表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.18 ■■■ 呉道玄作品の描写呉道玄の真筆は残っていないが、その名前だけは有名である。「酉陽雜俎」でも、高く評価している。 → 「画論」 他の画家達とはどこが違うかは、なんとなくわかるとはいえ、 → 「諸画家評価」 絵を見ることができないので、なんとも。 ただ、えらく権力志向の人だったようで、もっぱら詔勅で動く画家だったように見える。と言って、一人で高みに居る訳ではなく。呉画一家的な組織を作りあげていたようで、統制組織との折り合いも上手だったようだ。 そんなことから、時代が変わると、その絵画は真っ先に破壊の対象となったのかも知れない。 ともあれ、想像の世界で遊ぶにしても、呉道玄画については、あまりに情報不足。 唯一救われるのは、「酉陽雜俎」に連句が残っていること。 何人も、これをもって、呉道玄画観賞と考える以外に手はなかろう。 さて、それを、どう読むか。・・・ 辭。呉畫連句: 辞。呉道玄画を対象とする連句なり。 慘淡十堵内,呉生縱狂跡。 風雲將逼人,鬼神如脱壁(柯古)。 ココは、 淡い光が滲み出て来るような、 泥と煉瓦の壁で囲われたところ。 そんななかに壁絵がある。 それは、 呉道玄が狂おしくも、 縦横無尽に描いた跡なのだ。 風雲は、将に、視る人に迫り来て、 鬼神は、壁より脱け出して来そう。 其中龍最怪,張甲方汗栗。 K夜窸窣時,安知不霹靂(善繼)。 そんな画のなかでは、 龍が最も奇怪である。 甲冑を付けた姿を見れば、 恐懼で汗が出るばかり。 真っ暗闇の中で、 カサコソという音を耳にすれば、 大雷鳴が来ないと安心できる筈もない。 此際忽仙子,獵獵衣舄奕。 妙瞬乍疑生,參差奪人魄(夢復)。 そんな絵の際に、 忽然として、 仙女達が現れる。 フワフワと風に乗った衣が、 連綿と連なっている。 妙なる眼差しで見つめられると、 生きているかと疑うばかり。 入り混じるその様子を眺めていると、 自分の魄を奪われてしまう感じがする。 往往乘猛虎,沖[=衝]梁聳奇石。 蒼峭束高泉,角睞警欹側(柯古)。 画中の人物は、 往々にして猛虎に乗っている。 そして、 尾根筋を突き破らんかの如く、 奇岩が聳え立つ。 切り立った険しい断崖が、 流れ落ちる泉を束ねているか如し。 斜めに視ていると、 危うく身体が倒れ込みそうになる。 冥獄不可視,毛戴腋流液。 茍能水成剎,那更沉火宅(善繼)。 冥界の地獄を直視などできない。 なにせ、 総毛立つし、 冷や汗が脇から流れ落ちるのだから。 かりそめにも、水を河と見なすことできたとしても、 あっという間に、 火宅の中に沈む心地に襲われる。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |