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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.1.20 ■■■

仏教で牛といえば、乳粥が頭に浮かぶ。
苦行で衰弱した釈尊は、善生/Sujātāから"食此粥者必得無上菩提"ということで、乳粥を頂戴して健康回復。健全なる精神に戻ることができたお蔭で、そこから悟りへと進むことができた。

仏教徒である成式なら、その辺りについてなにか語るかと思いきや、養牛と道教逸話である。

仏教大弾圧の後であり、その気分わかる。・・・

【牛】,
北人牛者,多以蛇灌鼻口,則為獨肝。
水牛有獨肝者殺人,逆賊李希烈食之而死。
相牛法,岐胡有壽,膺匡欲廣,毫筋欲,啼後筋也。
常有聲,有黄也。角冷有病。旋毛在珠泉無壽。
睫亂觸人。銜烏角偏妨主。
毛少骨多有力。溺射前,良半也。疏肋難養。
二齒,
四齒,
六齒。
以後,毎一年接脊骨一節。
寧公所飯牛,陰虹屬頸。陰虹,雙筋自尾屬頸也。
北虜之先索國有泥師都,二妻生四子。
一子化為鴻,遂委三子,謂曰:
 “爾可從古旃。”
古旃,牛也。三子因隨牛,牛所糞,悉成肉酪。
太原縣北有銀牛山,漢建武二十一年,有人騎白牛蹊人田,田父訶詰之,乃曰:
 “吾北海使,將看天子登封。”
遂乘牛上山。田父尋至山上,唯見牛跡,遺糞皆為銀也。
明年,世祖封禪。

  [卷十六 廣動植之一 毛篇]]

先ず、牛の飼育の方だが、北魏 賈思:「齊民要術」卷第六 養牛馬驢騾第五十六に依拠しているのではないかと思われる。相牛法とは、経験則による資質鑑識法のことである。すでに、馬で記載してあるような評価手法。 [→]
成式は、馬同様に、こちらも歯について書き留めているが、トーンは違う気がする。乳歯から永久歯に生え変わることをわざわざ指摘しているからだ。馬と変わり映えしないが、牛は、一日中口中でモグモグやっており、その永久歯の強靭さに感心したのでは。ただ、ここでの牛の年齢は、年月を意味している訳ではないだろう。環境条件で成長速度は違うのは知っている筈で、歯で牛年齢が決まると言っているのだと思う。

そのように推測するのは、"陰虹"について書いているから。言葉の専門性のレベルは知らぬが、文字からこれが、尾尻の頸部にある雙筋の名称であることは想像がつく。ただ、素人はそこまでだが、成式はそこを観察することが鑑別に繋がると指摘しているのである。
実に鋭い。ここの部位を見れば、牛の"実"体格がわかるからで、これによって、餌不足のままで酷使していないかわかる。養牛マネジメントにとっては極めて重要なことだが、そんなことをご存知なのだから恐れ入る。結構、細かいことを百姓から聞いていたのであろう。

その辺りで話を止めてもよかったのだろうが、成式のテーマの1つが「貝 v.s. 壺]でもあるので、ここは道教的な牛について、どうしても一言必要と考えたからだろう。

書いてあることは単純である。・・・
人と白牛が連れ立ってやってきて、畑を踏み荒らした。それを、田父が怒ると、北海の使者であり、登封見物の山行中と答えて、去ってしまう。そこで追ってみると、山には足跡のみ。残っていた牛糞は銀になっていた。

これは「太平広記」巻四百三十四畜獸一に所収されているのだが、そこには「湘中記」の牛糞が金になる話が併存している。
金牛: 長沙西南有金牛岡,漢武帝時,有一田父牽赤牛,告漁人曰。寄渡江。漁人云:「船小,豈勝得牛。田父曰:「但相容,不重君船。于是人牛上。及半江,牛糞於船。田父曰。以此相贈。既渡,漁人怒其汚船,以橈撥糞棄水,欲盡,方覺是金。訝其神異,乃躡之,但見人牛入嶺。隨而掘之,莫能及也。今掘處猶存。出《湘中記》
田父と赤牛が連れ立って、漁師の船に乗った。船上で脱糞したので、漁師は怒る。ところがそれは黄金だった。人牛は山へと入ってしまい見えなくなった。

これこそ、道教が創出した牛のモチーフそのもの。

そういえばおわかりになると思う。もう一つ、青牛バージョンがあるのだ。その場合、糞は残さず、かわりに人が経典を残すことになる。そして、人牛は山に消えてしまうのである。
後周コ衰,乃乘青牛車去,入大秦。
過函關,關令尹喜待而迎之,知真人也,乃強使著書,作《道コ經》上下二卷。

  [劉向:「列仙伝」老子]

ご存知、老子の話である。周が滅びることがはっきりした時点で、西の仙山に牛と共に行くことになり、以後、消息不明となる。
この青牛だが、本来は(絶滅した犀牛)ではないか。[→]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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