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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.4 ■■■

鹿の環

収録した理由を考えさせる話。・・・

州,時獵人殺得鹿,重一百八十斤。
蹄下貫銅鐶,鐶上有篆字,博物不能識之。

  [卷十四 諾皋記上]
@河南でのこと。
猟師が重量180斤にもなる鹿を殺したという。
蹄の下を、銅鐶が貫ぬいていた。
その鐶の上に篆字が記されていたが、
博学の師でも認識不能な文字だった。


見知らぬ文字があるということで、注目したのではなかろうか。

国家の基本は異端抹消であり、想像もつかぬ文字が使われているとしたら、反中華帝国の文化が残存していることを意味するから、成式的には捨てておく訳にはいかなかったのだろう。ただ、科斗文字ほどの独自性はないし、[→] 宗教的な意味があるとも思えない。
しかし、その文字が書かれた場所が、動物につけられた環だけに、色々と考えさせらえたということだろう。

環は普通は装飾品だが、部位から見て所属表示のためのタグの可能性が高かろう。もし、そうだとすれば、文字は所有者の名前だと思われる。一種の印章だから、読めなくて当然である。
そして、その鹿とは多数の雌を囲い込んでいるハーレムの雄と見てよかろう。

そうなると、この時代に養鹿があったことになる。

別に、難しいことではないだろう。
現代日本でも、観光振興用に半飼育状態だったり、ドグマ的な"自然"信仰から山を我が物顔に棲息しているのが実情なのだから。
しかし、一般的には、家畜化はかなり面倒である。見かけ大人しいだけで、片時も警戒を怠らない極めて神経質な動物だからだ。不用意に驚かすと、群れ全体が自殺的な行動に走ったりしかねないのである。

逆に、そこさえクリアできるなら養鹿は可能とも言える訳だ。今でも、角は研磨、皮は拭取や濾過、腱は絵画用膠として使われている位なので、経済動物としての魅力は十分あった筈。
しかし、そちらに歩を進めなかったのは、繁殖問題や品種改良問題ではなく餌の問題だったのではないか。羊牛馬のように草食ならよいのだが、木本の葉や芽を好むし、場合によっては樹皮まで剥がして食べるから、森が維持できなくなりかねないということ。余り増やしては拙い動物なのである。
マ、そんなこと気にせずの鹿肉好きの首領もいた筈である。
実際、鹿のハーレムをコントロールしていた様子を示唆する話も掲載されている訳だし。[→]

観察力鋭い成式のことだから、養鹿の問題も色々とわかっていたであろう。現代に生きていれば、野生動物保護のドグマ論者を説得していたかも。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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