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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.1.17 ■■■

鹿

釈迦の初説法の地は波羅奈国鹿野苑。[→"地名鹿苑"]

この地名の由来の故事はよく知られている。・・・
森の鹿王は、狩猟をさせている王様と協定を結んだ。狩猟を止め、鹿は指定された苑内で暮らすというもの。但し、鹿は自発的献体。
言うまでもなく、そんなことで鹿の社会に平安が訪れる訳がない。案の定、妊娠中の雌に順番が巡ってきて、出産前の出頭を拒否したため、騒動に。結局、鹿王が身代わりで出頭。王が絶対に殺すなと厳命していたにもかかわらず、臣下はそれに気付かず殺してしまう。
そこで、王様はようやく事情を理解。

"仙鹿"とは、これを踏まえた話なのだろうか。・・・

【鹿】,
虞部郎中陸紹弟,為盧氏縣尉。
嘗觀獵人獵,忽遇鹿五六頭臨澗,見人不驚,毛班如畫。
陸怪獵人不射,問之,獵者言:
 “此仙鹿也,射之不能傷,且復不利。”
陸不信,強之。獵者不得已,一發矢,鹿帶箭而去。及返,射者墜崖,折左足。
《南康記》云:
 “合浦有鹿,額上戴科藤一枝,四條直上,各一丈。”

  [卷十六 廣動植之一 毛篇]

あるいは、こちらか。・・・

昔佛在摩竭國甘梨園中城北石室窟中。
有衆多獵師,入山遊獵,廣施羅網,殺鹿無數,復還上山。
時有一鹿,墮彼中,大聲喚呼,獵師聞已,各各馳奔,自還墮,傷害人民不可稱數。
雖復不死被瘡極重,痛不可言,各相扶持劣得到舍,求諸膏藥以傅其瘡。
室家五親各迎屍喪,歸還耶旬之。
其中被瘡衆生,自知瘡差,厭患遊獵,宿縁應度種諸善本,便自捨家學道作沙門。

爾時世尊,與無央數百千衆生,前後圍繞而為説法。
爾時世尊,為彼衆生,欲拔其根,修立功コ示現教誡,永離生死,常處福堂,於大衆中而説此偈:
 「猶如自造箭,
  還自傷其身,
  内箭亦如是,
  愛箭傷衆生。」
  [竺佛念 譯@398年:「出曜經」卷第五]

日本では、鹿と言えば発情期の雌を慕って鳴く声に格別の感情を抱いていたようだが、中華帝国では「恋」を題材にするのを嫌う文化があったのは間違いないから、かなりの違いがありそう。
  奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
   声聞くときぞ 秋は悲しき
  猿丸大夫@「小倉百人一首」

鹿の恋の成就は角の威力次第。一番立派な角を持った個体が"鹿王"ということになろうか。
その角だが、毎春脱落し、その跡から袋角が成長し、秋になって袋が剥げ落ち、自ら角を磨く。その角は、年齢とともに枝分かれ大型化が進む。(日本鹿の場合で言えば、1歳1尖、2歳2尖、3歳3尖、4歳4尖。)
このような鹿王を大事にしているような話に仕上がっているが、中華帝国では老齢鹿の価値は低い筈。角を飾る習慣も無いようだし。
それに、肉は若いほど美味いと言われている。
なかでも珍重されるのは袋角で、通称「鹿茸」だが、その高級品は若い鹿のモノ。もちろん、そんなものを食すことができるのは王様と貴族だけ。これから角を生やしていく絶大な力を頂戴するために服用する訳である。
仏教的説話は、ここらの思想を壊すものになっていないから、たいした意義はない。

インターナショナルな交際に徹していた成式から見ると、天竺の鹿もさることながら、北方の鹿や、高山の鹿のことも気になっていた筈である。
  馴鹿:トナカイ[アイヌ語] [→2013.4.14]
  馬鹿:赤鹿
  白鹿
  梅花鹿:日本鹿
  鹿:キバノロ 中国/朝鮮半島に棲む小型鹿。
  鹿:四不像 [→2013.3.23]
  麒麟 [→2013.3.28]
  麝香鹿
  氈鹿:ニホンカモシカ(生物分類上は鹿ではない。角脱落なし。)
しかし、その辺りの話は避けたようである。鹿骨あるいは、鹿角を用いるツングース系シャーマニズムは理解が難しかったからかも。

その替わり、南方の鹿の、特異性をあげている。・・・

耶希,有鹿兩頭,食毒草,是其胎矢也。夷謂鹿為耶,矢為希。
  [卷十六 廣動植之一 毛篇]

李時珍:「本草綱目」によれば、"雙頭鹿"は、重慶辺りの話らしい。・・・
武陵郡雲陽點蒼山,産兩頭獸,似鹿,前後有頭,一頭食,一頭行,山人時或見之。
  [「州記」]

雲貴高原辺りの用語では、耶=鹿、希=矢ということだが、"有耶無耶[うやむや]"という意味と違うか。常識的には、異形の胎児を見つけたということだろう。
珍しいといえば、その通りだが、催奇物質に晒される環境であるなら、確率的に発生する現象でしかない。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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