表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.8 ■■■ 仏典逍遥 知られぬ語彙篇「酉陽雜俎」では、僧侶の腐敗を辛辣に指摘する話も少なくない。高僧は全く手が打てず、放置するしかなかったことを意味しており、それが特殊な現象である筈が無い。 現代でいえば、そんな勢力が、国家予算の大部分を喰ってきたのだ。そんなことが容認されていたのは、インターナショナルな世界での交易や外交には、仏教勢力の力を借りる以外になかったからだろう。 いつか、大弾圧を喰らうことは、インテリにはわかっていたに違いない。 そして、その通りになった訳だ。 そんな時、気の合う仲間と一緒に仏典逍遥を愉しんだのである。 成式死後、仏教は、北の地域では、秘術的呪語やお題目によるご利益到来型宗派、南の地域では師の言行録中語彙をただただ考え抜く自活生活型宗派が主流となっていく。 両者ともに、経典の長い文章ではなく、それ自体では意味がわからぬ短い言葉を重視する方向に突っ走って行くのである。 インテリ層は、そんな流れを早くから予想していた筈である。すでに、経典毎の矛盾が小さなものでないことが知られており、それを糊塗するためだけに生きていそうな学僧が大勢いたからだ。それに、法華経1ツとっても、素人が理解できるような論旨で流れているとは言い難い。(現代でも、正直にそう言う人はいない。) そんな感覚を持ちながらの、この仏典逍遥篇と見て欲しい。 今回は、「知られぬ語彙篇」だが、これは、仏典から、訳のわからぬというか、聞き慣れぬ言葉を抜き出してきて、「これ何だ?」と提起するだけの作品。 仏教コミュニティに属していても、普通の人にはなんだかわからねばわからぬほど、意味がある語彙とされる。そんな見方は、およそ馬鹿げていると言えば、正にその通り。インテリにはそんなこと100%ご承知。 しかし、「知」の世界は結局のところそこに行き着くしかあるまいと看破しているからこそ、こんな遊びを愉しめるのである。 ここら、おわかりだろうか。 意味がさっぱりわからなくとも、仏典にある"聖なる"語彙なら、それは有り難い言葉とされ、必ずや、ご利益をもたらしてくれる、と解釈される訳である。 宋代から盛んになった、"公案"など典型といえよう。 他人に説明もできぬ人物なら、能力無しと評価するのが普通だが、ほぼ逆なのである。高僧が、常人にはなにがなんだかさっぱり通じない短い言葉を発するのだが、皆、それを有難い言葉と見なすのである。そして、それに様々な解釈を施す。 常人なら、始めから分かる言葉で議論すればよかろうに、となるが、そういうことを言うとまず間違いなく村八分である。 「酉陽雜俎」は、そういう流れを理解した上で読まぬとさっぱり面白味が無い。・・・ 語徵釋門中僻事(須對): 語彙を呼び起こしてみようではないか。 仏教の範疇での珍しい事のなかから。 (対表現を必須としよう。) 麋字、 麋は駝鹿/箆鹿/Elkのこと。 経典では麋鹿としてよく登場する単語である。常識的には、"麋+鹿"なのだろうが、四不像[→]の可能性もあろう。鹿に魂無しと見なすのも、変な話だし。もっとも、食用にするなら、生物とみなさなければよいだけのことだヨ、と言っているだけの話と読むこともできるが。 道書中言麞鹿無魂,故可食。[→] しかし、"麋字"との語彙になると、大蔵経データベースでも見つからない。 莎燈、 莎草 or 菅草は香附/浜菅/Java grassのこと。これが䙞ならありえそうな気にもなるが、いかんせん燈である。燈用植物とは思えないし。 そうなると、人名の略称ということかも知れぬ。 仏典には数限りなく名称が出て来る訳で。 対になっているのはわかるが、どちらからもヒントの欠片さええられない。お手上げ。 次の対はなんとかわかる。・・・ 華綿、 比丘向けの"兜羅貯床褥戒"に登場する兜羅は白楊樹の花だそうだ。植物を確認してはいないが、利用する時は、兜羅綿と呼ぶから、どのような形状かは想像がつく。 今村注記では、草木華綿の總稱として使われている用語とのこと。 要するに、印度発祥の綿花の質は担保できないが、蓐床用なら、国内の草木産でも十分なのであろう。このような使い方ができる草木はいくつかあるだろうから、その綿を華綿と呼ぶのだろう。 この戒の内容は、綿が問題ということではない。そこに住んでいる虫の殺傷を止めヨとということ。褥として使うと、必ず大量の虫が入ってしまうので、どうしても殺生してしまう。これは避けなければと言うのだ。 現代からすると、ジャイナ教的な戒といえよう。 象薦、 (升上人) 中阿含経等で見つかる言葉。象牙製の席とされる。 犀屏象薦雜羅列,錦鳧繡雁相追隨。 [唐 鄭嵎 @「津陽門詩」] 華綿と美しい対になっているとは言い難いが、おそらく"華"とは、天竺の本物ではない綿を指し、"象"も、天竺の象牙ではなく、多量に流通している角材を指すのであろう。 つまり、ここでの"綿"は綿製の褥の床敷であり、薦は長椅子の席敷ということになろうか。 冒頭でお話したように、それがどうした、と考えてはアカンのである。 次の対語彙は、どうにもならぬ。 集仿地 仿は、今村校では𩮒。注記によれは、以下の集鬘地に当たるという。・・・ 欲見天王牟修樓陀更前内入彼天。複見夜摩天王。名集鬘地。即入其中。山樹具足廣博。行地彼一切天。第一莊嚴。並集鬘地。三地諸天。皆于天王牟修樓陀生敬重心。是彼天王善業力故。是彼天王過去修集無量善業之所感致。集鬘地中有一萬殿。[正法念處經巻第四十二 觀天品之二十一 夜摩天之七] 文字が異なるので、調べる気力を失う。 效殿林 效=効。 検索に全くひっかかってこない。 ____(柯古 夜續,不竟)。 [續集卷五 寺塔記上] ____夜になっても続けたが、キリがない。 沢山あったなかから、これは誰も気づくまいとの語彙を挙げたのであろう。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2016 RandDManagement.com |