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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.27 ■■■

四言両句釈詩[9:白象伊羅婆那]

ここで、三十三天話 [→]になる。・・・

   園開脅上,
   河出鼻中
(柯古)  [續集卷五 寺塔記上]

帝釈天は、もちろん象の国の王。6本牙ではなく、10本持つ大象を百頭飼っているらしい。それこそが楽園維持基盤の象徴。現代的解釈だとサンクチュアリーになるのかも知れぬが。
もちろんのことだが、衆生に教えを届けるため、騎象の姿でやってくるとの話がその裏にある。・・・
爾時白象伊羅婆那。聞天主教。即化大身。
身有百頭。頭有十牙。
---到歡喜園。
其象兩脅。
  :
其白象王。
從鼻兩孔。
化作河流。
如閻浮提恒河之水。
閻牟那河水從。
池流下。
其水清淨。涼冷不濁。
從上而下。
白象鼻中所出河流。
  [「正法念處經卷第二十七 觀天品第六之六 三十三天之三]

帝釈天専用騎象には名前がついている。
釈尊誕生前に存在していた特殊な伝承が仏典にとりこまれたのだろうが、何を意味しているのかよくわからない。(釈迦族のトーテム名かも知れぬが、もともと特別視されていた神名が組み込まれたと考えるのが自然。)

ともあれ、象の場合は、帝釈天と切っても切り離せぬ関係。バラモン教〜ヒンドゥー教の神々は、必ずと言ってよいほど特定の動物と組みになっており、この組み合わせは、最強を意味するのは間違いない。

段成式は地方での統治を通じて、土着の俗信はそう簡単に抜けることはなく、自分にとってはいかにナンセンスな話であっても、社会的に大きな実害がない限り、暖かく見守るべしという信念の人。そんな雰囲気を感じさせる句に仕上がっている。
仏教は土着の蛇的河神を越えるべく、釈迦族のトーテムでもあった象を河川の源泉としているとの指摘なのだろう。要するに、仏典が持っている、そのような役割をしっかりと見据えておくべしとの一家言。先ずは、民衆が、どのような感覚で世界を眺めているかを知るべきで、それを無視したドグマ的信仰は消え去る運命と見ていたのは間違いなかろう。

そんなことを考えると、この句は、成式の思想を垣間見せせているとも言えよう。・・・獅子座文殊と象座普賢の2菩薩が釈尊の脇を固めているが、土着信仰的には、印度雁 [→]に乗って宇宙を飛び廻る梵天と10牙白象に騎象して地上を跳び廻る帝釈天のコンビでもよかったことになる。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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