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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.11.26 ■■■

酒宴に於ける外交バトル

「卷七 酒食」に収載されており、確かに酒宴の話で、そこには珍品料理名称も登場するが、内容的には、外交における丁々発止の会談そのものというお話が収録されている。

行ってみれば、以下の姉妹篇。・・・
   「音楽鑑賞に於ける外交バトル」

北の魏の使者、李騫と崔劼を、南の梁の賀季が迎えたシーンである。541年のこと。

ついでながら、「卷三 貝編[仏教経典録異]」にも、魏の使者達が、仏教に深く帰依していた武帝のお寺へ、表敬訪問もしたシーンが描かれている。・・・
   「仏舎利信仰の地で」

史書等に、政治の視点で描かれている文章を持ってきて、バラバラのパートで編纂しただけだが、文化的なコンフリクトがどのようなものであるかがわかり秀逸。
と言うか、強烈な主張そのもの。・・・
音楽、宗教、酒食といった文化的事象は、政治・経済基盤と結びついている。便宜上分けて、それぞれの分野毎に眺め、他からの影響を論じることになるが、本来的には不可分のもの。従って、俯瞰的に眺めないと大きな流れや、社会を形作っている根本思想は見えてこないと言っているようなもの。

前置きはその程度にして、酒宴のシーンを見ていこう。

"見ておこう"と書くのは1秒で済むし、文章の文字数もたいしたことはないのだが、実際に読むとなるとえらく骨が折れる。
今村注記があってもである。それは当たり前のことで、今村自身が「あの翻訳はたいへんだという感じがあって」と語るほどの本だからだ。一筋縄ではいかない、矢鱈に込み入った仕掛けが施された書き物ということ。パイオニアだったことがあるとはいえ、今村の3年に渡る日夜の奮闘でほぼ解読されたとは言い難いのが実情である。

最初一行からなんのこっちゃ。

梁劉孝儀食鯖鮓,曰:
 “五侯九伯,令盡征之。”


宴席で、梁の劉孝儀が早速口火を切る。
鯖鮓を食べていたのだが、
突然、五侯九伯を悉く征伐する命をだしましょうゾ、と歴史の話を始めたのである。


有名な、鯖[=𦙫]の寄せ鍋的料理"五侯鯖"にことよせた癖球。仲の悪い5侯のすべてとお付き合いする人物が珍品を頂戴したことが由来。
又五侯不相能,賓客不得往來。婁護豐辭,傳會五侯間。各得其心,競致奇膳。護乃合以為鯖。世稱五侯鯖。以為奇味焉。出《西京雜記》 [「太平廣記」食 五侯鯖]
それと、太公望呂尚の故事に出て来る、諸侯の総称の意味である五侯九伯とは直接関係はない。こちらは、西周の成王から得た討伐の御旗のような詔。「東は海に至り、西は河水に至り、南は穆稜に至り、北は無様[=穆陵]に至る間の五侯九伯が罪を犯した場合、これを討伐して良い。」
太公望は、戦いに勝利し、山東の齊が生まれた訳だ。

今村解説で、これが北朝の"東"魏の使者にどう聞こえたかがわかる。
討伐された地とは、"東"魏を意味する。一方、討伐を命じた周王朝とは、"西"魏を暗示している。梁は"西"魏と同盟関係を結んだこともあり、梁の官僚は、鯖にかけて、魏の使者に一発お見舞いしたのである。

これに魏の使者、李騫と崔劼が、どう応えるか試されているのである。
打ち上げパーティで懇親を深めるといった状況には程遠い。酒が入っても、緊張感を保ち、灰色の脳細胞を活発にはたらかせねばえらい目に合うのは見えている。

魏使崔、李騫在坐,
曰:
 “中丞之任,未應已得分陜?”
騫曰:
 “若然,中丞四履,當至穆陵。”


応酬開始。
ただ文書を出すだけで、各地域の刺史を監督した気になっている官僚を小馬鹿にしたような発言でお返し。
 「文官に、"分陜"統治を実現できる力があるとでも
  思っているのですか?」

成王と太公望の故事を引いてきたので、それに応えたのが"分陜"。成王は、周公と召公に陜を境に東西を分担統治させ、太公望と母親が後見人という状況を指している。
そして、相棒が、すかさず、駄目押し。
 「もしも、文官ができたとしたらですナ、
  "四履"を支配することになるのでありましょう。
  そうなると、"穆陵"も入る訳ですかネ。」

