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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.12 ■■■

僧侶の差別意識

いかにもありそうな話。・・・

虞部郎中陸紹,元和中,嘗看表兄於定水寺,因為院僧具蜜餌時果,鄰院僧右邀之。
良久,僧與一李秀才偕至,乃環坐,笑語頗劇。
院僧顧弟子煮新茗,巡將匝而不及李秀才,陸不平曰:
 “茶初未及李秀才,何也?”
僧笑曰:
 “如此秀才,亦要知茶味?”
且以余茶飲之。鄰院僧曰:
 “秀才乃術士,座主不可輕言。”
其僧又言:
 “不逞之子弟,何所憚?”
秀才忽怒曰:
 “我與上人素未相識,焉知予不逞徒也?”
僧復大言:
 “望酒旗玩變場者,豈有佳者乎?”
李乃白座客:
 “某不免對貴客作造次矣。”
因奉手袖中,據兩膝,叱其僧曰:
 “粗行阿師,爭敢輒無禮!杖何在?可撃之。”
其僧房門後有杖,孑孑跳出,連撃其僧。
時衆亦為蔽護,杖伺人隙捷中,若有物執持也。
李復叱曰:
 “捉此僧向墻。”
僧乃負墻拱手,色青短氣,唯言乞命。
李又曰:
 “阿師可下階。”
僧又趨下,自投無數,衄鼻敗不已。
衆為請之,李徐曰:
 “縁對衣冠,不能此為累。”
因揖客而去。
僧半日方能言,如中惡状,竟不之測矣。

   [卷五 怪術]
 <キャスト>
訪問者:郎中の陸紹
訪問先:定水寺に居る表兄
ホスト:定水寺の僧
客:近隣寺の陸紹知己の僧+随行に呼んだ"秀才"
 <ガイスト>
陸紹、土産物持参。皆、話が弾んだ。
そこで、定水寺の僧が弟子に命じて茶を振舞った。
ところが、"秀才"にまでわたらず。
陸紹、それを指摘。
定水寺の僧、そこまでする必要はない、と。
よしなさいと、近隣寺の僧が諌めるが、
 よからぬ者に対しては当然の姿勢、と。
知りもしないのに、そのような断定。
 当然ながら、"秀才"怒る。
術をもって、定水寺の僧を完璧に叩きのめす。
定水寺の僧、瀕死の状況に。
"秀才"、今日のところは、
 ここまでにしておくと座を辞す。


元和[806-820年]は憲宗代。登場人物の陸紹は成式の朋友であろう。世間話も色々していたようだし。 [→「貝母」]

訪れた定水寺は長安の【西五条 太平坊】にある寺。展子虔[550-604年]の壁画があるらしいから、有力な寺だったのは間違いない。・・・
 〈王之題額〉@注記
 殿内東壁,孫尚子畫維摩詰---
 内東西壁及前面門上,並似展畫,甚妙。前面有《三圓光》,皆突生壁間,菩薩亦妙。

   [唐 張彦遠:「歴代名畫記」卷第三 注記]
 隋上柱國荊州總管上明公楊紀(造定水寺) [唐 法琳:「辯正論」第四巻]

陸紹の表兄が滞在しているところをみると、受験生の下宿所としても利用されていたのだろう。
だからこそ、受験生と話が合うだろうということで、ご近所の寺僧が、試験をパスした"秀才"をわざわざ引き連れていったと思われる。

そのお寺とは、おそらく温国寺/実際寺。 [→]
長孫皇后[601-636年]の頃は、親族の薛国公の妻の家があったようである。
温国寺,在城南四十里水岸。
本隋薛国公長孫覧妻鄭氏舍宅置,名実際寺。
 [「長安縣志」寺現志]

いかにも、ここらの寺は貴族出身者が多そう。従って、いかに頭脳明晰とされていても、下層から上がってきた人々とは折り合いが悪い。
"秀才"であろうが、貴族階層でないのだから、どうせ、ろくでもない生活をしている御仁と見る訳だ。宦官や科挙の高級官僚に地位を奪われつつあった層の不満が溜まっていた訳だ。

そんな感覚の僧侶が定水寺では主流だったのであろう。そんな場に"秀才"が現れたので定水寺僧侶の不快感情が炸裂したのであろう。
成式としては、どうしても書いておきたかった話だと思う。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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