容貌は赤鬼だったようである。そのうち、両者は一緒くたにされてしまう訳なのであろうが。

季桓子穿井,獲如土缶,其中有羊焉,使問之仲尼,曰:
 「吾穿井其獲狗,何耶?」
仲尼曰:
 「以丘所聞,羊也。丘聞之:木石之怪,,"魍魎"。
  水中之怪,龍,"罔象"。
  土中之怪曰"賁羊"。」
《夏鼎志》曰:
 「"罔象"如三兒,
  赤目,K色,大耳,長臂,赤爪。
  索縛,則可得食。」
王子曰:
 「木精為"游光",金精為"清明"也。」

   [「搜神記」第十二卷]

尚、方相氏は、追儺と大喪だけでなく、夢の領域も職掌に入っていたようである。夢にでてくる有象無象の魑魅魍魎に対応するということなのだろう。・・・
   「夢とは」
蜀醫殷言,藏氣陰多則數夢,陽壯則少夢,夢亦不復記。
《周禮》
 有掌占夢,

 “以日月星辰各占六夢”,
謂日有甲乙,月有建破,星辰有居直,星有扶刻也。
又曰:
 “舍萌於四方,以贈惡夢。”
謂會民
方相氏,四面逐送惡夢至四郊也
   [巻八 夢]

こういうことである。・・・
大卜:掌三兆之法,------。
掌三夢之法,一曰「致夢」,二曰「夢」,三曰「咸陟」。其經運十,其別九十。以邦事作龜之八命,---。以八命者贊三兆、三易、三夢之占,以觀國家之吉兇,以詔救政。
 :
占夢:掌其時,觀天地之會,辨陰陽之氣。以日月星辰占六夢之吉兇,一曰正夢,二曰夢,三曰思夢,四曰寤夢,五曰喜夢,六曰懼夢。季冬,聘王夢,獻吉夢于王,王拜而受之。
乃舍萌于四方,以贈惡夢,遂令始難驅疫。

    [「周禮」 春官宗伯第三 ]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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