グウの音もでない一撃である。
"四履"とは成王が太公望に指定した領地の範囲であり、そこには当然"穆陵"が入る。陜から東を成敗などと言う前に、"穆陵"からでしょう、と言っている訳だ。魏に敗れて獲得できなかったくせに、よく言うヨ、と。
文官なら、先ずは、"穆陵"獲得に兵を上げよと、上に提案してみたら如何と挑発的言辞でお返ししたのである。

ソリャ、話題転換しかない訳である。

孝儀曰:
 “中鹿尾,乃酒肴之最。”


又、癖球。

 「魏の拠点、河北東端のでの、
  "鹿尾"は酒の肴としては最高ですな。」


鹿の尾など、せいぜい長さ10cm程度と短く、食材というより、アナロジーからくる薬効を期待する薬剤であろう。ジューシーな肉質を欠くから、食感を味わう以上ではない筈。宮廷料理として上品な部類には該当しないタイプと見て間違いなかろう。
それを、至高の品と褒め称えてオチョクル手に出たのであろう。

ここは、対応がなかなか難しい。

曰:
 “生魚、熊掌,孟子所稱。
  跖、猩唇,呂氏所尚。
  鹿尾乃有奇味,竟不載書籍,毎用為怪。”


史書にのりそうもない梁の文官などと比類すべくもない人物の嗜好話で一蹴。

 「そう言えば、孟子が選んだ絶品も、
  生魚と熊の手だったですナ。」


最高は熊掌としたのであり、鹿尾も同様な部類に当たっておりますゾ。そういうモノを好むのが才ある方々の特徴と言っている訳だ。
ついでに、食通についても、存知あげていることを忘れずに付け加える訳だ。わかったような口をきくなと言わんばかり。

 「ご存知ですかネ。
  鶏足の踵、類人猿の唇。呂氏が褒めてますが。
  鹿尾も間違いなく絶品。
  ただ付け加えておきますと、
  書籍にはその旨の記載がありません。
  何時も思うのですが、いかにも怪なことですナ。」


呂氏春秋位知ってるでしょうというのである。碌に食べてもいない鹿尾の話をするより、いくらでもある鶏の踵でも食べて、文官らしく、少しは学んだらどうなのと。
善學者若齊王之食也,必食其跖數千而後足,雖不足,猶若有跖。 [「呂氏春秋」孟夏紀 用衆 用衆]
食べたことがないものを知ったかぶりで美味として話題にする時は、鹿ではなく、猩猩辺りに留めておかねばボロがでますゾ。
肉之美者:猩猩之脣, [「呂氏春秋」孝行覽 本味 ]

勝負あった、というところか。
梁の劉孝儀、ほうほうの態で白旗。

孝儀曰:
 “實自如此,或是古今好尚不同。”


 「仰せの通り。
  昔と今では、味覚が違うということでしょう。」


梁の同僚、助け舟。

梁賀季曰:
 “青州蟹黄,乃為鄭氏所記,此物不書,未解所以。”


 「そういえば、魏の青州産の蟹黄は、
  鄭氏が記載しておりますが、
  他の書物には載っておりませんナ。
  全く、理解し難きことです。」


蟹の卵や味噌の部分が美味しいとの評価は定着していたに違いないから、もっともな話である。どう見ても、最初から調べて用意していた文言臭い。宴会前の予習は大事だったと見てよさそう。
今の外交官はワインブックの予習に余念がないようだが、命を張って外交の任にあたる中華官僚からみればアマチュアレベルに映ることだろう。その方が余程安心という説もあるが。

この辺りで鹿尾話を〆ておかねばということで、魏の使者、李騫が一言。

騫曰:
 “鄭亦稱益州鹿,但未是珍味。”


 「その鄭氏ですが、鹿肉も語っております。
  四川の益州で称されているというのですが、
  アレは珍味と呼べる代物ではございません。」


頭から尻まで、面子大事の雰囲気アリアリのお話。
「酉陽雑俎」は、その馬鹿馬鹿しさを感じなくなっている状況を見せてくれたのである。もちろん、成式自身も、自分がその世界の住人であることを百もご承知なのである。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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