表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.1.21 ■■■

ヒト的猿

ヒトのような猿が女人を攫う話の初出は「博物志」らしい。(残存文章には誤脱が多いとみなされているため、とりあげられることが少ない書である。)
著者は西晋政治家だった張華[232-300年]である。「鷦鷯賦」で"王佐の才"と評された文人でもある。同時に博学家でもあったということ。

「酉陽雜俎」序文で語っているように、成式は怪奇譚や珍品紹介で埋めた博物学的収集書を狙ってはいない。あくまでも小説。
そのこだわりの理由は、「博物志」に目を通したせいもありそう。

張華は確かに、唯一無二の博物有才と見なせる。しかし、その本質は普の高位政治家として、呉や蜀からの訪問者を大事にし、その聞きづてをメモにとるようにさせた結果にすぎまい。
面白いと感じた情報を集積してはいるものの、編集は官僚的で常識に基づいた"網羅"思考に基づいたもの。ものの見方や、創造性を感じさせるものではない。

成式の目指すものは、これとは正反対である。見かけは博物学でも、その編纂には自分なりの視点を組み入れており、大胆に情報を削除することで、自分が伝えたいことを示唆することに力を入れている。はっきり言えば、面白情報そのものを伝えようという意図など皆無に近い。そんなものは、宮廷向けの怪奇譚的戯作であって、「酉陽雜俎」とは対極に位置する書。
当然ながら、冗談や揶揄、辛辣な批判的見解が隠されていたりする訳である。それがわかる人だけ読んでくれれば結構との態度が貫かれている。

そこらの実際を見ておこう。

「博物志」卷之三 異獸から。・・・
蜀山南高山上,有物如猴。長七尺,能人行,健走,名曰猴,一名馬化,或曰。伺行道婦女有好者,輒盜之以去,人不得知。行者或毎遇其旁,皆以長繩相引,然故不免。此得男子氣,自死,故取女不取男也。取去為室家,其年少者終身不得還。十年之後,形皆類之,意亦迷惑,不復思歸。有子者輒送還其家,産子皆如人,有不食養者,其母輒死,故無敢不養也。及長,與人無異,皆以楊為姓,故今蜀中西界多謂楊率皆、馬化之子孫,時時相有爪也。
猩猩若黄狗,人面能言。

蜀の南方には高い山々があるが、そこに"猴"に似た動物が棲んでいる。身長7尺。ヒトのように歩行し、結構走る。"猴"と命名されているが、"馬化"や""という別名もある。
婦女が道を通ると、好む者がすかさず攫って行き、行方不明に。
 :
子を産むと人家の地へ帰され、その子供はほとんどヒトと同じ。子供を育てなければ死が訪れるといされているので、母親は、一所懸命になって育てる。
 :
蜀の中西部に多い「楊」という姓の者は、そんなの子孫。


続いて、「酉陽雜俎」。
恐ろしく簡潔。・・・

𤢦𤡓,蜀西南高山上有物如猴状,長七尺,名𤢦𤡓,一曰馬化。
好竊人妻,多時形皆類之,盡姓楊,蜀中姓楊者往往

  [卷十六 廣動植之一 毛篇]

要は、辺境に近い地で婦女が拉致されるとの話。孕まされて生まれた子供の姓が"楊"とされており、特段の差別はないようだ。

犯人は、猴の類とされるが、物理的に交流が難しい地に逃げ込んだ部族がいる、と示唆しているようなもの。
もともと、この辺りは、官僚統制と伝統風俗禁止に逆らう部族が逃げ込んだ地でもあるし。

ただ、いつまでも、そんな話が残るのは、巷に、高収益の組織化された人身売買業が存在していたから。権力と結託し、すべてを猴の仕業にしておけば安泰だからだ。本当のことを言ったりすれば、即、殺されかねないから、いつまでも続く訳である。これぞ、中華帝国の裏の文化。
奴婢を抱えていた成式にとっては自明な話。

それは、「山海経」を単純な怪奇譚収集書として読んではいけないのと同じようなもの。
この書の目的はあくまでも地誌である。従って、中華帝国の領域から外れた地域の住人は基本的に異人であり、その風俗・歴史・宗教を象徴する形の動物に仕立て上げられることになる。細かな情報を羅列するのではなく、全体のイメージを伝えているにすぎぬ。

「酉陽雜俎」は余りに省略が多いが、そのなかで、注目すべきは、"猩々"を収録していない点。

猩々は「禮記」曲禮上に"鸚鵡能言,不離飛鳥。猩猩能言,不離禽獸。"とされており、博物学的記述を目指すならカットできそうにない動物だ。

なにせ、高度な知能を有していることが知られているのだから。ただ、そのことは、猩々を殺害し、その子供をペットとして育てる習慣があったことを意味していそう。
おそらく、仏教徒である、成式的には面白くない話であろう。
それに、この話の信憑性についても気になっていたかも知れない。
猩々は類人猿的な<巨猿/猩 or >を指すことになっており、用語としては以下のようになる。
  大猩々・・・ゴリラ
  黒猩々・・・チンパンジー
  紅毛猩々・・・オランウータン
ゴリラとチンパンジーはアジアには棲息していない。オランウータンにしても、現在は、スマトラ島北部とボルネオ島の熱帯雨林地域にしか棲息していない。(ただ、マレー半島には棲息していたのは確か。)はたして中華帝国の領域にその情報が届いていたかは定かではない。

(付記) サル類[→霊長類の分類]の古代の用語がわかりにくいが、[オオザル]〜猴[テナガザル]〜猿[マカク]と考えればよいのでは。・・・
<尾長猿や房尾猿> , , etc.
猿/マカクの仲間
[→]
【スンダ出自陸側】獅子尾猿(南インド西)-豚尾猿(マレー半島/スマトラ/カリマンタン)-蟹喰猿(東南アジア島嶼) 【スンダ出自海側】赤毛猿(亜熱帯:アフガン/インド北部〜中国南部)-台湾猿-屋久日本猿-日本猿 【アッサム/チベット出自】紅顔猿(南印度) 【南印度出自】BonnetM, ToqueM
<猴/テナガザルの仲間>
猴 or  狙猴[赤毛猿の一部]
/オオザルの仲間>猴 or
<狒々[ヒヒ]>


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2017 RandDManagement.com