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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.5 ■■■

石の守宮

葬儀のルールをとてつもなく重視するのは、いうまでもなく儒教である。宗族は同じ山に葬るのが原則。そして、できる限り盛大な儀式を細目通りにとり行うことになる。もちろん、ルール通りできかねる場合もあるから、その場合は卜占によって、特例が認められることになる。
これなくしては、一族の繁栄なしどころか、消滅の憂き目、との教え。

おそらく、儒教の出自が、為政者にとっては不可欠な、大王葬儀にまつわる呪術集団だったのであろう。山海経を見ても、卜占は、分野別に細分化されていたようであり、中華帝国では官僚組織のヒエラルキー上に位置付けられることになり、角逐は凄まじいものがあった筈だが、宗族第一主義ということで筆頭の地位を獲得したのであろう。
結果、墓造りや葬儀挙行の官僚的制度化が進む訳である。それが形骸化することがないのは、滞りなく行われないと一族郎党すべてにとてつもない大難がふりかかってくるとの様々な話が流布されていたからに他なるまい。

一方、仏教は、もともと煩悩の苦しみから脱すべきとの思想から生まれた宗教。従って、僻邪と亡者の苦しみ軽減ができさえすればよいから、できる限り薄葬たるべしとの姿勢を見せたりもする。実に、好対照。

そんなことを、ついつい考えてしまう話が収録されている。・・・
州軍校郭誼,先為邯鄲郡牧使,
因兄亡,遂於州舉其先,同塋葬於磁州陽縣之西崗。
縣界接山,土中多石,有力葬者,率皆鑿石為穴。
誼之所卜亦鑿焉。
積日倍工,忽透一穴。
穴中有石,長可四尺,形如守宮,支體首尾畢具,役者誤斷焉。
誼惡之,將別卜地,白於劉從諫,從諫不許,因葬焉。
後月余,誼陷於廁,體仆幾死。
骨肉、奴婢相繼死者二十餘人。自是常恐悸,囈不安。
因哀請罷職,從諫以都押衙焦長楚之務與誼對換。
及賊阻兵,誼為其魁,軍破,梟首。
其家無少長,悉投井中死。
鹽州從事鄭賓於,言石守宮見在磁州官庫中。
  [續集卷一 支諾皋上]
州の軍校である郭誼は、先には、邯鄲郡で牧使だった。
その時に、兄が亡くなった。
そこで、州に於いて、先祖も挙げて同じ墓
[塋]にすることとし、
磁州陽県の西崗に兄を葬った。
県界は山に接しており、土中には石が多いところである。
そこでの埋葬は力仕事になり、皆、石を穿鑿して穴を造っていた。
郭誼が選定した場所も、又、穿鑿する必要があった。
何日もかかって、多大な工数を要していたのだが、忽然として穴が貫けたのである。
穴の中には石が有り、長さは四尺。その形状は守宮
/ヤモリのようで、四肢から身体、首、尾、と悉く具えていた。ところが、なんと、使役を請け負っていた者が誤って切断してしまったのである。
これは、なにか悪い事がありそう、と言うことで、別な場所を占卜で選ぼうと考え、劉從諫のところに行ってその旨を申し述べた。しかし、諫は許可しなかった。
因って、そこに埋葬したのである。
一月ばかりの後、誼は廁で陷ちてしまい、体が倒れ将に死ぬ寸前。
骨肉の親族や、奴婢も、相次いで死んだ。その数、20人以上。
そんなことから、常時、恐ろしさから動悸がひどくなり、寝ても冷めても不安に苛まれた。
それが原因で、自ら罷職を哀請することに。
諫は、それを受け入れ、都押衙と焦長楚の任務を與誼と交換させることにした。
ここに及び、賊とされるが阻兵したのだが、
誼はその頭領になってしまった。
だが、軍は破れてしまい、結局のところは梟首刑の憂き目。
家の方では、老いも若きも区別なく、悉く、井戸に投身自殺。
鹽州の從事である鄭賓於が言うことには、
その石の守宮は、現在、磁州の官庫で保管されているとの由。


この話には、余り参考にはならぬが、「蠑信仰」[→]、「雨乞い儀礼」[→]、でイモリ信仰は取り上げた。
毒を持っている種がいたとは思えないが、蛇等と一緒に"五毒"に位置付けられており、古代から信仰対象になっていたことが知られている。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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