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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.10.6 ■■■

蟻城

墓造りの話だが、その場所は蟻の棲家だったというだけのこと。・・・

忠州江縣縣吏冉端,開成初,父死。
有嚴師者,善山岡,為卜地,雲合有生氣群聚之物。
掘深丈余,遇蟻城,方數丈,外重雉皆具,子城櫓工若雕刻。
城内分徑街,小垤相次。毎垤有蟻數千,憧憧不絶。徑甚滑。
樓中有二蟻,
 一紫色,長寸余,足作金色;
 一有羽,細腰,稍小,白翅,翅有經脈,疑是雌者。
衆蟻約有數斛。
城隅小壞,上以堅土為蓋,故中樓不損。
既掘露,蟻大擾,若求救状。
縣吏遽白縣令李玄之,既睹,勸吏改卜。
嚴師代其卜驗,為其地吉。
縣吏請遷蟻於巖側,状其所為,仍布石,覆之以板。
經旬,嚴師忽得病若狂,或自批觸,穢詈叫呼,數日不已。
玄之素厚嚴師,
因為祝,療以雄黄丸方愈。
  [續集卷三 支諾皋下]
忠州江縣で県吏をしていた冉端は開成初に父に死なれてしまった。
嚴師と呼ばれる者は、山や岡を善く知っており、卜占いで地相を見てくれた。そして、この土地には、生気が群れ集まる物が有ると言った。
深さにして1丈余りも掘っただろうか、蟻の城に遭遇した。数丈の方形をしており、外重も雉も皆備わっており、子城や櫓も巧みな彫刻細工のように仕上がっていた。
その城内には、路が分かれて街ができており、小さな蟻塚が次々と並んでいた。その塚毎に、蟻が数千匹いて、絶え間なき優柔不断な動きをしていた。小径は甚だ清潔にして滑らかな状態だった。
その樓中に2匹の蟻がいた。
一匹は紫色、長さ1寸余りで、足の作りは金色だった。
もう一匹は、細腰で、若干小さめ。白い翅があり、その翅には經脈があった。はっきりしないが、雌ではないかと思われた。大衆に相当する蟻は約数斛ほど。
城の隅は少々壊れていて、上部は堅い土で蓋をしていた。それ故、中の方は損壊を免れた訳である。
すでに、露天掘りをされてしまったのだから、蟻は大騒ぎである。救いを求めている状況と言ってよいだろう。
県吏は急遽、県令の李玄之に既に見た事を報告し、改めて占卜を行うように勧告した。
嚴師は自らの占卜の見立てで十分で、その地は吉兆ありとした。
県吏は蟻を巖の側に移して、その状況を留めるように要請。
もとのように石を載せて、それを板で覆ったのである。
10日ほど経って、嚴師は、忽然と、病に罹ってしまい、症状は発狂状態に近かった。
或いは、全身で触れ回ったり、穢ない言葉での罵詈雑言。数日も己を失っていたのである。
李玄之は平素から嚴師を厚遇していたので、それを見て、ご祈祷をしてもらうと共に、雄黄丸服用による療法で治癒に向かった。


"蟻城"は話題性があったのではなかろうか。・・・
人有掘地得蟻城者,街市屋宇,樓門巷,井然有條。
《唐五行誌》:
「開成元年
[836年]
京城有蟻聚,長五六十歩,闊五尺至一丈,厚五寸至一尺。」

可謂異矣。蜂亦有之。 [明 謝肇:「五雜俎」]

もともと、蟻社会のイメージは軍隊組織。[→]従って、"蟻の帝国"と言われれば、始皇帝時代の統治が頭に浮かぶようである。
その辺りを踏まえたのが「南柯の夢」であろう。 [→「韋斌傳」]

尚、"雄黄丸"だが、「太平経惠方」に記載されている効能は小児中悪心痛で、成分は、雄黄/鶏冠石[硫化砒素]+真珠末+麝香+牛黄+巴豆であるそうナ。
毒物が当たり前のように処方されていた時代であることがよくわかる。
(「桃庵の処方です」…「毒も使いようによっては薬になるんです」---平岩弓枝:「御宿かわせみ」@医薬品情報21 鶏冠石の毒性 2007)

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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